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2008.02.28

今日もいろいろ

いそがしい。
早起きしていろんな手続き。
日本ともやりとり(雑誌広告の振込みがうまくいかなくて……)。
チェンマイ門のあたりからぶらぶら帰ってくる途中では、お堀の外側に遊歩道が完成しつつあり、これまでの"人間が歩けない歩道"からちゃんと歩ける歩道になるようで、出来たばかりのそこをよそ見しながら歩いていて、地面から突き出した鉄筋の束にサンダルばきの足をぶっつけて、チョー痛かったです。火花散りました。血はちょっとしか出なかったからよかったですが。今はもう大丈夫です(笑)
そうそう、今は旅行保険効かないしさ。気をつけなさい、自分。

タイ人よ、危険箇所にはマーキングお願いしますよ。

そういえば、今日、朝昼兼用の変な時間に入ったレストランで、タクシン氏のバンコクスワンナプーム空港への到着を、生中継で見ました。私は政治的なことはほとんどわかってなくて、この人がいい人なんだか悪い人なんだかも知らないんですけど、テレビを見ていた人々は、好意的でした。拍手も起きてました。
空港はものすごい人。
今日、入国したり出国したりした人は大変でしたね、ま、前後2時間ほどの混乱だったでしょうけど。

本格的な荷物の梱包は明日になりそうです。なんつってもまだ暮らしてるからね。3月1日土曜日の正午が退去期限なので、それまでにとにかく、部屋を空っぽにすればいい、と。
できるだけ増やさないようにしたので、それほどの大荷物ではないと言いつつ、やはり自分1人が1度では運べない量になってます・・・。たぶん。布団もあるしね。

気ぜわしい反面、抜け殻状態。
過渡期って、いつもこんな感じですね。
なんというかこう、ずばっと、スッキリしたい(意味不明)

ではまた
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2008.02.27

結婚式と披露宴、その前後

今日は午前中から市内の仕事相手が集中しているエリアに出かけ、最後の荷物の確認やら清算やら。途中お金が足りなくなって銀行に走ったり。合間に郵便局に寄ってみたり(空振り)。あちこちそうやって動き回ったので、万歩計が9933歩になりました。今日は難なく1万歩クリアです。おばさんくさいですか? ほっといてください(笑)

午後戻ってきてしばらくすると突風が吹き始め、停電になりました。30分くらい停電してたかな。不安定な天気になっています。

今日を含めてあと3日でとにかく全てを丸くおさめる必要があるので、気持ちは焦る、しかしやることは進まない、てな感じです。別に友人村に行ったからといって、チェンマイに来られないわけではないのですけどね。ちゃんと乗り合いソンテウが走ってるから、小一時間みれば来られるんだけど。でも、できればほぼクリアしてしまっておきたいです。けっこう几帳面な私。

昨日はなんだかたくさんのアクセスがあったんですねー。
結婚式の記事が読みたい? の? ですか?
言ってくれないとわかんねーよ(笑)

ウソです、冗談です、忘れて下さい。

すごく長いし、今回はメモ程度のものなんで(すいません、なんつうか、作品にするだけの気持ちの余裕がなくて・・・)、期待しないでね。ほんと、スルーしてください。えーと、そんじゃ、こっから貼り付けますよ、よろしく。マジで長いからね、何しろ4日分いっぺんだから。しつこいか・・・。


「食って飲む、ほかに何か必要か?」

タイの友人が企画と運営を任された結婚式を手伝うことになりました。友人は2人いて、名前は長いので、タイ兄、タイ弟、と呼ぶことにします。兄は私より5歳上、弟は私の3歳下。どちらも男性ですが、内面的には女性であり、一緒に住んでいるこの2人の関係性については未だに謎、タイ式にマイペンライ(気にしない)で何も考えないのが一番いいと今は納得しています。
結婚式は土曜日。スウェーデン人の新郎と日本人の新婦という組み合わせと聞いています。どうしてタイの片田舎の、結婚式場ですらない友人宅で式を行うのか、大きな疑問だったのですが、そのように突っ込んだ話をできるほど私たちはお互いに英語が話せず、私はタイ語がさっぱりなので、結局、何が何だかわからないまま当日まで行ってしまうことになりました。

