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2008.01.31

ラオス旅行(3)

ラオスぼけ、またはラオス酔い

ワット・インペンの仏さんの悪戯にあったその夜、ゲストハウスに戻って前の歩道に出ているベンチで酔いをさましていると、昼間大使館で会った日本青年がやってきました。聞けば私と同じ宿に泊まっているとのこと。彼もタイに長期滞在している、いわゆるビザラン組の1人です。
なんと缶のビアラオをおごられている私。どんだけ飲むんでしょうか、こいつは。
このお兄さん、N君は近々帰国してアジア雑貨屋さんを始めるらしいです。完全な同業じゃないけど、近いですね。まだ20代。そっか、私は最近20代の人と話す機会なんかほとんどというか全くないな、と思いました。話してて楽しかった。ありがとうね。
「大使館で最初に見かけたときは、32、3かなぁと思いましたよ、ビンゴですか?」
こらこら、私はさっき、私が旅を始めた時は時代は昭和だったと言うたろうが。私は小学生でバックパッカーだったのか?
「東京の人だから垢抜けてますよねー」
こらこら、お姉さんを喜ばすようなことを言うでない。
しかし、諸君、聞いたか。この二つのフレーズは非常に大事だね、私にとって。このままじゃなく、いろいろ応用して使ってくれたまえ(笑)

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ゲストハウス近くの路地、メコン方向を見る


さて、ラオスで2度目の朝を迎えたのは金曜日。今日は午後1時からタイ大使館でビザを受け取り、そのまま私はタイへ抜けます。午前中はうだうだとご飯食べたり散歩したりして過ごし、N君と一緒に大使館へ。彼は夕方のバンコク・カオサンロード直行バス(公共バスではなく旅行代理店が運営するツーリスト専用バスだと思います)に乗るそうです。
大使館は既に長蛇の列となっていましたが、パスポートの返還が始まると意外に早く、15分と待たずにビザ付きのそれを手に出来ました。無事に2ヶ月のビザを頂き、これで不安なく残りのタイ滞在ができるというわけです。
ちょっと補足しておくと、現在タイはノービザ滞在180日間90日ルール、というものを厳格に適用しています。最初の入国日から数えて180日間に、ノービザで滞在できるのは90日だけ、というルールです。タイは外国人の観光客(全ての国かどうかは?)に対し、無条件(出国航空券の保持が義務付けられていますが、この適用に関しては流動的です、空港とカンボジア国境は適用される可能性が高いと思います)に30日の滞在許可をくれます。これは延長できないので、それ以上滞在したい時は原則としてビザを取りなさい、ということになっていますが、前回の私のようにいったん出国し入国しなおすという方法で、さらに30日の滞在許可が下ります。私の場合、もう一度この方法が使えたのですが、それだとギリギリ90日。ちと足りない。というわけで、ここで一度ビザを購入してしまえば90日ルールから離れてさらに2ヶ月無条件でいられる、というわけなのです。
大使館のゲートを出たところには、ソンツクが何台も客待ちしています。私はタラート・サオのバスターミナルまで行って、2時半のノンカーイ行き国際バスに乗るつもりでした。55バーツでノンカーイのバス駅まで行ってくれるので、格安に上げたいなら絶対これ。それかウドンターニへも同じく国際バスが出てますから、こちらでも。80バーツだったかな(確信なし)。

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ラオ~タイ・バスのキップ売り場

でも、通りの反対側にいるソンツクのおっちゃんが、「ボーダー! ボーダー!」と客を呼んでいます。おっと、ここから直行でボーダーか、それもアリだなと思いました。できるだけ早くノンカーイに入ったほうがいいかなと思って。また宿探して彷徨うのは嫌ですからね。値段を聞くと50バーツ。早く行けるならそれでもいいかと思い、N君とはここで別れ、私はそのソンツクへ。乗り込もうとするとすでに5人のフィリピーナ。私のこともフィリピーナと思い込んでいる彼女たちは、盛んにタガログ語(?)で話しかけてくるのですが、わっかりましぇーん。そのうちにさらに2人のフィリピーナが乗り、総勢8人。姉御肌の女性が運転手と交渉してくれて、1人40バーツってことになりました。
そのうちに私が日本人だということがわかり、彼女たちも英語で話し始めました。みんな流暢に英語を話しますね。自分は全然できないのにな。彼女たちが出稼ぎワーカーで自分が遊び人だなんて、世の中間違ってるよ、ほんとに申し訳ないよ。

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これに乗ったわけじゃないけど、これがソンツクです

「ねえねえ、どこに住んでるの?」
「えーっと、チェンマイ」
「1人で来たの? 1人で帰るの?」
「うん」
彼女たちは顔を見合わせ、ピーチクと小鳥がさえずるように「危ない」「かわいそう」「心配」と口々に言います。
諸君……。
誰も心配してくれないこんな私だが、フィリピーナたちは心配してくれるのだ(笑)。やさしいな、フィリピーナは。なんか好きになっちゃったよ。
「ウドンに行くんでしょ? 一緒に行こうよ、1人じゃ心配」
うんうん、とうなずく全員。
「あ、ありがとう。でも私、ノンカーイで一泊するから」
「ノンカーイ? そこからチェンマイへは何で行くの?」
「えーっと、ウドンへ出て、そこから……、バス」
この時点でバスと決めていたわけじゃないんですが、何かね、フィリピーナたちは当然バスでバンコクへ行くと思ったので、飛行機って言えなくてさ。この嘘つきめ! 
「バス! いったい何時間かかるの?」
「あー、ウドンから多分、14時間くらいかなー」
「ひぇー、じゃ、ワンナイトトリップだね」
「うん、そうなるね」
また彼女たちは小鳥のさえずりを始めます。
「チェンマイでは会社に勤めてるの? 個人のお店で働いてるの?」
「えーっと、小さな店で働いてるよ」
またまた嘘をついているこの私です。だってさ、彼女たち、私が労働者で、違法なんだけど観光ビザで繰り返し入国している人間だと、完全に思い込んでいるんだもん。
「オーナーの人、ケチだよね。日本人でビザ取りに来るのにバスなんて、聞いたことないよ」
「え、そう?」
「そうだよ、みんな会社が飛行機のお金出してくれるよ、外国人はみんなウドンの空港に行くんだよ」
ねぇーっ、と彼女たちはまた全員でうなずきあいます。この場合の外国人は、日本人と欧米人を指しているのでしょう。そしてまた現実には、バンコクやチェンマイ発のビザラン・ツアーは、リムジンバスで連れてこられることも多いらしいです。
「お給料、いくら貰ってるの? ちゃんと生活できているの?」
母のようなこの気遣い……。泣けるよ。
「うーんと、オーナーっていっても友達だから、友達を手伝ってるだけだから、お金は貰ってない」
彼女たちはのけぞりました。小鳥のさえずりが車内に(といってもトラックの荷台だが)響き渡ります。
「ダメだよー、働いたらお金貰う、当たり前だよー。私たちだって皆、ちゃんとお給料貰ってるよ。帰ったら友達にちゃんと言わなきゃだめだよー」
「う、うん、わかった、そうするよ」
それからも彼女たちは、本当は労働ビザを取ったほうがいいんだよ(見せてくれた!)とか、そのための書類は友達に作ってもらわないととか、次にビザ取るときはここじゃなくてペナンへ行ったほうがいいよ(同じ場所で連続2回は拒否されることもあるらしい)とか、いろいろ教えてくれました。すまん、ほんとに。ありがたい、申し訳ない。
やさしいフィリピーナたちと嘘つきの日本人を乗せたソンツクは、やがてボーダーに到着しました。

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昔っぽい雰囲気の街角。ワット・インペン近く


さて。ラオスを出国してしまう前に、ラオスの総括を。
1995年に初めてラオスに入った時、私はバンコクから香港までオール陸路で行けるかどうか、という壮大な(下らねえ)実験をしておりました。当時はまだ、確実にそれができるという情報がなかったのです。少なくとも私はそういう情報に接したことがなかった。結局それは出来て(ベトナムではいろいろやられまくりましたが)、無事日本に帰国すると、手ぐすね引いて待っていたある雑誌の編集部から電話がありました。グラビアを埋めて欲しい、という依頼です。しかも2日で入稿してほしいという超急ぎの仕事。ドタキャンがあったんでしょう(笑)。まだ写真も何も現像していなくてバタバタだったのですが、内容はまかせるというので、「ではラオスでやらせてください」と申し出て、記事を書きました。
タイもベトナムも中国も考えなかった。書きたかったのはラオスでした。それほど私はこの国が気に入ってしまったんです。
以後何度かこの国へは入っていましたが、仕事として入ったことも多く、特に「あー、ラオスはいいなー」と思ったことってなかったかもしれません。でも今回は1人で入ってきて、仕事もしたけど遊びも多く(主にビアラオ方面ですが)、しみじみと、やっぱりラオス、好きだわーと思いました。
1995年に記事を書いたとき、私は「ラオスぼけ」という言葉を使いました。ラオスに入ると人があまりによすぎて、旅人はその警戒心を緩めてしまう、緩めたまま別の国に行くとたいへんなことになる、それほどにこの国の人は基本的に善良である、というような文脈で使いました。何しろいわゆるツーリストに対して国境を開いてまだ1年未満でしたから、今よりもはるかにこの国の人々は善良で控えめであったのです。

