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2008.04.06

日本から

お越しいただきありがとうございます。
日本に帰国しておりますので、当分こちらのブログは更新いたしません。

日本での本家ブログはこちらです。
軽井沢森暮らし日記


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Posted at 20:54 | 未分類 | COM(3) | TB(0) |
2008.02.03

ラオス旅行(6) 

かえりみち(2)

(承前)
5時半というなんとも微妙な時間に到着したピーロック。まずは一応、チェンマイへの乗り継ぎを確認しました。7時発のバスがあり、夜中の12時に到着するとのこと。ということは、実際に着くのは夜中の1時でしょうね。宿探しをするわけではないから、到着時間は別に構わないのですが、さすがにここまで7時間、ノンカーイ~ウドンを入れれば8時間以上バスに揺られてきたので、プラス6時間はもう無理だろうなと思いました。じゃ、ピーロック、泊まりですね。
しかし、私はガイドブックの類を一切持っていません。ピーロックは通過したことは何度もある(但しほとんど深夜)けれど、一度も泊まったことはありません。つまり土地勘はゼロ。バス駅に入る直前まで目を凝らして見ていましたが、近くにホテルの看板は見当たりませんでした。
仕方がないのでバス駅の事務所に行き、「近くに高くないホテルはありますかね?」と聞いてみました。おじさん2人が街の観光地図のようなものを眺めながら「うーん……」とめちゃくちゃ悩む。そもそもタイの人って(タイに限らずだけど)、自分の住んでいる場所を地図で把握することに、それほど慣れていないようなんですよ。このときも、おじさん2人は、このバス駅が地図に載っている2つのバス駅の内どちらかで、しばらく揉めてましたもん。自分の職場だよ?
しばらくしておじさんが指し示したのは、街の中心らしき一角。しかしおじさんが○を付けたその建物には、「クロックタワー」と英語で書いてある。クロックタワーって、私の記憶が間違いでなければ、時計台ってことじゃありませんでしたっけ? 
「あー、なんか違うみたいなんですけど、えーと、ゲスハオ、ゲスハオはないですか?」
ゲスハオとは、ゲストハウスのタイ風発音。おじさんたちは「おー、ゲスハオっ!」とようやく元気になり(やれやれ)、「ここへ行け」と教えてくれました。地図に○を付けてくれたそこには、タイ語しか書いてありません。「何て読むんですか?」「ラージャプルッ!」どうも。
「えーと、そこまで行くには何で?」
「トゥクトゥク!」
周囲を見回しましたが、トゥクトゥクの姿はありません。
「そのへんにいると思うよ」と言われ、礼を言ってそこを後にし、「そのへん」に行ってみましたが、軽トラみたいなヤツはいっぱいいるけど、運転手がいません。軽トラトゥクトゥク、かなり珍しい。
困ったなーと立っていると、赤いチョッキを着たお兄さんが寄って来て、「どうしたの?」
「ゲスハオに行くんだけど、トゥクトゥク、ないよ」
「モトサイ(バイク)で行く?」
「えっ、モトサイ?」
そうか、考えてみれば1人なのだから、バイタクで十分なんですよね。荷物もディパック1個だし。値段を聞くと「50バーツ」。ちょい高すぎませんか、兄さん。
「トゥクトゥクなら70バーツだよ、高くないよ」
「でも、チェンマイならどこまで乗っても15バーツだよー」
「じゃ、40バーツ」
「うーん、仕方ないなー、他に誰もいないし、じゃ、乗るわ」
兄さんが持ってきたのはそこそこカッコいいオートバイでした。が、もちろん、彼も私もノーヘルです。ヘルメットで頭部を保護、的な概念は彼らにはない(笑)。荷台にまたがって、発進。バイクはビューンっと路地を抜け、大通りを横切り(殺す気かっ! という横切り方でした)、また路地を抜け、猫を轢きそうになり、次の大通りを今度はまぁまぁ上手く向こうに渡り、渡ったところの大きなゲートをくぐって、巨大な建物の前に泊まりました。どう見ても、これはゲスハオじゃありません。なんか公共の施設じゃないですか?
「兄さん、ゲスハオだよっ、ゲスハオ!」
「あっ、ゲスハオか!」
兄さんは方向転換をしてからこの巨大建物の裏に回りこみました。するとそこには確かに「ゲストハウス」と書かれた英語看板が。にしてはでかいビルなんですが、こちらも。
フルだと困るので兄さんに待っててもらい、中で聞くと「泊まれるよ」とのこと。兄さんはお金を受け取ると帰っていきました。

エアコンの部屋は400バーツで、ファンの部屋は280バーツです。この冬場にエアコンも要らんじゃろと思い、ファンの部屋にしました。実際はすごく暑くてびっくりしたんですが。あまりの暑さに何も掛けずに寝ていて、明け方さすがに寒くて風邪引きそうになりましたよ(笑)。
行ってみると、だだっ広い殺風景な部屋に古びたベッドが2つ。そうですねー、遠い昔の中国のホテルってものが、こんな感じかな。あるいはタイでよくある中華系の旅舎がこんな感じですね。ここ1ヶ月ほどは洗ってませんね、と思えるシーツ。これに直に触れるんですか、とびびってしまう毛布の下敷き(これもシーツだね)。
でも、平気です。昔の中国の招待所なんて、こんなもんじゃなかったもん(笑)。
ま、ともかく荷物を置き、今日もとにかく腹ペコなので下に降りて行き、受付の姉さんに「ご飯食べに行きたいんですけど、どっち行ったらいいかな?」と、タイ語で(!)聞いてみました。だいぶ誇張してますが。実際は「ご飯食べに行きたい、どっち」と言ってるだけです。姉さんはしばし考え、「そこ出て、右行って、細い道、そこがいいよ」と英語で教えてくれました。
すっ飛んでいく私。まず、ご飯におかずを何種類でもぶっかけられる飯屋に行き、ナス炒めと五目野菜みたいなものを乗っけてもらって食べました。美味いっ! で、15バーツ。ひぇー、安い。そんなもんではまるで足りないので、次に揚げ物屋があったので、そこで鶏の揚げたのを食べました。20バーツ。まだまだ、ぜんぜん足りません。麺屋を探して通りを渡ると、セブンイレブンの前にいました。ここでセンレックを一杯食べて20バーツ。これでやっと、お腹がおさまりました。
こいつは一体どんな大食漢だと思われるかもしれませんが、タイの一食は日本と較べてずっと少ないのです。それに私、普段はこんなに食べませんから……。
セブンイレブンで菓子パンと水を買ってホテルに戻ると、姉さんが「食べられた?」とタイ語で聞いてきたので、「カー、キンレーオ。うん、もう食べた」と答えました。私のタイ語は、0歳児から1歳児になろうとする感じで、少しずつ単語が増えていきます。
部屋に戻り、シャワーを浴びました。このシャワーが! 熱湯じゃんじゃん究極のナイスシャワーで。このためだけに280バーツ払う価値があります。大満足です。
夫に電話。ピサヌロクなどという、彼にとってはありえない街にいる妻。怒りたいけど怒れない、という悶々が伝わる……。なぜならここで怒ってめげさせると、また苦悩の海にはまり込み、チェンマイまで帰り着かないからね、彼の妻は(笑)
自分でも何やってんだと思わないではないけど、でも旅って、こういうもん、ですよね。