木曜日の夕方、チェンマイ市内で兄弟にピックアップされ、一緒に市内の大きな市場に。青いパパイヤ(ソムタムと呼ぶ辛いサラダ用)、カボチャ(飾り?)、さとうきび(新郎新婦が担ぐ)、といった儀式に必要となる食材を買い集め、それから生花市場に行って飾りつけ用の花を大量に買い付けました。トラックの荷台をそれらで一杯にして村に戻ったのは夜の9時過ぎ。夕食は途中のスーパーで適当にすませました。この日は荷物を下ろして仕分けして、設営の機材を所定の場所にとりあえず置いたりしているうちに日付が変わり、午前2時過ぎに就寝。場所が変わると寝付けない(意外に繊細!)私は、たぶん4時頃に寝ました。

金曜日、午前6時に起床。タイ兄は職場である学校に出勤し、タイ弟と共に設営を開始しました。途中で近所の人やら、兄の姉やら、その娘やら、あとはどういった関係なのかわからない人が来ては手伝い、ふっと消えていくことの繰り返しです。朝もお昼もそういった人たちが買ってきてくれる適当なものですませました。
午後からは本格的に生花を使った飾りつけが始まり、小さな花をひたすら針で糸に通していったり、ブロック状のスポンジに短く切った花を差したり、そんなことを延々とやり続けました。午後にはタイ兄の教え子たちが動員されてきて、力仕事はそちらにお任せ。夜も教え子が買い物に行って惣菜とカオニャオを大量に持ち帰り、それをみんなで囲みます。17歳の生徒たちは礼儀正しくおとなしくよく働き、日本の17歳とはずいぶん違うのか、いや、そんなことはないのか、どうなんだろう。
この日の作業は午前2時過ぎに終了。教え子たちも泊り込みになりました。

土曜日、朝5時半起床。式が始まるのは午後3時らしいので、さすがに今日はもう全員大車輪のように働きます。朝一番でテーブルや椅子が大量に運び込まれ、生徒たちによってセットされていきます。この時になって初めて、出席者が200人を越える盛大な式だと知った私。道理で、運び込まれてくる飲料や食器の数が尋常じゃないと思ったよ。
午前中は花周りの飾りつけを急ピッチで仕上げていき、慌しくお昼を食べた後はテーブルセッティングの仕事に回り、ナプキンを折ったり(250枚!)、カトラリーをセットしたり、次々に運び込まれてくるケータリングの食材を整理したり、飲み物を確認したり、あっちこっち言われることをただひたすらに走り回ってこなしました。タイ語もできないのに、えらいな、私。
午後3時、スタッフの女性陣が着替えるので、私も一緒にタイ兄が選んでくれたサロンとブラウスに着替え、ついでにタイ兄によってタイ風ヘアスタイルにセットされました。付け髷まで乗せて、ご丁寧にランの花まで差して、なんじゃこりゃっ! しかし、何も言えない。タイ兄、完全にテンパってて目が泳いでいるんだもん。
皆さんにほめられはしましたが、うーん、どうなんでしょうか、似合っているとは自分では思えなかったんですけどね。服はともかく頭がね。