今回、私はまさにラオスぼけになり、ラオス酔いになりました。町を歩いていても何をしていても、自分は終始ニコニコしてました。緩みっぱなしでした。それで大丈夫なんです。それで誰も付け込んできたりしないんです。宿を探して彷徨った時ですら、実際それほどの切迫感はなかった。何とかなるだろ、と思ってた。ジャンボ溜りでみんなに泣きつけば、誰かがどっかに連れてってくれるに違いないと確信してた。他の皆も知ってるからそのまま拉致されることもないだろうしね。
例のウンコ事件のあった(リアルですまん)ゲストハウスでも、朝でも昼でも夜でも、誰に会ってもみんなニッコニコで「サバイディー」なんです。ジャンボのおっさんたちとも、値段は交渉するけど、やっぱりニコニコしてやってるんです。
あくまでも、私の今回の旅では、という注釈はつけさせていただきたいですが。それと、一応自分は20年ほどこういう旅をしていて、それなりに場数は踏んでます。上手に対応できるかどうかは別にして、踏んだ土地の数、食ったメンコの数、というものは無視できないかもしれません。この部分蛇足ですが、あまり油断しすぎてラオスにお入りになられると、それはそれで何かが起きるかもしれませんので……、笑ってお読み捨てください。

タイが微笑みの国だとよく言われますが、私は、「いやいや、それはラオスじゃないか」と、確信を持って言いますね。いや、タイもいいけどね、それは認めるけどね。
で、こんだけ酔っ払った状態で暢気にタイへ再入国しちゃったもんだから、この後私はどっひゃーんと、心折れる事件に巻きこまれるんだよ。その話はまた次回。

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これが一番の大通りサムセンタイロード。それがこれですから、他は推して知るべし、か


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メコン川べりの道。右手がメコン、土手の上が屋台の出る場所


(追記)
ラオスが正式に外国人に門戸を開放したのがいつだったか、確認しようとしたのですがデータが見つからず、ちょっとこのあたり曖昧です。94年ではなかったかと記憶しているのですが、違うかもしれません。
少なくとも95年5月の時点で、在日本ラオス大使館は、個人に対するビザの発給は行っていませんでした。大使館に問い合わせると旅行社を紹介され、そこから裏ルートで取れと勧められていたのが実情でした。私もこの方法で、たしか2万数千円でビザを取りました。その時点でもしかしてタイあたりでビザを取れば、もっと安く取れたかと思います。が、もう記憶にありません、すみません。
従って、95年に私が入った時点で、ラオスがツーリストに開放されて1年未満という記述には、疑問符を付けておきます。
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Posted at 13:55 | 未分類 | COM(4) | TB(0) |
2008.01.30

ラオス旅行(2)

おぼろ月夜

一夜明けたビエンチャン。私は早朝からタイ大使館へ出かけ、観光ビザ2ヶ月を申請しました。
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タイ大使館のビザ申請場所

それから市内に戻り、市場をぐるっと巡って買うべきものを買って早めのお昼ごはん。
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米の麺、トマトと牛肉入り、生ハーブともやしは入れ放題!

午後は市内のあちこちに点在する工房などを回り、仕事しました。午後3時過ぎに宿の近くまで戻り、丁度そこにワット・インペンというお寺があったので、入ってみました。
ワット・インペンは、1995年に初めてラオスに入った時、最初に訪ねた寺院です。その時は、乗り合いトラックに一緒に乗ったフランス人にポンティップという名前のゲストハウスを勧められ、そこに泊まったのですが、そのすぐ近くにこの寺があり、目印というか、サイクル力車の人に宿の場所を教えるのに便利でした。
そんなわけで私の頭にインプットされているワット・インペンなのです。今回訪ねてみると、本堂にはだーれもいなくて、大きな仏像がこっちを見下ろしています。誰もいない寺院が好きな私は、そこで30分くらいずっと座っていました。具体的に何を祈るでもなく。私は敬虔な仏教徒ではありません(つまり意識的には仏にも法にも僧にも帰依しているわけではありません。詳しいでしょ、高校と大学が仏教系だったもので)が、こういう空間はいいですね。心が静かになる。ずっと波立っているものが、次第に凪いでいくのがわかります。宗教というものは、私などにはとても言及できるものではありませんが、人間にとって必要なのかな、ということだけは思います。いや、すべての人が必要とするわけではないのでしょうが。私もすべての時間に「必要だ」と思うわけではないのですが。

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ワット・インペンのご本尊


さて。
こうして一日が終わり、夕暮れが近づいてきました。
夕暮れ…………! あそこに行くべき時間ですよ。
あそこって、そう、メコン川べりの屋台です。昨日はもう夜になってしまって見られなかった日没を、見に行かねばなりません。ついでにビアラオも飲まねばなりません。
勇んで出かけるメコン川。またまた適当に注文して席に着くと、昨日は見えなかった川原がかなりの広さで広がっていて、そこを散歩している人がたくさんいました。メコンははるか彼方、タイの国土の近くを流れています。乾季だから? 6月にどうだったか、そもそもここに来ていないのだから見ていないはずなんですよね。
太陽は雲の隙間からときどき顔をのぞかせる程度でしたが、着実に沈みつつありました。ビアラオも来ました。少したってガイ・ヤーン(焼いた鶏)の半身が来ました。それと一緒に竹かごに入ったカオニャオも来ました。今日はこれで全部です。
するめ売りが炭火の入った入れ物を提げてテーブルを回っています。さすがにこの上するめはね、もう食べられませんね。
昨日もそうでしたが、乞食もけっこう回ってきます。子どもかおばあさんです。かなりの人数がいるようで、同じ人が何度も来るという感じはしません。考えてみると、今までラオスで乞食に会ったことがない、かな? 最近増えているのか、まぁ1つの職業としてここに定着しているのか。
ガイ・ヤーンは食べやすいように細かく切ってあります。でも骨も一緒なので気をつけないと、歯をやっちゃいそうです。柔らかくて実に美味しいです。甘辛のタレにちょっとつけて食べます。
ビアラオによく合いますね、これからはこのセットにしよう。って、明日もう帰るんだけど(笑)。
ガイ・ヤーンをあらかた食べ終わり、お皿をテーブルの向こうに押しやって、本格的にカオニャオでビールを飲み始めました。普通はないと思いますよ、もち米でビールを飲むなんてことはね。私は好きですけど。太陽はどんどん沈んで行き、時々ツーリストが私の近くまで来て写真を撮っています。私はかなりのビュー・ポイントにいたようです。ビアラオも三分の二くらいを飲み、早い話が酔っ払いつつあり、カオニャオはモチモチとおいしく、今日の仕事も全て順調に終わっており、私は上機嫌で暮れていく川面を眺めていました。

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メコンの夕暮れ


そこへ、おばあさんの乞食がやってきました。いつものように「あげられないよー」と笑って手を振る私。それほど切迫感の漂う風体ではなかったので。乞食への対処って、その瞬間の気分というか判断になるわけですが、未だに難しいと思うことがありますね。この時はさして難しいとは思わなかったんだけど。
このおばあさんは私が断ると、テーブルの上をじーっと見て、「このガイ・ヤーンをもらってもいいか?」と聞いてきました。
「いや、あげてもいいけど、食べてない所あったかなぁ」
私はそう日本語で言いながら皿を引き寄せてよく見ました。一切れ、多分手を付けていないのがあったので、「ああ、これがいいよ」と、おばあさんが懐から出したビニール袋に入れてあげました。すると彼女は、「他のももらっていいか?」と重ねて聞く。「いやいや、こっちはさ、私が食べちゃったやつだから、骨だから」と私は言うわけですが、もちろんそんな日本語が通じるわけもなく。私の制止も聞かずに彼女は、これも、これも、と1つずつ、私の食べ残しを袋に入れていく。「キュウリもいいかね、トマトもいいかね」と、付け合せの野菜も入れていく。そりゃ、野菜はいいけどさ。
「ばあちゃん、待ってくれ」
皿に残っていたものの半分ほどが彼女の袋に消えた時、私はたまらなくなって思わず彼女の手を止めてしまいました。彼女は悪いことをして止められたと思ったようで、ちょっと不安そうな顔をしました。
その瞬間、私は頭がかーっとなってしまい、彼女にどうしてもちゃんと焼いてちゃんと売ってるガイ・ヤーンをあげたくなったのです。
「今、買ってくるから。ここで待っとって。いや、今ここの人に頼むから、ちょっと待って」
私は30mほど向こうで炭火の番をしている店員を呼ぼうとしました。
けれど私のしようとしていることに気づいた彼女は、かなり必死な様子でそれを止めようとします。私は止められるままに呆然と彼女を見返しました。ここで商売ができなくなる、彼女はそう言っているようでした。確かに目立つことがあれば、後で嫌がらせされたりもあるんだろうな、と思いつつも、私が口に入れて口から出したものを持って帰ろうとするこのおばあさんが、もうどうにも、堪らなかった。
私が思いとどまったことを確認すると、彼女は安心したようにまた袋の口を開け、うれしそうに1つ、1つと骨を入れていくのです。そりゃ少しは肉も残っていますが。それにしても。