R0010273.jpg
「どら焼き」の文字に惹かれ購入しましたが、期待はあえなく裏切られました・笑


夜、たいして期待せずにテレビをつけると、なんとHBOとスタームービー(どちらも映画専門チャンネル)が入りました。私のアパートじゃ入らないのに。
しかも! ケビン・コスナーの「ザ・ガーディアン」という海難救助モノが始まりましたよ。やったー。
渋系おじさまなら何でもござれの私ですが、えー、つまり、アル・パチーノでもポール・ニューマンでも、ジャン・レノでも、トラボルタ(太ってなけりゃ)でも、いいのですが、やはりケビン・コスナーは別格ですよね。いつもいつも孤高の人ですよね、ケビンって。たいてい結婚生活にも失敗してて、背中に哀愁がいっぱいてんこ盛りなんだよ。
で、この映画は今春日本で公開されるみたいなので詳細は控えますが、最後に自分と後輩が1本のワイヤーで救助ヘリにぶら下がったところで、ワイヤーが切れそうになっちゃうんですよ。でね、山岳モノでもあるシーンですが、後輩を助けるためにケビンが自ら連結器をはずすんです。落ちかかったケビンの手をつかむ後輩。泣きながら死なないでくれと叫ぶ彼に、最後にケビンが一瞬目を合わせ、一言「I know (わかってるさ)」と、そして自ら、手袋のベルクロをはずし、助からないと知って暗い夜の海に落ちていく…………。
風は強く、波は高く、暗い海は果てるともなく~♪(二艘の船)
号泣だよ…………。
かっこいい。かっこよすぎるよ、ケビン。
ケビンなら…………。
そう、ケビンなら、いいよ。うん。えっと、タダでも。熨斗付けて叩き返されそうだけどね(笑)。

などという下らない夜を過ごし、翌朝、8時少し前にゲストハウスを出ました。そうそう、ピーロックの街が他とかなり違うのは、流しのソンテウやトゥクトゥクの類がまったくいない、ということです。ゲストハウスで呼んでもらうかなと思ったのですが、朝なので通りで確認してみようと思い、大通りまで出てみました。やはりいません。交差点に「バス駅」という矢印が出ていたので、意外と近いのかもと思い、そこにいた屋台のおばさんに「バス駅はこっちですかね?」と聞いてみました。
「どこへ行くの?」
「チェンマイ」
「メッダーイだよ、メッダーイ!」
メッダーイとは、ダメという意味。本来「マイダイ」なのですが、人の言うのを聞いてるとメッダーイに聞こえる。おばさんは他の屋台の人にも声をかけています。みんな口々に「メッダーイ!」歩いちゃ行けないということでしょうね。その屋台のだんなさんが携帯を取り出して、
「呼んであげるから、そこに座って待ってなさい」
と親切に言ってくれました。それじゃ、私ここで何か食べます、と言うと、また夫婦で「メッダーイ」です。何で? 
「バス駅行って、キップ買って、それからメシ食う、だよ」
あ、いや、それじゃ何だか申し訳ないす。と言いつつ、お茶出してもらってるし。どうすりゃいいんでしょう、私は。買うにも麺だから買えないし。と、あっという間にトゥクトゥクが登場。私はそこの人たちに盛大に見送られてその荷台へ。すんません、ほんと、ありがとう!
トゥクトゥクはコトコトと走り、やがてバス駅へ。確かに歩ける距離ではありませんでした。で、またもバスに横付け。いいな、この横付けしてもらうの、快感だね。運転手のおばさんにお金を払い、車掌に連れられてキップ売り場へ。窓口の中に女性3人、外に男性ばかり4人、職員が賑やかにお喋りしています。そこで車掌が「はいはい、この人、チェンマイ行きね!」と言ってくれ、私はみんなの輪の中でチケット購入。渡された紙片に金額が書いてあるようなのですが、薄暗くて(あと老眼で)よく見えない。
周りの男の子たちが「ツーツーツー、にーにーにー、だよ」と教えてくれます。日本語かっ。私も「ソンロイイーシップソン」と返すと、「おおっ、タイ語喋れるじゃん」と一気に場が盛り上がりました。朝っぱらから盛り上がらなくてもいいのですが。しかも私が言ったのは数字だよ。
「何か喋ってよ」と言われたので、
「ヤーク、パイ、キン、カーォ(ご飯食べに行きたい)」
と言うと、全員爆笑、めちゃウケです。私、タイで芸人になれるかもしれません。
笑われながらお金のやり取りをしていると、横にいた若い男の子が、
「お姉さん、綺麗。僕も一緒にチェンマイに連れてって!」
と言う。またもや爆笑です。むむっ、お主やるなっ。ここは日本代表として負けるわけにはいきません。
「オッケーだよー、一緒にチェンマイ行こうぜ、すんません、チケット2枚ね!」
大爆笑。中のお姉さんたちはお互いを叩きあいながら笑ってます。やった。
男の子は「ディジャーイ(うれしい!)」と私に抱きつく真似。またまた大爆笑。私はもうこっから先はタイ語じゃ無理なので、「そのかわり、今夜はどこへも行かさんぞーっ!」と日本語で言いつつ、男の子を抱き返す真似をしました。男の子はキャーキャー言って逃げていきます。ははは、どうだ、参ったかっ!(何やってんだよ、私は)

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電話一本急行します! 嘘みたいにかわいいトゥクトゥク


車掌がやって来て、「もう発車しますよー」と言いました。私は彼らに手を振って、バスに乗り込みます。半数近くの席が埋まっていて、私は後ろから3列目の窓側に座れました。キップ売り場の人たちが、まだ大笑いしながらこっちを見て、手を振ったり変な顔をして笑わせたりしています。それに手を振り返しながら、私はまったく別のことを考えていました。
去年、このすぐ近くのスコータイで、日本の若い女性が殺害されるといういたましい事件が起きました。スコータイは私も知っている場所です。確かに人気もまばらな場所だったという記憶があります。事件直後は本人にも非があるかのような一部報道や、ネット上での書き込みがありましたね。深夜に宿も取らずに動き回っていたというような情報が流れたりもしました。私は特にその事件について情報を集めたわけではありませんから、報道された範囲内でしか知りません。でも、その前夜がどうであれ、実際に事件が起きたのは日中です。ツーリストが動き回っていて何ら不思議はない時間です。
彼女には、一点の非もないでしょう。悪いのは全て、彼女をターゲットとして狙った相手です。彼女に油断があった、それを招くような行動があった、という意見も未だに多い。それが1人で自転車を借りて遺跡を回ったことを指すのであれば、私など今まで何度旅先で命を落としたかわかりません。たまたま私は誰からも狙われなかった。ただそれだけです。
どんなに旅慣れて周囲に目を配れても、どれほど警戒心を持っていようと、狙われたら終わりだから。彼女の当日の行動が悪いと言うなら、それは女に1人で旅をするなと言っているのとほとんど同義ですから。
若い頃、旅に必要なものは何かと聞かれれば、笑顔と勇気と覚悟でしょうと答えていました。最近は聞かれることもなくなり、特に意識することはないのですが、やはりね、特に女にとって、覚悟は必要だと今も思います。金品を強奪される、暴力を振るわれる、殺される、だけでは済まないことも多いから。その恐怖と絶望は想像するに余りある。
…………それでも旅をしたい。それでも自分は旅をやめない。いつか自分がどこかで事件に巻き込まれたら、「旅慣れているという過信が招いた当然の帰結」と言われるのでしょうね。悔しいけど仕方ないな。
会ったこともない、顔も知らないその彼女ですが、このピーロックも通過していたのかな。怖かっただろうね、可哀想に。どうか安らかに。