3時半、ついに人々が入り始めました。いつの間にか母屋は新郎新婦とその親族や親しい友人で占拠され、そこまでじゃない人々は屋外に集まり出しました。そうこうするうちに、オールドランナー・マーケットの準備が着々と進み、見覚えのある人々(ご近所さん?)が配置に。タイ北方に栄えたランナー王朝時代から伝わる、古式ゆかしい料理と飲み物が供されるらしい。のですが、その割には非常に見慣れたやきそばとたこ焼きが主人公なのでありますが、これでいいのでしょうか。マイペンライ、だな。
4時、とりあえず集まっちゃってる人々を捌くために、マーケットが始まりました。タイ兄の姉がマイクを握ってタイの人々をマーケットに誘導。この人にこんな特技があったとは……。英語の通訳さんも来ています。
スウェーデン人が新郎と聞いていましたが、ちらっと見かけた男性はどう見てもタイ人。タイ弟をつかまえて聞くと、「うん、タイ人だよ」とのこと。スウェーデン人って、どっから出てきた話なんだよ(笑)。道理で、集まった人の中に欧米人が1人もいないわけだ。代わりにいるのはインド人? 英語を話す東洋系のグループがいました。後で聞くとフィリピンの人々だったらしいです。
ふと気づくとマイクで私の名前が連呼されており、そっちを見ると、兄姉が手招きしています。マイクで呼ぶな、マイクで。近づくと、日本語で通訳しろと、こうおっしゃる。それならそれで、最初に言っといてくれなきゃ、わかんないだろっ? 日本人にはだな、心の準備ってものが必要なんだよ。どこまでマイペンライなんだか、タイ人は。
「今から30分マーケットで飲み食いして、それからパレードに出発して、6時から式が始まって、その後でディナーです」と言えばいいんだけど、急にそんなことを振られると、人間、頭が真っ白になるんですね、年を食っても。私は最近、「自分もだいぶ腹が据わってきたな」と思っていたのですが、なんのなんの、面白いくらい手が震えましたよ。とにかく、やっとこさっとこ通訳し終えてドピューンと物陰に消えると、日本語ができるタイ兄友人の息子(これもオカマ、しかもタイ弟に横恋慕中)が来て、「ヤマネさん日本語話す、日本人みんなびっくりー! きゃーっ!」と、足をバタバタさせました。やめなさいったら、姐さんは恥ずかしいよ(笑)

その後、しばらくは澄ました顔してやきそば係の背後で日本人が来た時のために待機していたのですが、(えー、なぜかと言うと、やきそばの隣に激辛のソムタムが並んでおり、オールドランナースタイルのソムタムは焼きそばと酷似しており、そのへんの説明が必要かと思いまして)どうやら30分後に始まるのは式で、それからパレードらしいとわかり、「間違って通訳しちまった・・・」という慙愧の念に耐えかね、近所の人たちで盛り上がる飲み処にふらふらと近づいていくと、顔見知りのおばちゃんが「ビール? ウイスキー?」と聞いてくれたので、「ビールください」。もう、恥ずかしくて、飲まなきゃやってらんないです。しかも通訳はもう1回あるそうだから、酔っ払っとかないと。いや、出来上がっちゃえば手も震えないだろうと(笑)
今日のビール、銘柄は全部シンハです。シンハ飲み放題、すばらしい。タイ人はもっと高級なウイスキーに群がる傾向があるので、ビールはふんだんに飲めそうです。
私の通訳はあと1回、「式が始まります」ってだけでお役ごめんになったので、本当によかったです。だって列席者の中にはタイ語ぺらぺらの日本人(こっちで結婚している人たちのようです)も何人かいたようだし、彼らには私がウソのアナウンスをしていたことがばればれですよ。まったくもう。

4時半にはつつがなく式が始まりました。ちょっとだけ見たけど、ホールも狭いし邪魔になったら悪いので式場から出てくると、「おーいヤマネ~、おいでおいで」と、呑み処にまたつかまりました。ここは完全にご近所さんたちのタダ酒呑み場と化していて、どの顔も見たことがある。焼きそばやたこ焼きやソムタム(これは私には無理)をつまみに、ビールを注がれるままに飲みます。何ものも拒まないことに慣れてきた、今の自分です。それに私は、出席者のみなさんが知らない秘密のトイレを知っているんです。困った時はそこまで行けばいいので気が楽。隣家のトイレってだけですけどね(笑)。
みんな話しかけてくれるんだけどタイ語はわからないので、適当に相槌打ったり、わかることだけ答えたりして、でも別にそれでみんながすごく気を使うわけでもなく、ほっといてくれるし、居心地いいんですよね、タイのこういうところは。
この頃になると、別に新郎新婦とは関わりのない、つまり招待されているわけではない近所の人々が訪れるようになります。女性はちゃんと正装に近い服装ですが、男性は短パンにビーサンだったりする。この人たちは適当に飲んだり食べたりして、顔見知りとお喋りを楽しみ、適当に去っていきます。もちろん、お祝いとしてお金を包んだりはしません。そもそも招待客もそういうものを持ってきてはいなかったと思います。記帳しているだけだった、と思う。面白いですね、日本とはぜんぜん違って。