全部入れ終わった彼女は、ニコニコしながら私に礼を言い、立ち去ろうとしました。はっと我に返った私は、思わずもう一度、
「ばあちゃん、待って、いや、待ってください、頼みます」
と呼びかけていました。今ここでこのまま彼女を行かせてはいけない。私の頭の中でそういう警告音が鳴り響いていました。怪訝そうに立ち止まる彼女。私は急いでズボンのポケットを探りましたが、いつもあるはずの小額紙幣の束がありません。カバンか、と思ってカバンを探ると、小銭の束はないけど財布がありました。財布の中には、一定額以上のお札しか入れていませんが、そんなことはもうどうでもよくて、何枚か抜いて小さく畳んで、あまり人に見えないように下から彼女に手渡しました。彼女はびっくりしているようでしたが、私が目立たないように渡した真意はすぐに理解し、彼女もまたそっとそれを自分の懐にしまいました。額も見なかったと思います。私も詳しくはわかりません。それから彼女は私に手を合わせると「ありがとうなあ」と言い、ゆっくりと杖をつきながら去っていきました。
ここで彼女が私に手を合わせたのは、別に私を仏さん扱いしたわけでもなんでもなく、タイやラオスでは感謝の気持ちや相手への尊敬、好意を表すのにごく自然に手を合わせるのです。
その後も私はカオニャオをつまみに残ったビールを飲みましたが、なんだかもう味もよくわからなくて。気が抜けていたのかもしれませんけどね、だいぶ時間も経っていたから。

あの骨は、もともとあのおばあさんは犬にでもやるつもりで持って行こうとしていたのかもしれません。あるいは、ああいう行為が人の心を揺さぶってしまうことを知っていて、やっているのかもしれません。
だから私のことを「バカだなぁ」と思ってくれてもちっともかまわない。乞食にお金をあげても何にもならないのに、と慨嘆されても自分は平気です。
でもなあ。
あそこで平然と彼女のすることを見ていることができる人は、鬼だと思うな。
彼女の所に毎日天使が降りてくるわけでもないだろうし、何日かに一回、あるいは何週間かに一回、愚かな天使(酔っ払い)が降りたっていいと思うんです。

味はわからなくなってましたが、十分にアルコール度は残っていたようで、大瓶1本空になる頃には私はすっかりほろ酔い加減になっていました。お金を払ってそこを離れ、宿に向かいます。最短ルートはちょっと暗い道なので、人通りの多い道から遠回りです。歩いている人も多く、店もたくさん開いています。あちらでもこちらでも、ツーリストたちが歓談しています。
ビエンチャンはいい町ですね。またまた好きになりましたよ。
意識せずに歩くと、私の足は若干千鳥になります。もともと左足がわずかに感覚がないので、ほんの、ほんの少しだけバランスの崩れた歩き方をしているようなのですが、それがさらに、千鳥になる。
「足は千鳥と成り果ててー、遠い月夜を物語るーっ、とくらぁーっ」
などと鼻歌を歌いながら歩いていると、ワット・インペンの前に出ました。境内には坊さんが何人か。ツーリストも何人かいます。ここを通り抜ければ近道です。行ってみました。
もう本堂には入り口に柵がしてあって入れませんが、お堂の入り口は開いていて、奥にいる仏さんが見えました。仏さんと目が合ったとき、あっ、と思いました。

「さっき悪戯されましたでしょう」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「ばあちゃん、寄越しましたよね」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「ノックアウトされちゃいましたよ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「あれはあれでよかったですかね? 自分は間違ってますか?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「そんなことわかりませんよね、すいません、おやすみなさい」
「はいよ、おやすみ」

空を振り仰げば、おぼろ月です。今日は17番目の月。


Posted at 01:31 | 未分類 | COM(4) | TB(0) |
2008.01.29

しゅん・・・

私がいるアパートは先週あたりから塗装工事をやっていたのですが、今朝騒がしくて起きてカーテンをそっと開けると、昨日まであった"竹の足場"が消えていました。終わったようです。それにしても、6階建て(?)なのに竹とロープで足場ですよ。見てるこっちが怖い。

怖いと言えば、昨日の第一稿を読んでしまった方には、私が怖かったかもしれません……。素直に謝っておきます。あの、笑わせようと思っていささか露悪に走りました。いささかじゃないか。すみませんでした。それから、長すぎたですね。

書いちゃあやまる(笑) なら書かなきゃいいんだけど。
それがまた性っていうか、業っていうか……。

夜には夫に怒られました。記事に関してもそうなんだけど、それより何より、いや、皆さんにももうおわかりか、何でバスで帰ってきたか、ということについて。何でタイにいるのか、よく考えろ。って怒られました。返す言葉もありませんね。自分が悪いです。

フライトが満席だったのも事実ですが、本当の本当のところ、自分はバスに乗れるんだろうか? ということを確かめたかった、というのも理由の1つでした。何をバカなことをと思われるでしょうね。バスに乗るって、確認しなきゃいけないほど大事なことなのか? とね。大事だったんです、自分には。

私は脊椎管狭窄症というものを患い、しかもそれは先天的な奇形と青少年期の過度な運動による疲労骨折と絡み合い、どうともよくわからない状態にあります。手術しかないと言う医者もいるし、時が経てばそのまま固まる(いい意味で)かもしれないと言う人もいます。現状では腰椎と骨盤周りの痛みと、左足への坐骨神経痛としびれがあり、小康状態になったり悪くなったりを繰り返しています。
いい時は、傍目にはほとんどわからないほど普通に歩いているはずです。現にビエンチャンで1時間さ迷っても平気でした。
でもおそらく、治ることはないのだろうと思います。できるのは現状維持。それでも経年変化は避けられないだろうから、やはり少しずつ悪くなっていくのではないか、と。
今を通り抜ければ治るのなら、そうですね、バスに乗るなんて考えもしなかったと思います。でもね、どのみち治らないのなら、今しか行けない場所があるかもしれない、と考えてしまう。

1000人の人に聞けば1000人の人が、もうそんなバカなことはやめなさいと言うでしょう。10年後に普通に暮らせている可能性を少しでも減らすようなことはすべきではない、と言うでしょう。でもその1000人の人は、残念ながら、誰1人として、私じゃない。1000人の人の正解が私の道であるのかどうか……。

自分でも、もう十分にやってきたじゃないか、と思う時もあります。十分過ぎるほど、そう、ごく普通に家族を支え、国や経済を支え、職場で必要とされ日々働いている方々から見れば幸福すぎるほど、行きたいところに行き、やりたいことをやってきた。自分の人生なんか、誰の何の役にも立ってない、遊んでるだけみたいなものですから。ずっと遊んできたんだから、もう終わりにしたっていいじゃないか(旅をね)、と思うことはあります。
というか、日々言い聞かせてる。これは本当です。
だけど。
って、この"だけど"をやめなきゃね。
まったく、40も過ぎてるのに不惑どころか、思慮分別もないままですね、自分は。

塗装工事が終わったのでカーテンも窓も開けられるようになり、洗濯物も外に干せてちょっとほっとしています。そうそう、昨日はチェンマイで初めて雨が降りました。ビエンチャンとウドンでも降られたのですが。乾季でも降ることもあるんですねぇ。

バカな記事をナーバスな記事で下に追いやる。どうしようもない。
読んでる人がいるとしたら、えらい迷惑な場所ですね、ここは。基本的に読む人のために書いてはいないんですね、はは。すいません、本当に。嫌だったらいつでも見切って下さい(笑) 後でお酒買ってこようっと。
2008.01.28

ラオス旅行(1)

ビエンチャン・ロールワンデリング(改訂版・相すみませぬ)

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ノック・エアーのかわいい機体


チェンマイからウドンターニまではノックエアーで1時間10分。ほぼ定刻どおり午後3時20分に到着し、そのままリムジンバス(ハイエースだけど)に白人6人と共に乗せられて、一路ボーダーへ。1時間ほどで到着。速攻で出国し、橋を渡る20バーツのバスに乗り、ラオス側へ。窓口で用紙をもらって記入し、無事に入国。入国料20バーツのみ支払う。日本人は現在、15日以内の観光であればビザは不要、したがってビザ代も不要。ゲートを出たところで乗り合いソンツク(3輪のソンテウのことを私が勝手にこう呼んでいる)が呼び込み中だったので乗り込む。タラート・サオ(中央市場)まで30バーツ(最初の言い値は100バーツ!)。