バスは私を待ちかねていたようで、すぐに発車しました。時計を見ると8時20分。まだ笑ってくれてる駅の人たちに最後に手を振って、私はピーロックを後にしました。
今日も朝ご飯食べ損ねました……。
バスは広い道をぐんぐん走り、やがて山岳地帯に入り、くねくねと抜けてウッタラジットへ。その少し先でご飯休憩があってみんなと一緒に麺を食べ、また乗り込んで、再び山岳地帯。抜けて抜けて、ランパンを経由して、チェンマイ・アーケード・バスターミナルへ滑り込んだのは、午後2時30分。5時間と言われましたが、やはり6時間かかりましたね。
さすがにへとへとで、腹ペコです。最後までお腹がすく旅行です。バス駅でご飯を食べて、それから市内へ行く乗り合いソンテウに乗り、アパートに帰りました。

R0010277.jpg
ドライブインに停車中の2等エアコンバス



今回のラオス~イーサン地方の4泊の旅はこれで終わりです。
最後の2日間にわたるバス旅により、ノンカーイのもやもやは晴れたようです。幸い、特に腰の症状が悪化するということもありません、今のところ。ということは、自分はまだ、バスに乗れるということなんでしょうか……(笑)
途中、勝手に落ち込み、勝手に苦悩する、この書き手に最後までお付き合いいただいた皆さまには、最大級の感謝を送ります。とりわけコメント下さった皆さまと、メールで励ましてくださったT様、ありがとうございました。お陰で最後まで来れましたです。
まことにお疲れ様でございました。以下両方とも「本当にありがとう」の意味で、
コープクン・マー・カー!(タイ語)
コープチャーイ・ライラーイ!(ラオス語)
Posted at 14:15 | 未分類 | COM(5) | TB(0) |
2008.02.02

ラオス旅行(5) 

かえりみち

※この記事に関しては、前回の「ノンカーイ・ロールワンデリング」をお読みになられた後にしていただけると幸いです。でないと前半がよくわかりません。

6時過ぎに目が覚めて、荷物をまとめ、7時15分には部屋を出て受付に行きました。昨日のヤツだったら嫌だなぁと思いましたが、おとなしそうなおじさんが1人。「チェックアウトするー」と鍵を渡すと、ちょっと待ってて、忘れ物見てくるからね、と部屋を見に行きます。やがておじさんが戻ってきて「オッケー」と言うので、私も彼には何の恨みもありませんから「ありがとう、じゃーね!」と挨拶して宿を出ました。
出たところはいつもトゥクトゥク溜りになっているのですが、おっと、朝が早すぎたのか誰もいないではないですか。しょうがない、小さな町だから歩いて行こうと決めて通りに出ました。そこにパーコントー(揚げパン)売りがいたので、バス駅が2本あるメインストリートのどちらだったかを確認。やはりクランク状に歩いて行けってことだったので、そちらに向けて歩き出したときです。背後から軽いエンジン音が聞こえたと同時に、「ハロー」と声がかかりました。おっ、トゥクトゥクが来たな、と振り返ると、そこにいるのはバイクです。はて? とよくよく見れば、さっきのゲストハウスのおじさんではないですか。
「パイナイ? どこ行くの?」
「パイボーコーソー、バス駅へ」
乗りなよ、とおじさんは荷台を指さしました。えっ、いいの? と言いつつ乗せてもらう私。バイクはすぐにスタートしました。
「どこに行くの?」
「チェンマイなんだけど、ダイレクトバスはないからウドンへ」
「あ、そう。昨日ビエンから来たんだよね?」
「うん」
バイクはトクトクトクトクという軽快な音を立ててゆっくり走っています。
「ノンカーイは初めて?」
「ううん、何度か来てるよ」
「ふうん、そうなのか」
トクトクトクトク…………。
ハンドルを握るおじさんの背中越しに通りの風景を眺めながら、もしかして彼は、昨日私が大喧嘩している場面を目撃していて、それで気になって来てくれたんじゃないかなぁ、そう思えてきました。だって、ゲストハウスの人がわざわざバイクで追いかけてくるなんて、そうそうあることじゃありません。特に仲良くなったわけでもなんでもないのにね。
トクトクトクトク…………。バイクは走ります。
「旅行してるの?」
「えーと、今はチェンマイに住んでる」
「へぇ、住んでるのか」
「うん、タイ語ぜんぜん出来ないけどね(笑)」
「パイ、チェンマイ(チェンマイに行く)が言えりゃ十分だよ(笑)」
「あ、そうかなぁ、ははは」
トクトクトクトク…………。
「チェンマイまでは長いなぁ、どのくらい?」
「多分14時間くらい」
「ああ、やっぱり長いな」
おじさんは昨日のことなど一言も言いません。私はもうこのあたりで、うるうるです。
トクトクトクトク…………。バイクは見覚えのあるバス駅への曲がり角に来ています。
「あのさ」
しばらく黙っていた後でおじさんが言いかけます。ん? と聞き返すと、
「またおいでよ」
とぽつり。
「う………………」
私は絶句しました。そんなこと、今このタイミングで言われたら、泣いちゃうよ……。
もしかしたらそうじゃないかな、という思いが確信に変わり、私はもうちょっとでおじさんを背後から抱きしめて泣いてしまいそうでした。私はいつもバイクを雄雄しく跨いで乗っているので、おじさんの背中はまさに、「さあこいっ!」って感じで目の前にあるんですよ。ま、そんなことしたらびっくりして転倒されそうだけど。
やがてバイクはバス駅に到着し、一台のバスの横にシャッ! と横付けされました。
「これ、ウドン行き」
「ありがとう、おじさん。また会おうね」
それ以上何も言えません。多くを言おうとすれば、みんな嘘になりそうだよ。
おじさんはうなずいて、早く乗りなさいと促しました。車掌が手招きしています。私が乗り込んだのを見届けて、おじさんはバイクをユーターンさせ、通路に立っている私をちらっと見上げてにこっとしてから、来た道を帰っていきました。
バスは私を乗せた瞬間にバックを始め、ノンカーイを発車しました。そうか、この時間を知っていて、間に合わせようとしてくれたんだね、おじさんは。これに乗れなければ1時間待ちだったんだ、私。
えーと、しかしまた、朝ごはん食べ損ねました(笑)。
ノンカーイの町はほんとうに小さいので、バスはあっという間に走り抜けてしまいます。ウドンまでは60キロほどかな、約1時間。冷房のキンキンに効いたバスの中から流れる風景を見るともなしに見ながら、おじさんのことを思い出しては涙が出そうになり。そのたんびに頭振ったり足叩いたりして我慢しつつ、バスに揺られ続けました。ついこの間、どこかで「旅先では決して泣かない」とか書いてたはずなんですが、あれは撤回だな。というか、年を取ったということか(笑)。途中、スコールのような激しい雨が降り、ああ、空も泣いてるぜ(ほとんど気分は小林旭だね)と思い、やっと落ち着きました。