式が終わってみんなが楽隊や獅子舞みたいなものと一緒にパレードに行った後、残った近所の人々は、私が午前中にむしった大量の菊の花びらを入れ物に入れて持ち、戻ってきた人々に投げます。それがすむと、いよいよ披露宴のスタートです。所狭しと並んだテーブルにぎっしりのお客さん。食べ物や飲み物はもうセットされています。始まってしばらくは、トイレの案内や飲み物の追加などで私もできるだけ日本の人々のテーブルが見える場所にいましたが、そのうち一渡り案内もしたし、宴も落ち着いてきたし、疲れたし、で、またまたご近所呑み処へと撤収。ほぼ役目を終えたマーケットは、スタッフも全員近所の人々だったので、向こうのテーブルに着くことはなく、あちこちで丸くなって小さな宴会状態です。ビュッフェスタイルなので料理も持ってこれるし。呑み処の竹の台にも、誰かが持ってきた料理がずらっと並び、その中で辛くないものを私にも勧めてくれます。
夜は更けていく、ビール瓶はどんどん空になる。私だけが飲んでいるわけじゃありません、もちろん。

8時過ぎにオカマ少年が呼びに来て、行ってみるとタイ兄母から「これからいい踊りがあるから見なさい」との厳命。「はい」と一緒に見学。後で聞くところによると、かなりの芸達者が踊っていたらしい。この頃になると、テーブルの三分の一はもう帰ってしまって誰もいない状況になっています。日本ではありえませんが、タイではごく普通のことらしいです。その空いたテーブルで、兄母と食事。兄母は女がビールを飲んだりするのは絶対に嫌いだと思うので、この人の前では飲みません。おとなしく、与えられるタイ料理を食べます。兄母、言葉も通じない私と夫に、いつもすごくよくしてくれて。今回も私が1人でぽつんとしていると、必ず腕を取ってどこかに連れて行ってくれて、ここにいろとか、ここに座って何か食べていろとか、身振りで教えてくれるんですよね。本当にお世話になってます。

兄母がどこかへ去った直後、結婚式につきもののビデオ上映が始まりました。私がいた席からは見えなかったので、厨房に近い物陰から拝見。小田和正かな、「たしかなこと」? ですかね、が大音量で流れる中、新婦の生い立ちが写真で次々と紹介されていき、親族のメッセージなんかが盛り込まれ。不覚にも、ぜんぜん知らない人のことなのに、もらい泣きしてしまいました。何というかさ、どんな人の人生も物語だよね。愛されて愛されて育って、こうして嫁に行くんだねぇ。などと感傷に浸っていると、たまたま近くにいたオカマ少年が「ヤマネさん、何で泣くー? 悲しい、ない、泣く、ない」。いや、悲しいわけじゃ……と言おうとしたとき、後ろを通りかかったカニ顔の厨房のおばちゃんが、「ドリンクメニー!(飲み過ぎっ)」と一言。いや、そんな飲んでませんって。誤解だってば(笑)
後で「あの歌は結婚式の歌なんでしょ?」とみんなに聞かれて往生しました。結婚式だけじゃないけどー、でも結婚式ではポピュラー……。何て言えばいいんだろう。

宴はさらにバンドを迎えて無理やり盛り上がっていく様子。スタッフの女性たちはもう着替えましょうってことになり、夜の10時にようやく、みんなに手伝ってもらって服を脱ぎ、頭も取ってもらいました。ふう、さっぱりです。肩凝ったし足疲れたよ。やっぱり私はジーンズにTシャツがいいな。
宴がお開きになったのは夜の11時過ぎ。私は裏の厨房で大量の残り物や食器と戦っていたので、皆さんがどうやって帰っていったのか知らないのですが。気がつくとカラオケルームでカラオケが始まっており、タイの新郎が泥酔してマイクを離さない状況になっていました。その騒ぎの横で我々はただひたすらにテーブルを片付け、ビンや食器を下げ、テーブルリネン類を片付け、ておりました。
午前2時、兄の姉が「もう帰ろう」と言ってくれたので、姉バイクに3人乗りして姉家に行き、一晩泊めてもらいました。とうとうやってしまった、ノーヘル3人乗り(笑)。