さて。
タラート・サオでソンツクを降りればすぐに寄ってくるジャンボの人たち。前に来て目をつけていたゲストハウスの名前を告げて、みんな「わからん」と言うのを「私が知ってるから」と交渉、5000キップで行ってもらいます。無事ゲストハウスに到着。ここまでは、すんなりでした。ええ、怖いほどに。
ジャンボを下りて宿のロビーに半身だけ入れて、「部屋あります?」と聞くと、「ソーリー、フル!」との答え。おっと、こいつは想定外。そうか、フルか。心配そうなジャンボのおじさんに「フルだったよ。どっか知ってるとこない? あったらそこ行こうよ」と言ってみましたが、英語まったく通じず。しかもこのチャンスを掴もうとする意欲もない(つまり欲のないまっことラオス人らしい人だったんだよ)ので、歩いて探すことにしておじさんには帰ってもらいました。
地図のコピー以外に何も資料を持っていないので、その紙片に目を落としていると、「ねぇ、部屋探してるの?」と英語が降ってきました。
吸い込まれるように顔を上げてみれば!!!
一瞬、クラッとめまいが。老眼の故ではないぞ。近いところから遠くへ視線を移したからくらっと来てるんじゃないぞ。
すげぇー、かわいいイケメンの若い男子だよっ! 
アメリカのね、中西部の農場で生まれたって感じの、干草の匂いのする子だよっ!
タイプ、タイプ、タイプ~~~~~っ!
ま、それは置いといて。とりあえず落ち着け。
「うん、ここ一杯だった」
「僕も今聞いたとこ。ここが1軒目?」
「そう」
すると彼氏は自分のロンプラを私に指し示し、「えーとね、この先の、こことこことこことこことこことここ、はフルだったよ。だからこの先には行っても無駄足だから」
私は脳天カチ割られたような気分になりましたね。普通教えないと思うんですよ、そんなこと。同国人とかならともかく。いい人ですねー、なんて親切なんでしょうか。
何となく2人で「この先」とは逆方向へ歩き出しました。
「いま着いたの? どこから?」
「うん、ウドンターニから」
「そう、僕はサバナケットから」
なーんて会話をしつつ、おっと、そこにゲストハウス発見。当然ここは彼氏が聞きに行きます。すぐに出てきた。フルだったんですね。そう聞くと、
「あるにはあるんだけど……」と一瞬口ごもり、それから、ありえねーよ、という顔をしてみせながら、
「20ドルだって言うんだよっ!」と言い放ちました。
20ドル……。
倹約バックパッカーではない私にとり、出せない数字ではありません。しかし、この流れ、この素直で親切な青年との今後の関係性を考えるに、ここで私が言うべき言葉はただ一つ。
「ワーォ、リァリィー? ソー、エクスペンシブ!」
20ドルなんてありえない、という感覚を共有しないといけませんでしょう、やはり。彼は「でしょうっ? ビエンチャンは宿が高すぎるよ、クレイジーだよ、しかも汚いのにさっ!」としばらく言ってました。私も「うんうん」と聞いてました。
だけどなぁ。
何でここで出会っちゃったんだよ。
こんなかわいい青年にさ。
何でメコンべりのレストランじゃないんだよっ! 
ここじゃダメなんだよ、早すぎるんだよーっ!
なぜかと言うとですね。この状況、彼が見てきただけで10軒以上がフルだっていうこの状況下、私は彼と一緒に部屋を探すわけにはいかんのです。それが旅人の仁義ってもんです。なぜ? と聞かれますか? それはですね、ようやく見つけたのが1部屋だったとすれば、お互い譲り合うってことにもなるだろうし、彼がいい人であればあるほど、女性に譲ろうとするかもしれない。それは私には心苦しいし、彼にしたって「あの人と一緒じゃなければ自分が泊まれたのになぁ」と思うでしょう。だから、ここはお互いのために別れるしかないんですよ、うわぁーん、めちゃくちゃ悲しいーっ!
交差点で彼は右へ行くと言うのに、「じゃ、私は川の方へ行ってみるね」「うん、グッドラック!」と別れ、それから私は宿を1軒ずつ尋ねはじめました。

ビエンチャンのメコン川べりからサムセンタイ通りという大通りにかけての一角は、ゲストハウスの密集地帯です。いつの間にこんなに増殖したんだと思うほど、小さい宿がたくさんあります。だから何とかなるだろ、と高をくくっていた私ですが、ゲストハウスの看板を見つけて近づくと、入り口に「FULL」と張ってあるところが多いのを見て、ちょっと気を引き締めました。何も書いていない宿に尋ねても、「フル」の答えしか返ってきません。
5軒聞いてダメだったときは、まだそれほどめげてはいませんでした。
しかし、だんだん空は暗くなってきます。もうとっくに日は落ちているのです。最初のゲストハウスに到着した時点ですでに5時20分でした。夕暮れです。
10軒目でダメだったときは、さすがにちょっとやばいかなと思い始めました。町はもう薄暮の時間。路地のあちこちに、ビアラオの電飾看板がぼーっと浮かび上がる暗さになりつつありました。宿が決まっている白人たちは、そこここにある小洒落たレストランに集ってもう飲み始めています。その笑い声の横をさ迷うのは、結構つらいものがありますね。
しかも考えてみれば、ウドンの時点で既に腹ペコだった私。ビエンチャンに着いたらすぐ部屋決めてメシ食いに行くだっ! と誓いながらリムジンと国境バスと乗り合いソンツクとジャンボを乗り継いでここまで来たのです。もう腹減って動けません……。でも探すしかない、歩け! 歩くんだーっ!
15軒目でダメだったときには、これはもうダメかもしれない、覚悟せんと、と腹を括りました。
覚悟その1・いっぱいある寺の軒先を借りて寝る
覚悟その2・ジャンボに泣きついてどこでもいいから連れて行ってもらう
覚悟その3・超高そうなホテルにカードで泊まる(こんな私を泊めてくれるならな)
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たとえばこんなホテルとか
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もっとすごいこんなホテルとか

まぁ、このうちのどれか1つはオッケーだろうと思いつつ、さらにさ迷います。もう自分がどのあたりにいるのか、わからなくなってきています。メコンの方角は常にわかっているけど、かなり町はずれまで来ているような……。
16軒目に飛び込んだ宿には、日本語を話す人がいました。ここもフル。「アドバイスください」、10軒目以降は私は全ての宿でこう聞いていました。どっちに行けばありそうか、もう自分じゃわからなくなっていたので。この宿の人は「そこのKPPに行ってみなさい」と教えてくれ、そこに行ってみるもあえなく門前払い。もうこの先には何もなさそうです。ついに野宿か……。夜空を仰ぎつつ呆然と通りを見渡していると、斜め前に目立たない宿の看板が見えました。
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真ん中の色のついてる細長いのが宿

どうせダメだよね、誰も私を泊めてくれないんだよね、もういいよ、と思いつつ一応ロビーに顔を突っ込んで聞いてみます。
「部屋あります?」
「イエス」
ああ、やっぱり……。と首を引っ込ませながら、「あれ、今イエスって言いました? イエスって、あるってこと?」と思い直し、あわててもう一度首をっ突っ込んで
「今、あるって言った?」
「言いましたよ」
「…………、泊めてくださいっ!」
「10ドルなんだけど」
「いいですっ!」
「部屋見ますよね?」
「いいえ、見ません、いいですっ!」
見たってしょうがないじゃないですか? 見て嫌だって思って、そいでどうするの? また探すの? もうやだ。
手続きをしながら、お兄ちゃんが「ねぇ、すごく疲れてるみたいだけど」と聞くので腕時計を見ると、6時半近い。1時間以上も町をさ迷ったんですね、私。
「えーっ、1時間も?」
「そうだよ、ここ18軒目だよ。それもFULLって書いてあるところは数えてない、聞いた数だけで18軒目」
「まじっ?」
「まじだよ」
そこへガタイのいい白人の兄ちゃんがぬっと首を突っ込み、「部屋ある?」と聞いたのですが、答えは「FULL!」。白人の兄ちゃんはすぐに去っていきました。
「ねぇ、最後の部屋だったってこと?」
「そうだよ」
「あーーーーー。それってさ、私、超ラッキーで超ハッピーってことかな?」
「うーん、メイビー(苦笑)」

それから私はお兄ちゃんに案内されて部屋に行きました。3階の階段に近い部屋で、一応バスルーム付き。構造上、部屋のドアを閉めないとバスルーム方向へは行けなかったので、ざっと部屋とベッドだけ見て「うん、いいよ」といいました。まぁ、文句はないけど、実感としてはこれは3ドルから4ドル、それ以上取ってはいけない部屋じゃないかと思いましたけどね。首都だからしょうがないか。
R0010245.jpg
寂寥感ただよう壁の落書き・・・

バルコニーの方に行くお兄ちゃんを見送ってドアを閉め、荷物を下ろし、それから「よしっ、メシを食いに行くぞっ」と自らに気合を入れ(別に気合は必要ないけど)、その前にトイレに行こうとバスルームに向かいました。(ここから先、お食事中の方はお控えください)
するとっ!
そこで私を待っていたのはっ!
山盛りの、えー、何しろ、あれでした。
いったい人間というものは、一度にこんなにする動物なんですか? と冷静に聞きたくなるような。
私は反射的にレバーを押していました。とりあえず目の前から消えてほしいからね。
ところが、なんか、むぉわーっと盛り上がってくるではないですか! しまった、詰まってたのか? これがこのまま盛り上がってあふれてきたら、どうすりゃいいんじゃ、わしは!
私はあわててお兄ちゃんを呼びに行きました。幸いすぐそこにいた彼をつれて戻ってみると、おお、一応トイレはブツを吸い込み始めていました。お兄ちゃんは情けなさそうな顔をして「オー、ノークリーン」と呟きつつ、もう一度レバーを押しました。さらに吸い込まれていくブツ。しかし何と言うか、綺麗にはならないのですよ。
「トイレだけでいいから掃除してよー」
「掃除の人が5時に帰っちゃって」
「えーっ?」
「僕はできないんだ……」
「………………」
お前のその手はーっ! 神の手でーっ! だから便所掃除はできないとでもっ!? 私に掃除しろとでも!?
「明日の朝一番で掃除させるから、ごめんね」
う、うーん……。謝られると弱い……。
私は兄ちゃんを許すことにし、それからメコン川に向けてダッシュしました。