それにしても、1人だと、笑ったり怒ったり喧嘩したり泣いたり、忙しすぎるんだよ……。

おじさんの好意はほんとにありがたかった、うれしかった。もう二度と来ないかもしれないと思ったノンカーイだけど、また行ってもいいかと今は思ってる。
ほんとに、ほんとに泣くほどうれしかったんだけど、それでもまだ、昨日のことを吹っ切るまでには至らなかったです。私はウドンへ向かうバスの中で、一体これから自分はどうするつもりなんだと、さんざん考えました。
チェンマイへ戻る週3便の飛行機は明日の午後ウドン発。しかし、既に満席になっているのは知っていました。キャンセル待ちができるかどうかはわかりませんが。あるいは今日中にバンコクに飛び、そのまま乗り継ぐか、乗り継げなければバンコク一泊で明日のチェンマイ行きで飛ぶか。飛行機を使うとすると選択肢はこんな感じです。
でも。
正直この時点で、飛行機という線はほとんど消えていました。
うまく言えないんですけどね。バスででも行かないことには、落とし前がつけられない、って感じ。これで飛行機でびゅん、びゅん、とチェンマイに戻っても、何か引きずりそうな感じです。苦痛を贖うにはさらなる苦痛を、っていう体育会出身者特有の発想かもしれません。いや、そんなん私だけですか?(笑)
それと、これは既に書きましたが、自分がバスに乗れるのかどうか確かめておきたかった、というのも1つ。タイは道もそこそこいいし、バスもいい。タイで乗れなければ、他の国では乗れないと考えていいでしょう。だから、自分は乗っても平気なのか? それともやはり無理なのか? VIPなどではない普通のバスで、確かめてみたくなったのです。
ウドンに着くまでに、ほぼ決めました。えーと、どうするかを決めたのではなく、自分は今日これから、周囲が自分をどう転がすか、それに従って動いてみよう。そう決めたのです。これをカッコよく言うと、風の吹くまま、ってことになるのかな?

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ウドンターニの閑散としたバス駅


ウドンに着いたのは9時少し前。とりあえず空腹だったので麺屋に行きましたがまだやってない。隣でお粥を食えと言われて行ってみましたが、お粥ではなく春雨麺みたいなものを売っていました。それも最後の一椀。不思議なそれを食べて値段を聞くと10バーツ。安いですね……。でもすごくうれしそうに感謝されました。鍋の底までさらいましたからね。
それからバス駅に戻り、寄ってくる人々に向かって「チェンマイに行きます」と宣言。まず連れて行かれたのは、私営のチェンマイ直行バスのオフィスです。前に2度ここから乗ったことがあります。途中で下校の子どもを拾っては降ろすので、死ぬほど時間がかかるんですよ。バスは午後2時半発で、到着予定時間は明日の朝6時。15時間半ですか? 前より長くなってませんか? これはさすがにちょっと……、長すぎます。
またバス駅に戻り、再び寄ってくる人々に「チェンマイに行きたいんだけど」と言い、今度は駅の事務所につれて行かれます。ここで英語のできる人にいろいろ聞いて、その人は親切にも空港(かノック・エアの事務所)に電話してくれて、明日の便がやはり満席だということと、バンコク行きも今日の便は満席になってることを聞いてくれました。おまけに「飛行機は高いよー、バスにしなさい」と諭されました(笑)。ありがたい、これで飛行機は消えました(本当は高いタイ航空なら席はあったかも)。とすると、バスしかない(本当はバンコク行きの列車もありますが)。
バス駅から出るチェンマイ行きは午後2時発。こちらも所要15時間とか。ということは16時間は見ないとだめでしょうね。長すぎます。ちょっと考えることにし、事務所を後にすると、また人々が寄ってきます。みんな暇なんですよ(笑)。
「どうするんだ、どこへ行くんだ?」
「市内へ行くか? ホテル行くか?」
「空港行くんじゃないのか?」
「ゲスハオ連れてくぞ、いいとこあるぞ」
と口々に聞いてくるのに「ディオディオ……(ちょっと待って)」と答え、うーんと考え込みました。それから私はおもむろに彼らに向かい、チェンマイまでの半分ってどこ? と英語で聞いてみました。みんな顔を見合わせています。ちょっと質問が難しかった、いや、私の英語がおかしいんでしょう。
私はしゃがんで地面を指さし「ティニ(ここ)、ウドン」みんなうなずく。別の場所を指差し「ティニ、チェンマイ」またみんなうなずく。その中間を指さして「で、ハーフ。ティニ、ティナイ(どこ)?」
しばしの沈黙の後、誰かが「ピーロックだろ」と言い出し、すると皆が「そうだピーロックだ」「そうだなピーロックだな」「ああ多分ピーロックだ」と口々に同意しました。ピーロック? 聞いたことがありませんが、全員が言うのだからそうなんでしょう。
「そこへ行くバスはあるかな」
「10時半にあるよ」
「何時間くらいかかるかな」
「6時間」
「じゃ、そこ行くわ。ピーロックへ」
赤いジャンパーを着たおじさんが、よっしゃとばかりに私の荷物を掴むと、「こっち、チケット」と案内し始めました。ほかの人々は一様に安堵と落胆のため息を漏らしつつ、「ピーロックへ行くとよ」「ピーロックに決めたとよ」と他の人々に触れ回りながら、三々五々散っていきました。
チケットは229バーツでした。買ってから、そうそう、ピーロックってどこよ? と思って聞くと、最初怪訝そうな顔をしてましたが、やがてああ、と気づいてくれて、「ピッサヌロック」と教えてくれました。ピサヌロクか! そうか、それなら確かに半分かもしれない、と思いました。スコータイに近い中部タイと北タイの中間あたりにある街です。たしか一度、スコータイの帰りに乗り継ぎでバス駅に行ったこともあるはずです。そっかそっか、私はピサヌロクに行くんだな。

R0010271.jpg
ピーロック行きバス。10:30の文字が見える


こいつは、地図くらい持ってないのか? と不審に思われるかもしれません。持ってませんでした。旅行者としては、失格ですね。
白状すると、チェンマイを出発する時点で、ウドン~チェンマイが満席になっているのは知ってました。つまり、自分はどう帰ってくるかわからない、だけど何も持たずに行ってみようと、どういうわけだか思ったんですよね。
今はネットで世界中どこに居ても誰かとつながることができ、携帯電話で話をすることもでき、スカイプで毎晩夫と長電話することも可能です。情報があふれている時代。私が最も激しく旅をしていた80年代後半から90年代半ばまでとは、状況は一変しています。誰もが次の街の情報をネットで得ることができる。誰かが泊まったゲストハウスの情報を見ることができる。バスの時間も、飛行機の時間も、チケットの買い方も、みんなネットで知ることができる。それはすごいことだし、自分もいつも本当に助けられています。
でも、たまには、何の情報もない状況に自分を置いてみたい、という衝動に駆られます。そしたらこいつ、どうなっちゃうの? 途方に暮れて、路頭に迷って、どっか暗がりで泣いたりするのかな? ってのを見たい気がするんです(笑)。
まぁ、ご心配いただかないように書き添えておきますと、私はこのエリアは何度も旅しているので、大体の地理やエスケープルートはわかっています。ピーロックは初耳でしたけど(笑)。
それはそうと。
そう考えてくるとね、もともとこれは、決められていた道を自分は進んでいるだけなのかもかもしれない、と思えてきますね。というか、そもそも、自分でそう決めてそっちに向かって進んできただけなんじゃないか、とかね。
旅ってのは、まったく、不思議なものです。流れに乗ってるのか、引き寄せられてるのか、自分が引き寄せてるのか、よくわかんないけど、結局流れていく。