明けて日曜日。午前7時起床。兄姉が早起きなんだもん。すぐにタイ兄家へ連行される。ここで昨日の通訳さんと新郎母と一緒にカオトン(お粥)の朝ごはん。久々に温かいものを食べました。台所には、未明まで働いていた教え子たちがうずくまってやはりカオトンを食べており、この子たちはいつまでいるんだろうと心配していたら、さすがに解放されて帰っていきました。
朝の4時まで騒いでいたという新郎とその友人たちは起きる気配もなく、撤収作業を再開。2日かけて作ったものを、一つ一つ破壊していく作業です。ああ、人間の営みって、作っては壊すことの繰り返しなんですね……。虚しいけど、爽快感もあるなぁ。
ようやく起きた人々が午前11時には引き揚げていったので、私も帰ろうかと一旦は通りにソンテウをつかまえに出たのですが、これが来ない……。まだまだ作業はあるし、全員帰ってしまって今ここにいるのは兄弟だけ。私は明日帰っても大きな問題はないかなと思い直して、また家に取って返しました。
お昼は近所にバイクで出かけてカオマンガイとおかずいろいろ。久しぶりにちゃんと食べました。戻ってまた作業を続け、ようやく何とか元通りになったのは夕方5時。ほっと一息入れていると、
「そうだ、今日はパーティーに行くんだよ、ヤマネも一緒だよ」
とタイ兄が言い出しました。パーティーってあんた、昨日ここでやったばかりじゃん。今日もパーティーなの? 連日パーティーなんて疲れない? しかし私に拒否権はありません。シャワーを浴び、兄弟がおしゃれするのを待っていて(普通、待つのは男と決まっているのだが)、それからバイク3人乗りで出発。まただよ3人乗り。しかも、女3人ならまだ絵になるが、オカマ2人と私じゃねー、絵にならないです。

「家がわからない!」とうろうろ探し回ること十数分、ようやく探し当てた一軒家はほかに人影もなく、ここがパーティー会場だということを示すのは玄関前に置かれた飲み物類の箱のみ。タイ兄よ、わしら全員死ぬほど疲れてるじゃないですか、何も先頭切って来ることはなかったんじゃないですか? と文句の1つも垂れたくなりましたが垂れる語学力もなく、ニコニコとお決まりの「日本人ですー」と主催者夫婦に挨拶をし、庭のテーブルに着きました。テーブルが1個しかないというのも、何か不思議なんだけど。
ここで蚊に刺されまくりながらまずは主催者夫と共にビールです。今日はレオ・ビア。この家の主人はすっごく自慢げに「レオ・ビアです!」と言っていました。氷を入れて飲むと、はい、イケます。ぜんぜん喉に引っかかる感じもないし。美味い美味い。ビンと缶は違うのかな。
この日のパーティーは、寺院の新築に寄進した人たちがそれぞれ自宅でそのことを祝い、寺院は寺院で大規模な祭りを催すと、ま、こういうことのようでした。

招いてくれた夫婦は夫が警察官、妻が教師。なるほど夫はがっちりしているし、短髪が似合ってます。ロボコップみたいです。どっちかと言うとなよっとした男ばかり見ているので、こういう男らしいタイ人を間近で見ると新鮮。しかも、同じテーブルにいる夫の弟はどこから見ても兵隊です。こっちは丸刈り。今すぐに銃を地面に着かないように捧げ持って、鉄条網の下を100mは軽く匍匐前進していくでしょう、彼なら。私は早速彼を海兵隊と名付けました。水割りをまるでレオビアの氷割りのようにガンガン飲むのも、うーん、男らしいですわ。顔がまた、精悍なタイ人顔。あるんですよ、これ。いいかもしれない(って、何がだ)。
海兵隊はまた気配りの男でもあり、私やタイ兄弟のグラスが半分くらいになると、速攻で注ぎ足しにかかってきます。ロボコップと自分の水割りも、かなりの急ピッチで作り続けます。作りながら飲む。やるな、さすが海兵隊だ。
それからあまりにも蚊が多いので場所を駐車場近くのコンクリートの上に移し、そちらでは料理も出て、さらに飲み続けました。
もともと、タイ兄がこの家の奥さんと友人で、この日呼ばれたらしいのです。気づくとタイ兄はこの奥さんと話しこみ、タイ弟は海兵隊の妻(多分)と話し込み(つまりさ、兄弟は基本的にオカマなので、ロボコップや海兵隊とは相容れないわけですよね、多分)、必然的に私は、ロボコップと海兵隊というどう考えてもこの日のパーティーの二強を相手にすることになってしまいました。お互い言葉が通じませんからねー、飲むしかないって感じで。途中からはなぜか2人とも「ハッピーバースデイ!」と叫びながら乾杯をするモードに入ってしまい、2分おきに「ハッピーバースデイ!」だよ。何なんでしょう、誰の誕生日なんだよ、一体(笑)。で、そのたびに注ぎあうから、何をどんだけ飲んでるのかわからなくなってしまいました。