メコンの川べりにはたくさんの屋台が出て、それぞれテーブルと椅子も並べて賑やかにやっています。ここで川風に吹かれながらビアラオを飲むというのが、ビエンチャンの定番娯楽らしいのです。
今まで旅先で酒を飲むことがなかった私。夫も旅先では飲まない性質なので、ビエンチャンには何度も来ているのに、一度もその定番娯楽を味わったことがありません。一度くらいはやってみるかという思いと、あとは1人なので屋台のほうが気楽というのもあって、突撃してみました。
炭火でチキンだの魚だのブタだのを焼いている屋台に近寄ると、おばさんが手招きしてメニューを見せてくれました。いろいろあるんですね、知らなかった。説明もしてもらって、1人だからなぁと考えた上、揚げ春巻きを頼むことにし、それからこの餓鬼のように減りまくっている胃袋のためにフライドライスも頼み、「それからえーと、あのさ」と言いかけると、おばさん、わかってるわよーと満面の笑みと共に
「ビア・ラオだねっ!?」
「イエーーーーーーッス!」
半径20mには響き渡ろうかっつう声で返事してしまいました。
川に最も近いテーブルに近づき、一人で飲んでる白人の兄ちゃんがいたので「ハーイ」と軽く挨拶し(タイプじゃなかったんだよ、残念)、自分も座りました。もうすっかり暗くなっているのに、最後の残照が空と大地のあわいをぼんやりと浮かび上がらせていました。
いやぁー、大変な一日でした。ビエンチャンに入ってくること自体はぜんぜん大変じゃなかったけど、宿がないのにはいささかめげそうになりました。おまけに山盛りの……。
そんなわけで、今夜の私が飲むにあたって、異論を差し挟む人はないでしょう。ビアラオ、謹んでいかせていただきます。
 
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大瓶だし・・・

Posted at 15:53 | 未分類 | COM(5) | TB(0) |
2008.01.27

野越え山越えはるばると~

チェンマイに帰着しました。お久しぶりでございます。

えー。
今日の午後2時半頃に、チェンマイ・アーケード・バスターミナルに到着。完全に寝ぼけていて、そこがチェンマイだと気づくまでに相当な時間が必要でした。乗客のおじさんに聞いちゃったよ、「ここ、チェンマイですか?」って。この間も来たばっかりだろ!

で、何でバスなんだよ…………。

これには深い理由があるのですが、今日はとても書けそうもありません。
いや、今日乗ってたのは6時間くらいなんですけどね。ピサヌロクから。
昨日はトータル8時間半? くらいですかね。ノンカーイからウドン経由。
さすがに椅子に座るのはもう無理です(笑)

♪みんなわかってるから~
誰も何も言わないでくれ~♪

4泊5日でしたが、久々に1人で動いて宿探して色んなことがあって、楽しかったです。すごくよかったこともたくさん、えぇ、若干心折れることもありまして(これがバスにつながる・笑)、でも最終的にはタイの皆さんが帳尻を合わせてくれて、楽しく帰ってきましたですよ。

この短い旅のご報告は、また日をあらためて。


帰着して開いたメールボックスで、友人の無事の出産を知る。よかったよかった……。なぜって私と同い年。本当によかったねぇ! 望んだ人すべてに授かるわけじゃないから、余計に、おめでとうの気持ちも大きいです。落ち着いたらまた連絡ください。まずは心の底から、おめでとう!

以下私信
今日はニュース9がない日なので、日本時間午後9時のスカイプ開局願います、どーぞ!
2008.01.22

ラオスへ

080122zack.jpg
荷物なんかナンもない……



明日からラオス(LAOS・ラオ)へ行ってきます。
いろいろ回ろうかなぁとも考えたのですが、今回はビエンチャンだけで戻るつもりです。
イーサン(タイ東北部)も何年か通過するのみでご無沙汰だから回りたいんだけど。

友人夫妻は帰っちゃうけど、イーサンは帰らないから(笑)

現地で何があるかわからないので、行きの航空券しか持っていませんが、
帰りは27日になると思います。
もうバスはあかん。13時間だし。
ロートルはおとなしく飛行機に乗って帰ってきます。
ウドンターニとチェンマイ間を飛行機が飛ぶようになって、北タイと東北タイの移動が楽になりましたね。今回もそれで往復する予定です。

それでは、また


Posted at 18:28 | 未分類 | COM(4) | TB(0) |
2008.01.21

まんぞく

080121sake.jpg


ここに来てからずっとやってきた仕事が
ひとつ終わった
完成ではないけれど
最後まで走ったのでよしとする

さて次は 優先順位1番の
あいつをやらないと

午後 なつかしい声を聞く
古い旅の友人夫妻が近くの町に到着
初めて会った日からもうじき19年かな
月末には会えそうだ

今夜はきっと
お酒も美味いはず……

写真はジンのラベル。ところでこの動物って何?

2008.01.20

間が悪い

タイ時間の夜7時にテレビをつけると、このアパートではNHKのニュース9が見られます。平日はここからの1時間は日本語で日本のニュースを見ていることが多いです。
昨日は土曜日なのでこれがない。あちこちチャンネルを変えていると、トム・ハンクスのロード・トゥー・パーディションが始まったばかり! これ、観たかったんだっけとヨロコんで観始めました。相変わらずタイ語の字幕ですが、ストーリーが至極単純なのと会話もシンプルなので、十分楽しめました。トム・ハンクスは今まで観た中で一番カッコいいかも。ポール・ニューマンは年を取った……、でも相変わらずいい味。
バンドで吊ってはくズボン、ワイシャツの上には必ずチョッキ、そしてジャケット、そしてウールのロングコート、そして帽子。大恐慌時代のアメリカの男たちって皆こういう格好してたのかな。酒場の雰囲気。夜の暗闇と雨、雨、雨。うぅー、しびれるな。妻と次男を殺されたトム・ハンクスと、生き残った12歳の長男が復讐(逃亡)の旅に出て、男同士の絆が深まっていくのですよ。こういう映画は好きだな。

これだけ人が死ぬ映画でハッピーエンドはありえない、と思いつつ見ていると、やはり復讐を終えて親子2人でしみじみしようかってところに、銃弾が! ああ、トム・ハンクス、死んでしまうの? 何てこった、この殺し屋生きてやがったのか! 子どもは大丈夫なのか? 子どもはっ!
ってところで! つまりはラストシーンの5分前で! 

ポンポンポンポポンポンポン………
間抜けな音でスカイプが鳴る………………

いくら愛する夫の声とはいえ、今はな、トム・ハンクスが最後に息子になんて語るのかを聞きたいよ。それからこの子どもがどうなってしまうのかを知りたいよ。でさ、最後にこの子どもが自分で運転してあの農場に帰るシーンね、犬がこう、先に畑を駆けていくあのシーンね、家族をすべて失ったこの子が、きっと優しい農場主夫婦に受け入れられ、愛されて生きて行くのだろうと思えるあのシーンね、あそこでたっぷり5分くらい泣きたいんだよーっ! 

そんなわけで、ちょっとだけ不完全燃焼な夜でした。日本に帰ったら絶対見てやる。

夜遅くにもう一度テレビをつけたら、隣のトトロをやっていました。タイ語字幕ですが、喋りは日本語! 最後の20分くらいでしたが、いやぁー、ねこバスに癒された(笑)
2008.01.19

仕事しろ

このところ休みすぎ&遊びすぎでした。
深い反省の下、来週のラオス行きのことを急に真面目に考えたりして。
夜にはスカイプで日本残留本部長から「ところで仕入れだけど、進んでるの?」と鋭い突っ込みが! う・・・、進んでないです、すいません。早急に対処します!

ちょっと調子を崩したとか何とか言いつつぐだぐだと、もう1月もぼちぼち3週間。早いものですね、私の在タイ予定も半分近くまで来た? まだもうちょっとかな。
来週はビエンチャンへ行くので、ラオスの工房や市場など、また回ろうと思います。腰が悪いピークに重ならなくてよかったです……。

気持ち悪いくらい殊勝なまま、本日はこれにて。
日本は相当な寒波が来ているようですね、皆様風邪などお召しになりませんよう。古傷のある方は温めてくださいね。ではまた。



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2008.01.18

我如何にして生くるか

今日は金曜日。皆様きっと一杯飲んでご機嫌でそろそろお寝みではないかと思いつつ、えー、2時間時差のあるこちらでも追随しております(笑)。今日はすこし腰の状態もよくなり、久々に町に出てきました。状態がいい時はちと歩き、ダメな時は寝る。そんなこんなで、淡々と日々は過ぎていっております。

さて、今日はチェンマイのキッチンのないアパートに於ける自炊風景。
えー、私が今借りている部屋は、全部で20平米ちょっとなんですが、冷蔵庫はあるけどキッチンはありません。部屋の一角が水周りになっていて、ここにシャワーとトイレと洗面台がまとまっています。ここには壁の低い位置に1つ蛇口があり、簡単な洗濯などはバケツがあればできるので便利です。洗面台だけだと、さすがに洗濯は厳しいものがありますよね、特にズボン類はね。え、ズボンもバケツで洗っているのか、というご質問ですか? もちろんそうですよ! ただし腰の状態がいい時に。
アパートにはコインランドリーもありますが、そんなに溜まらないですからね。ほとんど服持ってないしねぇ。毎日悩むのは、5枚あるうちTシャツはどれ着る? ってだけなので、非常に楽な生活です。あ、私の場合、日本にいても同じですが(笑)