定刻どおりに半分ほどの乗客を乗せて発車した1等エアコンバスは、降ろしたり乗せたりを繰り返しながら順調に山道を抜けて走り、ルーイ(Loiet)まで。そこからさらに道が細くなる中を慎重に走り、いくつもの山を越え、橋を渡り、ナコンタイ(Nakhongthai)を経て、到着予定時間の4時半を過ぎてからようやく大きな国道に合流し、結局、ピーロックに着いたのは午後5時半。ぴったり1時間遅れでした。途中、あると思っていた食事休憩がなく、ウドンのバス駅で保険に買った5バーツの菓子パン2個と水で凌ぎきった一日でした。とにかく今回の旅、いつもいつも空腹です(笑)。
(この項続きます)

Posted at 19:40 | 未分類 | COM(2) | TB(0) |
2008.02.01

ラオス旅行(4)

ノンカーイ・ロールワンデリング

ソンツクがボーダーに着き、私はフィリピーナたちとなんとなく一緒にラオスを出国し、タイ側へ行きました。そこは長蛇の列。こんなノンカーイ・ボーダーは初めて見ましたよ。旅行シーズンなんですねぇ。

R0010267.jpg
ラオス側の出国地点

延々と時間がかかってようやくタイに入国し、さて、と次の交通手段を探します。入国してきた人たちは、ほとんどがビザラン又はツアーグループの人たちらしく、皆係員に誘導されてバスに乗り込んでいくようです。フィリピーナたちも誘導されてそちらに、私に手を振って去っていきます。皆そっちへ行ってしまうので、私のように完全に個人で動いている人間が誰も来ない。トゥクトゥクのおじさんは、「100バーツ。だってアンタ1人なんだもん」と冷たく言い放ちます。1人って責められてもね……。友達もいない女で悪かったよ……(笑)。
でもそこでしばらく待っていると、ノンカーイへ行くタイ人が来て、1人30バーツでいいことになりました。
ノンカーイは何度も来ているよく知った町です。最後に来たのがいつかは忘れましたが(笑)。最後に来たときは、大通りに面したプラジャック・バンガローという名前の一風変わった宿に泊まっていました。そこは気に入っているのですが、1人で泊まるにはちょっと違うかなという感じ。で、ここはバックパッカーのセオリーどおりメコン川沿いの宿に泊まろうと思い、トゥクトゥクにも昔の船着場に行ってもらいました。(今も渡し舟は出ているのかな?)
ゲストハウスはなかなか見つからず(やはり混んでいました)、結局ぐるっと一周してまた船着場の近くまで戻り、昔っからあるゲストハウスに部屋を確保しました。メコンと聞けば、「ああ、あそこ」と思い出される方も多いかな。300バーツでホットシャワー付き、もちろんトイレ付き。床はチークか何かのどっしりした木材でできていて、調度品もいちいち格調が高い。昔はひどい宿だったけど、すごくよくなってました。尤も、その部屋は真上がメコンを見下ろすレストランになっており、上の物音がかなり響きますので、その値段なんだと思います。お勧めはしないけど、夜自分もレストランでずっと過ごすなら、いいかも。
で、腹ペコだったので、食べに出ます。メコン川べりの様子が一変していて、馴染みの麺屋がどこにあるのかわからなくなってしまい、散々歩いてようやく見つけました。新しくアーケードで囲われていたので、場所を勘違いしたようです。初めてここに来たのはボーダーが開く前だから、おそらく90年代の前半でしょう。その時からいる看板娘が、どうやら結婚した模様でダンナさんらしき人が一緒に働いてました。よかったなーと思いながら、あいかわらず美味いアヒル麺を食べます。
いったん部屋に戻り、シャワーを浴び、それから表に出て日本に電話。ノンカーイに無事に着いたことと、多分2泊してからウドンへ行くことを話しました。

そのゲストハウスには、ネットカフェも併設されていました。日本から来る友人が、いつごろチェンマイに入ってくるかメールをくれることになっていたので、チェックして返事を出そう、ついでにブログでも更新してみるか、と軽い気持ちで中に入りました。
6台あるパソコンのうち2台はふさがっています。私はテーブルにいた店の人らしき女性に「日本語は使えますか? 書けますか?」と確認しました。「使える、書ける」と言うので、パソコンの前に座りました。まずは日本語になるかどうか確認しないとなりませんよね、普通。皆さんはどういう風にやっているんだろう、私はまずブラウザを立ち上げて(たいてい立ち上がってるが)ヤフージャパンにして、検索窓にカーソルを置いて、それから日本語の入力モードにしようとします。
このへんね、ちょっとお願いなんですけど、もし詳しい人がいたら、本当はどうするのが一番いいのか教えていただきたいです。なんせ私、機械関係さっぱりなので(笑)。
パソコンはXPだったと思います。で、下のバーにはたしかに「Japanese」という文字が、その他の言語と一緒にポップアップするようになっています。これだったかなーと思いつつそれをクリックしてみますが、いつも見慣れた動きにはなりません。このへん、私もうろ覚えで何となくあちこちクリックしているうちにそれ(日本語入力用のバー)が出てくることが多いので、ちゃんと説明できないのですが。
私は自力でやるのはあきらめて、店の人にやってもらうことにしました。件の女性に「日本語にならないよー」と言いに行きましたが、彼女は電話中で迷惑そうです。忙しいのはわかるけど、こちらにも都合ってものが……。しばらくその前で突っ立ってましたが、彼女は「死んでもこの電話を切るものか」という決意を固めている模様(つまり私の相手はしたくない)。埒が明かないので他の人を探すことに。そこは何しろゲストハウスの一角なので、何だかわからないけど人は一杯いるのです。
そのうちに若い男の子がやってきて、さっき私がしたのと同じことをして、「これでできる!」と宣言しました。いや、それじゃできないんだよ、ダメなんだよと言いながら、私はキーボードを叩いてみせました。アルファベットしか打ち込まれません。彼は「ちょっと待って、えーと、トライしてて」
とどこかに行ってしまいました。
別の子にも聞きましたが、その子も私と同じことをして「ほらっ、日本語!」と言うのみで、「だからできないじゃない、方法が違うんじゃないの?」とキーボードを叩いてみせると「えーと、ちょっと待って」とどこかへ行ってしまう。どうも怪しいなぁ、誰もわかる人がいないじゃないか。と思いつつも、何しろみんな自信満々に「できる」と言うのですから、何か私の知らないルートがあるんだろうと思い、ツールバーをあちこち触って「待って」と言った子を待ちました。
ところが待てど暮らせど来ない。私はさっきからツールバーしか触っていない。まったくもう、とまた立ち上がって人を探しに行きますが、みんな逃げ腰です。わからない人はまぁしょうがないですけどね。っていうか、誰がこのネットカフェの従業員なんだよ!
そこへ若い子が戻ってきました。でも、私とは目を合わせようとせずに、まっしぐらに電話に向かうとどこかに電話をかけ始めました。それが終わるまで待って、
「やっぱりできないよ、本当にできるの、このパソコンで?」
と聞いてみました。彼の目は完全に泳いでいます。うわぁー、嘘ついてるヤツの目だよ。そもそも彼は、パソコンのことなど知らないのではないかと。最初にいた女性はとっくにどこかへ逃げていってしまった模様。わかる人がいないのじゃ仕方ありません。
「私、ほかで探すから」
と言うと、彼は慌ててデスクから紙を持ってくると、
「20バーツです」
と言いました。