テーブル席は1つしかないのですが、奥に茣蓙のスペースがあって、そこに集まった人々がカラオケを始めています。昨日の結婚式といい、今日のこのパーティーといい、すさまじい音量を流しているのですが、「お互い様」というものがあるのか、寛容なんですね、きっと。まぁもちろん、近所づきあいがしっかりあるから、そういう話もお互いに許しあえるんでしょうけどね。日本ではもう崩壊した地域社会ってものが、まだまだタイでは健全なようです。
レオビアの後はフルーツパンチ(でしたっけ)になり、これがかなりアルコール入ってたみたいで、タイ兄はすごい勢いで酔ってしまいました。まぁ、ほとんど寝てないからね、昨夜。私もジュースだと思い込んでゴンゴン飲んで、かなりキました(笑)。タイ弟はしきりに帰りたがっているのですが、何しろ主賓として招かれているのが我々だけらしく(私はもちろん付けたしですが)、タイ兄としても帰りづらいらしいのです。

タイらしい料理も各種出て、ランパン(チェンマイのちょっと南)の名物料理だという豚とキャベツの蒸し物がすごく美味しかったです。今まで食べたタイ料理の中で出色。これはマジでうまい。ランパン、いいな。覚えとこ。タイ人はこれを辛いタレで食べるのですが、私はそのままで十分。あと、よく屋台で見かける素麺みたいな麺に野菜を載せて唐辛子だれで食べる「カノム・○○(忘れた、ティン、だったかな)」も出ました。私は辛いものがダメなので、ナムプラーだけかけて頂きました。さらにご飯も食べて、カオニャオ(おこわ)にココナツミルクをかけてマンゴーを載せたものも食べて、果物も各種食べて、お菓子も食べて、えー、なぜ私は見ず知らずの人の家でこんなにお腹一杯食べ、しこたま飲んでいるのでしょうか。頭クラクラしてきたよ。
「ハッピーバースデイ!」
海兵隊の雄叫びが私のそんな雑念を吹き飛ばします。「イェーイ!」とまた乾杯。「減ってない!」と言われてさらに飲む。ここは兵舎じゃないんだからさ、伍長殿っ!
「食えてるかっ?」
「食えてるぜっ!」
「飲んでるかっ?」
「飲んでるぜっ!」
これだけは言えるようになったっす。途中からはこのやりとり、プラス、ハッピーバースデイ、な。各2分おき。忘れるなよ(笑)
因みに何で「食えてる」と可能不可能を聞かれているかというと、私に食べられないものがあるからです。お前にも食えるものがちゃんと用意されているか? と、こう聞かれているわけですよ。はは。
そうこうするうちに、お宅にお邪魔してから4時間が過ぎていきました。さすがにもう帰りたくなったタイ兄、どうやら私をダシにしてお暇の言い訳をしているようです。まぁいいよ、便利に使ってよ、言葉わかんないからさ。