さて、料理始めるぞーっ!
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野菜を切るだ。ちゃんとまな板、ちゃんと果物ナイフ。ちゃんと足拭きマット。衛生上特に問題はないと思うぞ、自分としては。自分で買ってきて、自分しか使ってないマットだからね。でも今、私を友達リストからはずした人が2人くらいはいそうですね。他に場所がないんだよ……

こんな材料も使います!
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これは米麺。フォーみたいなものですね。煮るとブチブチ切れてしまいますけど。ほんのちょっと独特の酸味が感じられるので、調子が悪い時は食べられません。この、さりげなくワラで括ってあるのがいいでしょ。

よしっ、煮るぞーっ!
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初めて通電したときは煙がモクモク出て爆発するかと思ったこの電熱器ですが、その後は煙も出ずにちゃんと働いています。中国製のコンセントコンバーターも無事に電気屋で買えました。火力調節はできないので、コンセント抜き差しで調節。この電熱器を設置する適当な台はないので、床のタイルの上でやってます。いちばん事故もなさそう。

煮えとる、煮えとる!
080117ryori2.jpg

野菜が煮えていく様子っていいですよねー。私はベジタリアンじゃないけど野菜好きの人間なので、うん、この光景は好きだ。で、ここんとこ思想について考えてるんだけど、これは思想とは……、ぜんぜん関係ないな。

できたぞーっ!
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バカ言ってないで、出来たら食べるだよ。えーとこれは何だ? あ、野菜カオトンですね。野菜雑炊ですね。そうそう、昨日はまだ胃腸の具合がいまひとつだなと思って、雑炊にしたんだった。普通のご飯(タイ米)で作るとサラサラのができるし、カオニャオ(もち米)で作るともちもちっとした雑炊ができます。最近はカオニャオが気に入ってます。

1日2食が外食だとけっこう気分的にきついので、今は自炊しちゃうことも多くなりました。特に具合が悪いときはね、やっぱり雑炊とかがいいですもんね。もちろん出かけたりすれば全部外食だけど。アパートの極近くにはあまり気軽に食べられるところがなくて、その点が今のところここのデメリットかな。まぁ、周囲の住人がうるさい、というのは選べないこととして。

飲むぞーっ!
080118sake.jpg

えー、これは昨夜の写真。体調がいまひとつで雑炊を食っている割には、なぜ飲むのか、自分は。いつからこんな女になったんだ(笑)
でもほら、体調がいまひとつ悪い → お湯割 、賢明かしらと。お酒はジンです。中に入ってるのはご推察のとおり梅干です。え、梅チューお湯割りみたいでオッサンくさい? ほっといてくれ!

昔仕事でお世話になった方が、「つかれ酢」っていう顆粒をいつも持っていて、それと一緒に飲むと悪酔いしないと言ってましたー。つかれ酢ってのはクエン酸だったので、梅干と一緒でしょ。
梅チュー飲んで絶対に悪酔いしないとは言い切れないが。現に昨夜は高橋和巳に会ってしまった(笑)、いや、しかし、うれしかったのでいいんだ。
さて今夜は誰が、って、奥さん、1人暮らしじゃないんですか?

ではまた。

※高橋和巳って誰、と思った方はどうぞ検索かけてみてください。勿体ぶるわけではありませんが、的確な答えが出ますので。私の卒論対象です。



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Posted at 23:29 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2008.01.17

大雪警報

北海道では氷点下30度を下回った所もあるそうな。今年の日本は寒い冬ですね。軽井沢もハンパじゃなく寒そう。ロバのぼやきが日に日に切迫度を増していく……。

えー、昨夜は東尋坊に向けて出発したのですが、大雪警報発令中で行けないみたいだったので、部屋に戻ってアタマ抱えて悶々と朝5時まで! いや、慙愧の念に耐えかねて、ってだけじゃなくて、最近突如として増殖している模様の韓国人がうるさくて。
旅行している関係で、中国人とインド人はとりあえず地声がデカい、ということは知っていたのですが、韓国人もそうだったとは知らなかったなー。中国とインドに関しては国土も広く、需要に供給が追いつかない関係で、自己主張を激しくしなくちゃ生き残れないという理由があると思っていたけれど、韓国はこれはどういう理由なんだろう。この人たちだけか? それにしてはこのフロアーだけで5人はいると思われる韓国人、揃いも揃って人間とは思えないうるささだ。
今やスカイプ君はかわいいペットと化してます(笑)。時々、君もうるさいけどね。
あ、でも考えてみれば、スカイプ君、どこにも行かないで、という状況なんだな。これで両側から挟み撃ちされるとかなりキビしいものが……。それにしてもいつの間に住人変わったんだよ、私の隣。

寝不足なんでエンジンかかりません(笑)。かからないほうがいいという声も聞こえるような気がするが、気のせいか?

今日も不発弾ですが、前の記事をとりあえずもう下げたほうがよかろうと思いますので、これで投げます。日本と時差があるので、今日の3本目に数えられてしまうんですね。変な感じ。



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Posted at 17:27 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2008.01.17

火事お見舞い

本日2本目になってしまうのですが、昨夜決まった芥川賞・直木賞のニュースを見ていて、軽井沢の小池真理子氏、藤田宜永氏ご夫妻のお宅で火災があったというニュースに接しました。16日午後5時ごろ出火したとの報道です。ご夫妻ともお怪我もなくご無事とのことです。
日本でも大きく報道されているでしょうから、どうしようかと迷いましたが、一応、皆さまにお知らせするとともに、町民そして一読者としてお見舞いを申し上げます。

なお、このようなお知らせを載せましたので、当分「ブログ拍手」は控えさせていただきます。ご了承くださいませ。

2008.01.17

ビトレイヤー(?)

日本は寒そうですね。軽井沢なんか連日真冬日、とうとう最低気温が氷点下10度を下回り始めました。ここは……、あったかいです。すまん皆の衆、この裏切り者を憎んで気が晴れるなら、いくらでも憎んでくれていいぞ、ここまでは届かん、多分。

えー、今日はそんなに長くないです、内容もないですが(笑)

昨日のオチのディカプリオ、あそこはマット・ディモンと迷ったんですよね。ただ、マット・ディモンはアクションのイメージ、ディカプリオはロマンスのイメージもありません? どう?
そういえば、昔「アウトサイダー」という映画(1983年公開)があって、その主演がマットつながりでマット・ディロンでした。この人もかっこよかったですよね。

1983年かー。昭和で言うと58年? 
この映画、当時付き合ってた人と見に行ったんで、よく覚えてるんですよね。原題はアウトサイダーズ、と複数形になってて、その意味について喫茶店で話したりしちゃって。いやぁ、かわいいなー。その人は私よりずっと賢い人だったから、いつも尊敬してたな、私。そうそう、その人と最初に見た映画は「セーラー服と機関銃」でした、相米監督の(もちろん私が見たいと言ったんでしょう、きっと)。はぁー。
おいおい、何を遠い目になってんだよ、素面で。

今日のシメ。
愛は尊敬からはじまる。こともある。
うん。
しかし、尊敬からはじまった愛も、壊れるときはぐちゃぐちゃだ。
ね。


先日の天罰以来まだお腹がいまひとつで、飲めない→くぅー→眠れない、おまけに渾身の力作を連投したらさすがに疲れたっす、今日はこんなところで。こんな不発弾落としてると、また東尋坊に行きそうな気もする(笑)

ではまた

Posted at 00:06 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2008.01.15

ラブじゃなくて……

爆弾落としておいてその後フォローもせず失礼つかまつりました。別に「読めよ、読んでコメントしろよ」という意味合いでサゲなかったわけではなく、えー、今日はその説明の話をいきます。ラブじゃなくて別のところにフォーリングしちゃった、という話です。おまけに空からもフォーリングするものが♪
今日も長い&くだらない、です。心せよ。できない人はスルーで(笑)

実は前回の記事を書いた後、最初は上機嫌で「初恋の思い出の酒」なぞを飲んでいたわけなんですが、2時間後には私、自らを東尋坊に引っ立てて行き、海に突き落としておりました。その海の名は、後悔と反省。「あちゃーっ、やりすぎたー」という後悔と、「もうちょっとお前、表現への配慮とか、いきなり5段の跳び箱じゃなくて2段からとか、そういうのないのかよ」という反省と。
で、一夜明ければ起き抜けの一曲目が「エレーン」……。ばたり(気絶する)。あ、「エレーン」をご存じない? うーん、ま、いいか。「生きていてもいいですか」と問うことを衆生に求め、挙句の果てにその答えは「否」だってことを暗示してくれちゃう、中島みゆきの5本の指には入ろうかという救われない歌なんですよ。よりにもよって、ですよ。こんな朝に。
で、怖くてこのブログも一回も見に行かず(笑)、ひらがなの「く」と「よ」の漂う海で(「くよくよ」だよっ)、自分を罵りたおしながら過ごしたのでありました。

そうこうして一晩と丸一日が過ぎ、そろそろ許してやってもいいかと思った矢先、今度は空から「天罰」が降ってきたではないですか。その天罰ってのは思い返すだに恐ろしい、頭には電動ドリルが5本ほど突き刺さり、両肩と背中には石地蔵が1体ずつ都合3体乗っかり、その状態のままトイレに這いずって行き、先日友だちになったバケツとさらに親密度を深める、といった具合で……。
いやもう、せっかく岸に泳ぎ着こうとしていたのに、私はまたびよーんと沖合いはるかまで流されていってしまったのでありますよ。た・す・け・て・ー・っ!