ちょっと待て。20バーツって何だよ? 私は何もしてない。ブラウザを開いたことは認める、だから最低料金の10バーツは払ってもいい、だけどその後は、あそこにいたおばさんや、あなたのことを待っていただけでしょう。できると言われ、待ってろと言われ、私は待っていた。その時間もカウントするなんておかしくない?
私はこの時点で、決して怒っていたわけではありません。事実として自分は何もやっていないのだから、その分をカウントされるのは間違っている、と言いたかっただけであり、そしてその自分の主張が通らないなどとは、これっぽっちも考えていなかった。これが、ラオスぼけの正体だったのですね。つまり人は自分に善意で接してくれる、という思い込み(!)。だからと言って、他にどういう対処のしようがあったのか、思いつきはしないんですけど。
彼は「自分じゃわからない」と言いながら、他の人に目配せします。彼とはさらに言い合っていたのですが、しばらくすると、若い華僑のタイ人がやって来ました。
「俺のパソコンを使ってネットにつないだんだから、時間分払え。20分だから20バーツ。こんな簡単な話がなんでアンタにはわからないんだ?」
こいつは最初っからけんか腰です。まぁね、従業員が、自分に都合のいいように彼に話を伝えた可能性は高いですけどね。
「日本語が使えなくて何もしてないんだから、少なくとも待ってた時間についてはお金は払えない」
「何言ってんだアンタ、使っただろ? パソコン使っただろ? 金払えよ」
いやいや、私としては納得いきません。たかが10バーツ、されど10バーツです。
私は必死に脳みそを振り絞り、
「そもそも最初に自分は確認したんだ、日本語が読み書きできるかどうか。出来ると彼女は言った、今は逃げていないけどね。それから私は何度もその彼女と若い子、もう1人、全員逃げていないけどさ、その人に聞いたよ、日本語にどうやってするの? って。できないとは言わないんだよ、誰も。みんな待ってて、と言うだけだよ。だから私はずっと待ってた、わかる人が来てくれるのをね。でも誰も来ないし、結局できないのじゃないかと思って、よそへ行こうとしてる。私は待ってる間ツールバー以外に触ってない。ブラウザも見てない。大体待ってろと言われて待ってた時間を計算するのっておかしくない?」
と、言いました。
いえ、嘘です。言えませんでした。私はそんなに英語が喋れません。思ってることの10%も言えません。ましてこれだけ頭真っ白の状況に置かれれば、単語なんて出てきませんよ。情けないけどそれが現実。
悔しいことに、この薄い唇の華僑タイ人は英語ペラペラです。
「つまりな、出来ないものに金は払えないと、こう言ってるんだよ私はっ!」
まぁ、このくらいは言えるかな、半分くらいなら(笑)。
ここで押し問答数分。払え、払わない、使っただろ、使ってない、の平行線、堂々巡り。
華僑タイ人は憤然とパソコンに近づくと、えらい勢いでツールバーをあちこちクリックし始めました。そのうちに何の拍子にか、IMEパッドが開きました。これが開いたってことは、あと何アクションかで日本語になったのかもしれませんね、後から思えば。いや、やっぱり違うな、あれは日本語IMEが壊れてたんだと思う。それはともかく、彼はそのIMEパッドの中のわけわからん漢字を闇雲にクリックし、ヤフーの検索窓にそれがコピーされるのを指差し、
「これでいいんだろっ、これでっ! これが日本語じゃないのかよっ!」
と言い放ちました。
「違う、こんなのはただの辞書みたいなもんだよ。日本語の漢字がこんだけだって言うのかよっ! キーボードから打ち込めなければ意味がないんだよっ!」
完全にアッタマにきました。こうなりゃとことん、ですよ。喋れないけどね(笑)
「俺は日本人じゃないからわかんねーよっ!」
「これ、あんたのパソコンだろっ、あんたにわかんないものが何で私にわかるんだよっ! 大体、できないんならできないと、何で言わないんだよっ!」
「とにかく使ったんだから金払えよなっ!」
「だから使ってねぇって言ってるだろうがっ!」
「だってオマエ、座ってたんだろうがっ!」
「待ってろって言われたから待ってただけだよっ!」
すっげー虚しい……。
この虚しさをどう書けば伝えられるのかわからん……。
ゲストハウスの従業員や、レストランの従業員なんかがたくさん見物に来ています。だけど私の味方はもちろん1人もいない。これが世に言う四面楚歌ってやつだよ。孤立無援とも言うな。ああ、「孤立無援の思想」……(ぜんぜん違うから・笑)
その頃には他のパソコンは全てふさがっており、揃いも揃って中年以降のファラン(白人)男性が画面に向かっています。いいねあんたらは、アルファベットさえ打てりゃいいんだもんな。私の怒りはそっちへも向き始めました。
そもそもだ、こんだけツーリストが揉めくり返ってるんだよ。事情がわかろうがわかるまいが、「まぁまぁ、どうしました、落ち着いて」と仲裁しなくてどうすんだよっ! それが旅人の仁義ってもんじゃないのか? あ、コイツらはそもそも旅人ですらない、と。
それはともかくだよ、あーもう、くそっ、年ばっかり食いやがって練れてねぇ野郎ばっかりだぜっ! こら、その隣のデブ! 人の画面覗きこんでんじゃねーよっ、IMEパッドが面白いか? 何ならあんたの画面にも出してやるよっ!(超・八つ当たり)

これ以上何を言ってもやっても無駄、と判断した私は(もっと早く判断すべきでしたね)、オーナーの所に行って「いくらだよっ?」と聞きました。相手は私を見ずに「10バーツ」と言いました。けっ、使えなかったことは認めたんだな、こいつ。と思いつつ10バーツ払い、私は憤然と多数のギャラリーをかきわけて表に飛び出しました。
それから方角も決めず、何をしに行くとも決めず、闇雲に歩き始めました。頭も冷やさなきゃいけないと思ったし、ともかく憤懣やる方なかった。ごまかして逃げた従業員たちにも頭に来ていたし、事情を見て知っていたはずなのに何も言わずに見ているだけの他のヤツらにも頭に来ていたし、最初っからけんか腰で向かってきたオーナーにも頭に来ていたし、この白人(ファラン)崇拝の国(例えば、タイ入国の際に用紙を貰うわけですが、係員はファランには言われるまま何枚でも渡してやる、それどころか自分から渡そうと笑顔を振り撒いて近づいていくのに、フィリピーナが友人たちの分もと貰いに行くと、1人1枚と明からさまに侮蔑する、一事が万事そんな感じ)でふんぞり返ってる能無しのファランたち(言いがかりですね、はい)にも頭に来ていたし、そして、それより何より、言いたいことの10分の1も英語で言えない自分、言い負かされてしまう自分に、特に特に腹を立ててました。
ゲストハウスにゃ帰るに帰れない。全然腹の虫は収まらない。
電線に止まったたくさんのカラスが「アホアホ」鳴いてる。うるさいんだよっ!
私はぐるぐるぐるぐる、ノンカーイの町を歩き回りました。あ、ここがプラジャック・バンガローだ。あ、郵便局ってこんなに近かったっけ。さすがに市場はもう終わりの時間だな。なんて思いつつ、ぐるぐるぐるぐる。白人たちがあちらでもこちらでも、タイの娘やおばさんを連れて、彼女たちの肩に腕をだらーんと回してビールを飲んでいます。見慣れた光景なのに、今日はやけに腹立たしい。タイよ、なぜお前は自国の女を平然と他国の男どもに貢いでしまうんだ。まったく、どいつもこいつも。