かわいい妻とロボコップと海兵隊に丁寧に見送られ、我々3人は一台のバイクに。
おい、いま気がついたけど、ここ、警察官の家じゃないの。バイク3人乗り全員ノーヘルしかも全員酔っ払いだぞ? いいのか、ロボコップ?
マイペンライ~!(笑)
我々はそれから新築なった寺に行きました。すごい人出のため、そこらじゅうで警察官や、兵隊みたいな格好の人が交通整理をしています。ここにもいるよ、警察官。何で平気なんだろ、お祭りだから?
境内では盛大に縁日が開かれ、射的なんかに人が群がってます。なつかしい村祭りの雰囲気。ステージでは建国の物語(?)が演じられているらしいのですが、私にはオカマショーにしか見えない(ごめんなさい)。
寺に入ってお参りをしました。村でいちばん偉いお坊さんがタイ兄を見かけて寄ってきて、親しく挨拶。タイ兄、もしかして、ほんとに村の名士なのかもしれない……。オカマだけど。
お坊さんには小さな仏像のレリーフをいただきました。来年はタイ兄弟の集落で寺の新築があるそうです。その時に一緒に寄進すればいいかな、ちょっと持ち合わせがなくて、お布施もしなかったけど。
お寺を出て、またバイクにまたがります。弟が運転、真ん中に兄、私が最後。最初に死ぬのは私じゃないですか(笑)。いや、笑ってる場合じゃないよね、すまんすまん、夫よ。そうそう、それと、日曜の夜に電話できなかったのは、こんなところでパーティーに巻き込まれていたからでした。
気のせいかふらつくバイク。私の前のタイ兄はぴったり弟に抱きついてます。おいおい、私の目の前で、仲良すぎだよ。そのうちに、なんか耳元で囁いたりしてさ。やめてーっ! 首筋に熱い吐息なんか吹きかけないで! 事故ったらどうするんだよ!
まったく、あんたたちときたら……。

一夜明けて月曜日。すっかり落ち着きを取り戻したタイ兄家。隣家との境もあるようなないような場所なので、この家にはしょっちゅう知らない人が入ってきて通過して行きます。今までは知らない人だったけど、この日は誰を見ても「見知った顔」でした。つまりは全員がご近所さんなんですね。それで前回来た時に、ご近所周りをさせられたんだな、私。
タイ弟のショップ(彼はテキスタイルデザイナーであり服飾デザイナーであり、ブティックを経営しています)は通りに面しています。そこまで行ってひょいと隣の米屋を覗けば、ああ、昨日一緒に花をまいたのは、ここのお嫁さんだったんだなと気づき、焼きそばの番をしていたのはその姑さんだったのだと気づき、通りの向こうを見れば、ご近所呑み処のママをしていたのは斜向かいの日用雑貨店の人だったのだと気づき……。
そしてこの通りは、第二次大戦当時に日本軍がビルマから進軍してきた道路なのだそうです。タイ兄母はその時の記憶がしっかりあって、兵隊たちにお酒を売ってたいへん儲けたと笑っていました。落下傘降下を防ぐために、竹やりを山や野原にびっしり立てた、とも聞きました。はて、その頃の日本軍にそれだけの兵力があったのだろうか、とちょっと不思議に思いましたが、敗走に次ぐ敗走、という事態に陥る前の話なのかもしれませんね。ごめんなさい、私はあまり詳しくなくて。

日本ではプロが完璧に仕上げる結婚式や披露宴。それがここでは、近所の素人衆がみんな手を貸して(もちろんアルバイト代は出ているでしょうけど)作ってました。土曜日にここに集っていた人々は、中でも日本からの列席者は、考えもつかないでしょうね。この会場を彩っていた花の飾りのほとんどが、タイ弟と日本人が夜なべでせっせと作り上げたものだったなんて。そもそも日本人が裏方にいたなんて、思いもしないよね。そう考えると楽しいなぁ。大きな悪戯をしたみたいです。
そんなこんなの4日間でした。タイの村の雰囲気がちょっとでも伝わればいいんだけど、書き殴っちゃったので漏れてることもいっぱいあるし、意味不明の部分も多そうです、ごめんなさい。でも今日はお下劣な部分はないぞ、えっへん(笑)。

2008.02.26

本屋さんに行ったら

あ、すいません、チェンマイの話ではないんですけどね。

みなさん、本屋さんに行かれる機会がありましたら、季刊『銀花』という雑誌を手にとってみてください。ウチが載ってるわけではないんですが、広告載せましたので(笑)
初めて全国展開の雑誌に広告を入れてみました。
雑誌と言ってもいろいろなタイプのものがありますが、これは雑誌というかムックと言うべきかな、比較的保存率が高いものだと思います。買った人がすぐに捨てないという意味です。あと、結構おしゃれな喫茶店やカフェギャラリーなんかに置かれる率も高いのではないかと思ったりして。