私は長時間は泳げませんし、そもそも腰が悪くて平泳ぎができない、クロールで海に長くいりゃ「死ね」と言われてるも同じ。こりゃもう駄目だ、とりあえず石地蔵だけでも何とかしてくれと、藁にもすがる思いで何度か携帯電話に視線が絡みつくのですが、いや、私は子どもではありません。大人はどんな状況も1人で乗り越えてこそ、おとな。
しかも私はですね、去年の夏から秋にかけて
「私、1人になっていろいろ考えてみたいの(憂いを含んだ目線付き)」
なぞと倦怠期の人妻みたいなことをほざいて、おっと失礼のたまって、ご丁寧に近所の人にも宣言したりして、チェンマイ行きを決めた経緯があるわけでして、さすがにね、帰りたいだの迎えに来てだのといった甘ったれたことは、口が裂けても言えませんわね。しゃあない、1人で流されるか……。

そうこうして2日と3夜が過ぎ、ようやく今朝になって、私は砂浜に打ち上げられている自分を発見しました。
ザッパーン、ザッパーンと波の音。砂の白さが目にまぶしく、頬をなでる風は温かくやさしい。東尋坊で飛び込んだ割には、私はずいぶん南まで流されて行ったんですね。まぁそれはいいや、ああ、助かったーと安堵して目を瞑る私。
すると次の瞬間、私はふわりと誰かに抱き上げられて、波打ち際から運ばれていく。薄く目を開けて見れば、私を抱いているのは褐色のたくましい腕であり、引き締まった厚い胸板であり、さらに視線を動かしていけば、青い瞳も涼しげな、イケメンの島の王子様……!? もしくはディカプリオ……!?

お前、何も反省してないじゃないか。

えー、お粗末さまでございました。とりあえず私は元気で生きとります。
ではまた
Posted at 16:59 | 未分類 | COM(6) | TB(0) |
2008.01.13

フォーリング?

[ご報告]テンプレートを変えました。小さなノートパソコンを使っているので、字が小さいのが気になってしまって・・・。

いやぁ……、昨日は酔っ払ったあげくに人生最初の恋愛の話まで書いてしまい、すいませんでした(誰にもわかってないか)。うーん、まぁ、色々あるってことで(だから誰も気にしてないって)。

腰痛の話はできるだけやめとこ、と思ってるんですけど、実はずっと状態が悪くてどこにも行ってなくて、ほかに何も触れることがない。情けないー。こんなんじゃ日本にいたって同じだよとヤフー・ウェザー・軽井沢を見ると、明日の最高気温は氷点下4度。・・・喧嘩売ってますね? 帰れないよ(笑)

腰痛ネタで申し訳ないのですが、暗い話じゃないので安心してください。
先日スーパーで、文字通り動けなくなりました(ここだけちと悲劇)。こういうことって初めてだったんですけどねー、何なんでしょうね。ともかく、骨盤がキマった、って感じでした。説明のしようがない。足が出なくなっちゃって。しばらく立ってました。こりゃまずいなー、帰れないじゃんと思っているうちに(割合冷静)ちょっと緩んだので、「今だ!」とばかりにカゴはそのへんに捨てて、そのままそろりそろりとアパートに向かいました。

スーパーの出口には、でっかい段差があります。その手前で、「どっちの足から行く?」と自分に聞いたときのことですわ。
「大丈夫ですか、マダム? 手をお貸ししましょうか」
と、ビューーチィフルな英語が響いてくるではありませんか。どっちかと言うと後半へのつなぎのために「マドモアゼル」と言って欲しかったがな、あ、マドモアゼルはフランス語なのか?(笑) まぁそれは置いといて、差し出された手の先を見れば、おお、そこにおられるは西洋のお方、この完璧な英語からいって、間違いなく英国貴族ですわよ。
私はとっととその手を握りました。躊躇などいたしません。ええ、どなたかも書いているじゃないですか、「目の前を横切るチャンスはつかみ取れ」ってね。(あ、アシカさんだったかな、いつもお世話になっております……)

まぁ、想像してみてくださいな。
ここはエキゾチーックなサウスイースト・エイジアの国の、これまた北方の薔薇なんぞと呼ばれている街。北方の薔薇! なんともまた耽美な響きではございませんか。
で、その街角にたたずむのは、病弱で可憐な東洋の国の娘ときた(異論は後で聞く)。で、その娘に"やさしく白き"手を差し伸べているのは、遠いエウロッパから旅してきたイギリスの貴族だよ。マンゴーの香り漂う空気の中でな。

えっ、どうだい、ここまで舞台が整えば、こりゃ立派にフォーリングだろうが! どこにってアンタ、決まってんじゃないか、フォーリングの先にはラブしかないんだよ!
と、いや、ま、そこまで喧嘩腰にならなくてもですね、ここは握った手を離さず、だ。
そのままひたと見つめ合って、だ。
手に手をとりあって、だ。
どこまでもついていくでしょうが。
当然彼のお部屋まで連れてってもらっちゃうでしょうが。
天蓋付きのベッドで看病されるべきでしょうが!
だって、私だってまだ、まだ、女なのよーっ! 
あともう一花も二花も咲かせたいじゃないのーっ!(咲かせんでいい……)

しかし、惜しかった。
英国貴族であることには間違いはなさそうだったが、彼はおじいちゃんだった。
彼と私がセットになった日にゃ、どこから見てもありふれた、白人ジイサンとタイ中年女のカップルだよ。最後の日にチェンマイ空港でねっとりとジイサンを見送った次の瞬間、くるっと踵を返して「けっ、思ったよりケチなジジイだったぜ」と呟くあれ、な。しかも忘れてたけど、私、肝心のタイ語が喋れないから使えねー(笑)

そんなわけで、チェンマイ暮らしも甘くはない。
と、そういうオチでいかがでしょうか。

よし、キマったな。じゃ、今日も飲ませていただきますw

あ、そうだ、あの時の西洋のおじいさん、まことに助かりました。ありがとうございました!(こんなネタにしておいてナンですが)

注)あの、私ですね、昔からこの手の話は得意なんですよ、ええ、今までずっと普通の人のフリしてただけでね。で、これは連休特番つうか、サービスですから! ギャグですからね! ですから何が言いたいかって、「奥さんアタマおかしくなっちゃったみたいだから連れ戻しに行ったら?」と、夫に言いに行かないでくださいね。妻がこのくらいバカだということは、夫はもう知ってますので(笑)
Posted at 00:40 | 未分類 | COM(4) | TB(0) |
2008.01.12

じゃ、飲みますか

アパートのサーバー(回線?)と一緒に数日ダウンしてました。このアパートは時々こうして回線が死にますね。どこもそうみたいなのですが。
友人曰く、「復旧するだけすごい」。むむむ、確かに言えてる。さすがチベットに行った女の言葉は含蓄が深いのぉ。学んだぞ。

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さて。
公には、私は飲めないことになっている。
実は、飲める。
夫はビール2口で背中まで真っ赤になる体質だが、私は顔色も変えずに日本酒を飲む女だ。しかし、突然決壊する。だから飲めないことにしてあるのだ。突然決壊されたら誰だって困るだろうと思うから。
まぁ実際には、家でもほとんどというか全く飲まないので、好きというわけではない。
が、ここチェンマイでは・・・。
飲まずにやってられっかい、ヒェーック 状態。
うそうそ。
冗談ですぞ、私はアル中になって帰国したりしませんぞ。
でもま、結構好きで飲んでるかも。寝られるし。ほんとは寝るために飲んじゃいけないと聞いたことがあるけど、そんなの関係ないもんね。鎮痛剤漬けになるよりも、アルコール漬けのほうがいいと思うんだが。梅だって杏だって、焼酎に漬けりゃ食えるけど鎮痛剤まぶしたって食えないんだよ! って、誰にけんか売ってるんだよ……

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まぁまぁ奥さん落ち着いて。
今日はツマミもあるからね。
ほらっ、ブタ串だよ、1本5バーツだよ。

ステンレスのマグカップで飲んでるとあまりにわびしいので、ちゃんとグラスも買ったっす。ロックアイスも常時冷凍庫にスタンバイ。で、何を飲んでるかって、ジンライムもどき。人生最初のカクテルがジンライムだった……(ノスタルジアに浸る)。鈍い方のために解説しておくと、これは不肖ワタクシ、人生最初の恋愛シーンですからね、いいですかぁ。