だんだん日が暮れてきました。何をやってるんだ、私は。
結局、ファランたちが集う店屋で何かを食べる気にはなれず、通りの屋台で虚しく麺を食べて、1時間半ほども歩いたでしょうかね、しょうがないのでゲストハウスに戻りました。幸い、ネットカフェとは入り口が一応別なので、直接その人たちと顔を合わせずにはすんだのですが。
その晩は、天井から降ってくる椅子を動かす音や従業員が歩き回る音を聞きながら、ずっと音楽を聴いてました。何も考えたくなかったので。ラオスに戻りたくなりましたが、1000バーツも出して買ったビザを1日でフイにするわけにもいきませんし、帰ったってしょうがないんですよね。ラオスでは絶対にこんなことは起きない、とは言い切れないですもん。そしてタイでは全ての場所でこういうことに巻き込まれる、わけではないですもん。

夜遅くなってから、明日ノンカーイを出てしまおうと決めました。
些細なことなんですよ。ほんとに、ちっちゃいことだと思う。こんな小さなことでくよくよしたってしょうがない、こういう時こそどっかでビールでもがーって飲んで、忘れちゃえばいいのかもしれない。でも私はそういう風に酒を飲むことには慣れてなくて……。むしろ悪酔いしそうでできなかった。
喧嘩したっていったって、相手はたかが数人。実に些細な理由での喧嘩ですしね。だけど不思議なことに、そういうことがあるとね、なんか町に拒絶されているような気がしてくるんです。宿を替えてもダメかもしれないなと思いました。それなら思い切って出てしまい、切り替えちゃったほうが楽です。相撲取りが負けると髭剃ったりする、あれですね。
後のことはみんな明日考えよう。そう決めて、日付が変わってから寝ました。

(ちょっと補足しておきます)
海外のネットカフェで日本語が書けないということは、しばしばあることです。でもほとんどの場合、店の人間はそのことを把握しているし、例えば私が「使えるかチェックするよ」と断って少し触ってみてダメだった時には、「やっぱりダメみたい」「あ、そうだった? 悪かったね」で終わることが殆どです。その時にお金を請求されるなんてことは、少なくとも私の経験ではありません。もちろん、書けなくても読めればいいのであれば、私はそこでパソコンを使って、料金を支払います。
今回の件も、待たされたとしても最終的に出来たのであれば、私は別に何も考えずに最初に座った時からの時間計算で文句は言わなかったと思います。最低料金10バーツ、30分20バーツ、60分30バーツというような料金体系ですから。1分いくらじゃないから。
ともかくね、ごまかされたのに腹が立ったのかな。後はナメられたことと、バカにされたこと、かな。どっちにしても修行が足りない(笑)。後で夫には「1人のときに喧嘩しちゃダメだろ」と諭されました。確かにそうですね、刺されたりしたらつまらないよね、10バーツでさ(笑)

ものすごく長くてすみませんでした。
また、今日も文中に不穏当な表現が多々あります。気分を害された方には申し訳なかったです。




Posted at 14:21 | 未分類 | COM(4) | TB(0) |
2008.01.31

ラオス旅行(3)

ラオスぼけ、またはラオス酔い

ワット・インペンの仏さんの悪戯にあったその夜、ゲストハウスに戻って前の歩道に出ているベンチで酔いをさましていると、昼間大使館で会った日本青年がやってきました。聞けば私と同じ宿に泊まっているとのこと。彼もタイに長期滞在している、いわゆるビザラン組の1人です。
なんと缶のビアラオをおごられている私。どんだけ飲むんでしょうか、こいつは。
このお兄さん、N君は近々帰国してアジア雑貨屋さんを始めるらしいです。完全な同業じゃないけど、近いですね。まだ20代。そっか、私は最近20代の人と話す機会なんかほとんどというか全くないな、と思いました。話してて楽しかった。ありがとうね。
「大使館で最初に見かけたときは、32、3かなぁと思いましたよ、ビンゴですか?」
こらこら、私はさっき、私が旅を始めた時は時代は昭和だったと言うたろうが。私は小学生でバックパッカーだったのか?
「東京の人だから垢抜けてますよねー」
こらこら、お姉さんを喜ばすようなことを言うでない。
しかし、諸君、聞いたか。この二つのフレーズは非常に大事だね、私にとって。このままじゃなく、いろいろ応用して使ってくれたまえ(笑)

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ゲストハウス近くの路地、メコン方向を見る


さて、ラオスで2度目の朝を迎えたのは金曜日。今日は午後1時からタイ大使館でビザを受け取り、そのまま私はタイへ抜けます。午前中はうだうだとご飯食べたり散歩したりして過ごし、N君と一緒に大使館へ。彼は夕方のバンコク・カオサンロード直行バス(公共バスではなく旅行代理店が運営するツーリスト専用バスだと思います)に乗るそうです。
大使館は既に長蛇の列となっていましたが、パスポートの返還が始まると意外に早く、15分と待たずにビザ付きのそれを手に出来ました。無事に2ヶ月のビザを頂き、これで不安なく残りのタイ滞在ができるというわけです。
ちょっと補足しておくと、現在タイはノービザ滞在180日間90日ルール、というものを厳格に適用しています。最初の入国日から数えて180日間に、ノービザで滞在できるのは90日だけ、というルールです。タイは外国人の観光客(全ての国かどうかは?)に対し、無条件(出国航空券の保持が義務付けられていますが、この適用に関しては流動的です、空港とカンボジア国境は適用される可能性が高いと思います)に30日の滞在許可をくれます。これは延長できないので、それ以上滞在したい時は原則としてビザを取りなさい、ということになっていますが、前回の私のようにいったん出国し入国しなおすという方法で、さらに30日の滞在許可が下ります。私の場合、もう一度この方法が使えたのですが、それだとギリギリ90日。ちと足りない。というわけで、ここで一度ビザを購入してしまえば90日ルールから離れてさらに2ヶ月無条件でいられる、というわけなのです。
大使館のゲートを出たところには、ソンツクが何台も客待ちしています。私はタラート・サオのバスターミナルまで行って、2時半のノンカーイ行き国際バスに乗るつもりでした。55バーツでノンカーイのバス駅まで行ってくれるので、格安に上げたいなら絶対これ。それかウドンターニへも同じく国際バスが出てますから、こちらでも。80バーツだったかな(確信なし)。

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ラオ~タイ・バスのキップ売り場

でも、通りの反対側にいるソンツクのおっちゃんが、「ボーダー! ボーダー!」と客を呼んでいます。おっと、ここから直行でボーダーか、それもアリだなと思いました。できるだけ早くノンカーイに入ったほうがいいかなと思って。また宿探して彷徨うのは嫌ですからね。値段を聞くと50バーツ。早く行けるならそれでもいいかと思い、N君とはここで別れ、私はそのソンツクへ。乗り込もうとするとすでに5人のフィリピーナ。私のこともフィリピーナと思い込んでいる彼女たちは、盛んにタガログ語(?)で話しかけてくるのですが、わっかりましぇーん。そのうちにさらに2人のフィリピーナが乗り、総勢8人。姉御肌の女性が運転手と交渉してくれて、1人40バーツってことになりました。
そのうちに私が日本人だということがわかり、彼女たちも英語で話し始めました。みんな流暢に英語を話しますね。自分は全然できないのにな。彼女たちが出稼ぎワーカーで自分が遊び人だなんて、世の中間違ってるよ、ほんとに申し訳ないよ。