と、既に酔っ払いモードに突入しておりますので、本日はこれで失礼させていただきます。お、日本は三連休ですね、皆さん楽しんでくださーい!
2008.01.08

めでタイ

なんとか抜け出ました。なんとかなりそう。安堵。

で、4日ほど引きこもってしまったので久々にソンテウに乗って中心地に出かけました。ソンテウは椅子が低いのでちょっとまだ、乗らないほうがよかったかもでした。
前によく行っていたロイクロー通りの古本屋さんにルンルン気分で出かけたのですが、消えとる・・・! 日本の本もたくさんあったのにー!
落ち込みつつターペー通りを探しながら門までゆっくり歩き、門の外にあるゲッコーって名前の大きな古書店にも行ったのですが、日本の本は・・・。その隣にちょっとあったけど、読みたいものはなかったです。
こんなに日本人いるのにね。きっとどこかにあるんだろうけど。

そのままソムペット市場まで歩き、おかずを物色していると揚げた魚を発見。おばちゃんは「イープン・フィッシュ、10バーツ」と言うのだが、うーん、日本の魚ですか? そこの堀の魚とちゃうんですか? さっきおっちゃんが網放ってましたよ。「違う違うー、メーピンメーピン!」 メーピン川もなんだかな。
でも魚はずいぶん食べていないのでそれを買うことにし、ついでにカオニャオと野菜炒めとバナナも買って帰宅。

で、魚ですが。
タイみたいなんですよ。
メーピン川ですかね・・・。
何年か前に村の友人宅でやはり白身の魚をご馳走になり、その時に聞いた話が、日本からタイ(鯛)の養殖技術を寄贈されたか何かで、王室が養殖している? タイはいっぱい子供を産んですげーいい魚だ? というようなことだったのを思い出しました。もちろん鯛は子供産みませんけどね、産むのは卵だよ、卵。
それは置いといて。
ってことはやっぱりタイかな。
味はそんな感じ(ってあまり食べたことないけど)。

で、タイって、メーピン川には住めないよね・・・(おばちゃーん!)
2008.01.06

配給

薬が切れて眠れない第二夜。チェンマイの夜は長く、星も見えなくてつまらないです。スカイプ君がテレビを見ているので付き合って起きてしまい、趣味で持ってきた某国地図を眺めて時間つぶし。地図は大好きです。その割にはこの間会った日本のおじさんに「四国四県を言ってみよう!」と聞かれて「高知、徳島、・・・・・・・・・・・・土佐?」となったりするけどなー。(すみません、四国の皆さま。無知な東京モンを許してください) もちろん今はわかりますよ、あとの2県は、愛媛、今治。違うだろー

で、少し眠ったら何ともいやーな夢を見てしまい、さらにめげる。



ま、こんな時はね。

080106yokan.jpg

日本の味になぐさめてもらいましょう。
全部で8個持ってきたミニようかん。
私のタイ滞在は予定では12週くらい。ということは、1.5週に1個の割合で食べてよろしいわけです。で、12月の私は1個しか食べずに乗り切りましたので、貯金がある。
えー・・・・・・・・・・・・(計算しようとするがわからない)
ともかく、今日この1個を食べるについて異論のある方はないでしょう。
後で食べます。


080106siruko.jpg

ついでに、最強兵器。
「さらに豊かな小豆の風味」ですよ。
「もち入り」ですよ。
これは3個しかなくて、こないだ正月に1個食べてしまいましたから、当分はお預けなんです。ゴソゴソ。しまい込む。


今日は小寒。寒に入りましたね。
ここチェンマイはそんなこととは無縁なのだけど、少しは影響が?(あるわけない)
いずれにしてもこれから寒を抜けるまでは体にきつい時期ですよね、皆さんできるだけ暖かくして過ごしてくださいね。
2008.01.06

ダメな日もある

チェンマイはあったかくて、神経痛を病んでいる私には天国のような土地だと思うのですが、それでも、ここに居さえすれば症状が雲散霧消するわけではなく……。

ダメな日もある。
ははは。
しょうがない、通り過ぎるまで待ちましょう。

今日の夕飯はおでんとカオニャオ。おでんを売りに来る屋台があるのですよ、木・金・土の三日間だけ。週末に1度は買いに行くかな、このところ。カオニャオはおこわのこと。いつも同じおじさんから買います。
「カオニャオありますか?」
「ありますよーっ」
という会話が成立するようになりました。タイに何度来てるんだ、私。そのくらい覚えてて当たり前なんだけど、あまりにみんな優しくて英語とか話してくれるから、覚えずに来てしまったんですよね。
1食分で5バーツ。約18円。悪いと思うくらい安いです。

久しぶりに病院の鎮痛剤を飲んで、少しよくなったかな。
夫には「エアーサロンパスが効くぞ、買いに行け」とスカイプで言われました。私としては、エアー・タイガーバームなら、とっても興味ありますけど・・・(笑) タイガーバームの湿布があるみたいなんですよね、今度買ってみよう。

ではまた
たまにはおとなしいのもいいですかね?(笑)



2008.01.03

ソンテウの助手席

正月も早や3日。皆さまいかがお過ごしでしょうか?
私は昨夜、トイレでバケツを抱える羽目に陥り、なんちゅー正月やねん! と自分でツッコみを入れておりました(その程度には元気でした)。飲みすぎ、あるいは、飲んではいけない日に飲んだ。たぶん後者。
部屋に生還してきても誰かがお茶を入れていてくれるわけでもなく。仕方なく自分でお湯を沸かしながら、

もだえ苦しんでもひとり

一句詠んでみる。
放哉の気持ちがすこし・・・(?)

ちょっと落ち着いて寝ようとしたのが1時15分だったのですが、いないと思っていた隣の兄ちゃんのスカイプの話し声が小さく聞こえていました。今夜ばかりはー、許してやる! 生きてる人間の気配がうれしいぜ!
でも、すごく声も小さくなったし、一時気になっていたスピーカー会話もやめてヘッドホンを使っているようだし、今は完全に折り合っています(笑) 

とまぁ、そんなことはどうでもいいのですが、ソンテウの助手席の話。
私はずっとこの席は、運転手の妻もしくは愛人の席なのだと思っていました。夫と一緒にいる間は、一度も乗ったことはありません。いつも後ろ。そこが客の席だと思ってました。
ところが、1人でソンテウを止めると、しばしば「ここ乗って!」とドアを開けられることがあるのです。後ろが満員とか坊さんがいるとか、そういう状況でなくても。あくまで運転手の気分の問題なのでしょうか。不思議です。

昨日は次のビザ更新のため、飛行機のチケットを買いに空港まで行きました。値段が折り合ったソンテウで、「ここ乗って」。後ろは女性が1人いるだけです。まぁいいかと乗り込むと、
「時間、何時?」
「は?」
「飛ぶ時間、何時?」
「あ、飛ばないす。今日は切符、買うす」
「あ、そう」
運転手は嬉しそうにうなずくと、ほな、後ろの人送るけん遠回りするよ、と、実際とんでもない方角に向かって走り出しました。
この運転手さんは、単に「タイ語喋らない私」に興味があったようで、「あんたがタイ人と違うのは、えー、違うところは、うーん、喋んないとこ!」と言ってました。で、ずっと片言の英語でお喋りしながら行ったので、後ろの人が降りる場所を通過しそうになって、ブザーで怒られていました。喋っていたので空港はあっという間に着いてしまいました。

無事にチケットを買い、よし、エアポートプラザ(チェンマイ最大級のショッピングモール)で日本のラーメンを食べよう、とソンテウを止めました。名前からわかるとおり、空港からはすぐそこです。規定の15で行ってほしいのですが、運転手は20と言い張りつつ、「はい助手席!」。もう1人、アーケード(バス駅)まで行くタイ人を50で乗せてから出発。
「タイ人だって50だろ、ぼってないよ、俺」
「えー、アーケードはすっごく遠くでしょ、エアポートプラザなんてすぐそこじゃん」
と言いつつ、実はどうでもいいんです、空港発だから高いのはしょうがないです。言い合うのが面白いだけ。
到着して、20バーツ渡して「サンキュー」と下りようとすると、運転手が何か言ってます。全然わかりません。きっとまだ「ぼってないよー」と言ってるんだろうと聞き流しつつ、ドアを閉めました。しかしまだ何か言ってます。窓に近寄ると、5バーツコインを差し出しながら、「ほらっ、お釣り!」
いい人だったですよ。ありがとう! とチェンマイ語で言ってから、走り出すおじさんに手を振ってあげると、向こうも喜んで手、降り返してるし。

その後、白湯チャーシューメンにありつき、ヤマザキパンも探し当ててパンを買い、最後のソンテウは後ろ席でした。一緒に乗った若いカップルが、口げんかでもした後なのか、男の子は一生懸命彼女の気を引こうとするのに、女の子はつんとして外を見てます。んもうー、若いってことは……。頑張って、短パンのお兄ちゃん。スタバにでも連れて行ってあげたらどう? ちと高すぎるか。

と、このように、ちょっと出かけるだけでおもしろい、タイなのでした。
今日はおとなしく静養します。
2008.01.01

A HAPPY NEW YEAR!

lhasakozou.jpg
1991 ラサ ジョカンの門前広場


また新しい1年の扉が開きました。

少しでも、去年より"まし"になるといいな。
自分も、世界も。


A HAPPY NEW YEAR!


2008年1月1日
タイのチェンマイにて、市街戦のような花火の爆音の中、
日本より2時間遅れの年越しをしつつ

YAMANE




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