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これに乗ったわけじゃないけど、これがソンツクです

「ねえねえ、どこに住んでるの?」
「えーっと、チェンマイ」
「1人で来たの? 1人で帰るの?」
「うん」
彼女たちは顔を見合わせ、ピーチクと小鳥がさえずるように「危ない」「かわいそう」「心配」と口々に言います。
諸君……。
誰も心配してくれないこんな私だが、フィリピーナたちは心配してくれるのだ(笑)。やさしいな、フィリピーナは。なんか好きになっちゃったよ。
「ウドンに行くんでしょ? 一緒に行こうよ、1人じゃ心配」
うんうん、とうなずく全員。
「あ、ありがとう。でも私、ノンカーイで一泊するから」
「ノンカーイ? そこからチェンマイへは何で行くの?」
「えーっと、ウドンへ出て、そこから……、バス」
この時点でバスと決めていたわけじゃないんですが、何かね、フィリピーナたちは当然バスでバンコクへ行くと思ったので、飛行機って言えなくてさ。この嘘つきめ! 
「バス! いったい何時間かかるの?」
「あー、ウドンから多分、14時間くらいかなー」
「ひぇー、じゃ、ワンナイトトリップだね」
「うん、そうなるね」
また彼女たちは小鳥のさえずりを始めます。
「チェンマイでは会社に勤めてるの? 個人のお店で働いてるの?」
「えーっと、小さな店で働いてるよ」
またまた嘘をついているこの私です。だってさ、彼女たち、私が労働者で、違法なんだけど観光ビザで繰り返し入国している人間だと、完全に思い込んでいるんだもん。
「オーナーの人、ケチだよね。日本人でビザ取りに来るのにバスなんて、聞いたことないよ」
「え、そう?」
「そうだよ、みんな会社が飛行機のお金出してくれるよ、外国人はみんなウドンの空港に行くんだよ」
ねぇーっ、と彼女たちはまた全員でうなずきあいます。この場合の外国人は、日本人と欧米人を指しているのでしょう。そしてまた現実には、バンコクやチェンマイ発のビザラン・ツアーは、リムジンバスで連れてこられることも多いらしいです。
「お給料、いくら貰ってるの? ちゃんと生活できているの?」
母のようなこの気遣い……。泣けるよ。
「うーんと、オーナーっていっても友達だから、友達を手伝ってるだけだから、お金は貰ってない」
彼女たちはのけぞりました。小鳥のさえずりが車内に(といってもトラックの荷台だが)響き渡ります。
「ダメだよー、働いたらお金貰う、当たり前だよー。私たちだって皆、ちゃんとお給料貰ってるよ。帰ったら友達にちゃんと言わなきゃだめだよー」
「う、うん、わかった、そうするよ」
それからも彼女たちは、本当は労働ビザを取ったほうがいいんだよ(見せてくれた!)とか、そのための書類は友達に作ってもらわないととか、次にビザ取るときはここじゃなくてペナンへ行ったほうがいいよ(同じ場所で連続2回は拒否されることもあるらしい)とか、いろいろ教えてくれました。すまん、ほんとに。ありがたい、申し訳ない。
やさしいフィリピーナたちと嘘つきの日本人を乗せたソンツクは、やがてボーダーに到着しました。

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昔っぽい雰囲気の街角。ワット・インペン近く


さて。ラオスを出国してしまう前に、ラオスの総括を。
1995年に初めてラオスに入った時、私はバンコクから香港までオール陸路で行けるかどうか、という壮大な(下らねえ)実験をしておりました。当時はまだ、確実にそれができるという情報がなかったのです。少なくとも私はそういう情報に接したことがなかった。結局それは出来て(ベトナムではいろいろやられまくりましたが)、無事日本に帰国すると、手ぐすね引いて待っていたある雑誌の編集部から電話がありました。グラビアを埋めて欲しい、という依頼です。しかも2日で入稿してほしいという超急ぎの仕事。ドタキャンがあったんでしょう(笑)。まだ写真も何も現像していなくてバタバタだったのですが、内容はまかせるというので、「ではラオスでやらせてください」と申し出て、記事を書きました。
タイもベトナムも中国も考えなかった。書きたかったのはラオスでした。それほど私はこの国が気に入ってしまったんです。
以後何度かこの国へは入っていましたが、仕事として入ったことも多く、特に「あー、ラオスはいいなー」と思ったことってなかったかもしれません。でも今回は1人で入ってきて、仕事もしたけど遊びも多く(主にビアラオ方面ですが)、しみじみと、やっぱりラオス、好きだわーと思いました。
1995年に記事を書いたとき、私は「ラオスぼけ」という言葉を使いました。ラオスに入ると人があまりによすぎて、旅人はその警戒心を緩めてしまう、緩めたまま別の国に行くとたいへんなことになる、それほどにこの国の人は基本的に善良である、というような文脈で使いました。何しろいわゆるツーリストに対して国境を開いてまだ1年未満でしたから、今よりもはるかにこの国の人々は善良で控えめであったのです。

今回、私はまさにラオスぼけになり、ラオス酔いになりました。町を歩いていても何をしていても、自分は終始ニコニコしてました。緩みっぱなしでした。それで大丈夫なんです。それで誰も付け込んできたりしないんです。宿を探して彷徨った時ですら、実際それほどの切迫感はなかった。何とかなるだろ、と思ってた。ジャンボ溜りでみんなに泣きつけば、誰かがどっかに連れてってくれるに違いないと確信してた。他の皆も知ってるからそのまま拉致されることもないだろうしね。
例のウンコ事件のあった(リアルですまん)ゲストハウスでも、朝でも昼でも夜でも、誰に会ってもみんなニッコニコで「サバイディー」なんです。ジャンボのおっさんたちとも、値段は交渉するけど、やっぱりニコニコしてやってるんです。
あくまでも、私の今回の旅では、という注釈はつけさせていただきたいですが。それと、一応自分は20年ほどこういう旅をしていて、それなりに場数は踏んでます。上手に対応できるかどうかは別にして、踏んだ土地の数、食ったメンコの数、というものは無視できないかもしれません。この部分蛇足ですが、あまり油断しすぎてラオスにお入りになられると、それはそれで何かが起きるかもしれませんので……、笑ってお読み捨てください。

タイが微笑みの国だとよく言われますが、私は、「いやいや、それはラオスじゃないか」と、確信を持って言いますね。いや、タイもいいけどね、それは認めるけどね。
で、こんだけ酔っ払った状態で暢気にタイへ再入国しちゃったもんだから、この後私はどっひゃーんと、心折れる事件に巻きこまれるんだよ。その話はまた次回。

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これが一番の大通りサムセンタイロード。それがこれですから、他は推して知るべし、か


R0010259.jpg
メコン川べりの道。右手がメコン、土手の上が屋台の出る場所


(追記)
ラオスが正式に外国人に門戸を開放したのがいつだったか、確認しようとしたのですがデータが見つからず、ちょっとこのあたり曖昧です。94年ではなかったかと記憶しているのですが、違うかもしれません。
少なくとも95年5月の時点で、在日本ラオス大使館は、個人に対するビザの発給は行っていませんでした。大使館に問い合わせると旅行社を紹介され、そこから裏ルートで取れと勧められていたのが実情でした。私もこの方法で、たしか2万数千円でビザを取りました。その時点でもしかしてタイあたりでビザを取れば、もっと安く取れたかと思います。が、もう記憶にありません、すみません。
従って、95年に私が入った時点で、ラオスがツーリストに開放されて1年未満という記述には、疑問符を付けておきます。
Posted at 13:55 | 未分類 | COM(4) | TB(0) |
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