何がいいって、コピーがいい(ウソです、笑って忘れて!)
違う違う、デザインがいい。
なんたってウチには専属のデザイナーがついている。第一線で活躍してたほんもののプロ、にもかかわらず、親しいので格安だったりする。
いつもありがとう!
帰って雑誌を見るのが楽しみですー。もちろんラフ版は見てますけどね、あくまでパソコンの画面で見ただけだから。

今日は火曜日。おそろしいことに、結婚式でバタバタしているうちに、退去まであと4泊しかない。片付けなきゃ。モノ捨てなきゃ。日本食を食べなきゃ。そのほかにもいろいろあるような気がするが、あ、そうだ、飛行機の手配とかね、でもまだ村の縫製品ができてない・・・(笑)。そういえば結婚式に手伝いに来てたな、縫製グループ。縫ってくれ、君たちが向かうべきはソムタムの桶じゃなくてミシンだろ?

カード付帯の旅行保険も今日が最終日。明日からは保証がない身です。どっかでシティカード使わなきゃなー。バンコクへの航空券を買うときに使おうと思ってるんだけど、日にちが確定しないからね。うーん。
あー、シティカードで公共交通機関の支払いをすると、その日から90日旅行保険が付帯するんですよ。そのためにカードを作って、この間の援助物資補給隊に持ってきてもらいました。

ふう。つまり、タイに来て今日で90日なのか。
いやいやいや、長いですな。もっとまとまった仕事が出来るはずだったのに、何だかちっとも進まなかったような気が・・・。マイペンライか(笑)

ではまた
2008.02.25

いろいろ

村から戻りました。ねむい。
結婚式も披露宴も無事に終了。蓋を開けてみればタイ語のしゃべれる日本人ゴロゴロの不思議な情景でした。タイの女性と結婚する日本人男性がいかに多いか、あらためて認識。その逆もなくはないけど、それほど多くはないのかな。どうなんでしょ。
スウェーデン人と日本人の結婚と聞いていましたが、実はタイ人と日本人でしたよ。しっかりしろ、友人。実は、もうお気づきかもしれませんが、北欧系って美男子美女の宝庫でしょ? イケメンをたくさん見られるかなぁという下心もあったのにさ、白人と呼べる人はただ1人、バンドマンとしてシャウトしてたいかつい兄ちゃんだけでしたよ。とほほ。
結婚式の話はまたいずれ。いやー、眠い。4泊しましたが、ほとんど寝てない・・・。たまには働けよ、ということでしょうか(笑)。働くってこういうことだろ、って、思い出さされているような。

今日は友人と一緒に村を出発して、友人の用事にいろいろ付き合い、それからアパートに一緒に来てもらって発送を手伝ってもらいました。屈強なお兄さんたちに荷物を引き取りに来てもらう予定にしていたのですが、友人が荷物を見て「これなら自分でできるじゃん」とガンガン運んでくれたので、助かりました。この荷物は全部カーゴ屋に運び込み、国際宅急便として発送しました。全部で48キロ。それほどじゃありません。12月に一度80キロ行ってるので。

友人と別れてから私は郵便局へ。私物は郵便物として送ります。前に商品と一緒に送って、関税の件でえらいもめたことがあるので、以後気をつけてます。

080224kasi.jpg
仲良しのおじさんにお菓子を貰ってきました。大きいので今日の夕飯にどうかな


いちばん仲良しの英語の出来るおじさんからは、「帰国する前に一度来てよ、見せたいものがあるんだ、タイにはない珍しいウニャウニャウニャだよ」と熱心にお誘いくださったりして。哀しいかな、ウニャウニャの部分が何だかわからない、英語オンチの自分。すっごくコワいんですけどね、何だろ、虫のコレクションとか、切手のコレクションとか? だったらまだいいけど、あー、想像もつかない。
帰国前の仕事がまた1つ・・・。

あまりの睡眠不足に推敲もままならず。文字の重複とかいっぱいあるんだけど、このままで。ちょっと寝ます。ではまた





2008.02.21

明日はプラスになりそう……

何の話って、軽井沢の日中の最高気温です。明日の予報ではプラスの4度くらいになってます。よかったねー、久々のプラスじゃないですか。

いつもスカイプで「寒い」「ハンパじゃない」「頭の血管が膨れる」という言葉は聞いているし、ヤフーの天気予報も見ているのですが、いまひとつ実感がない(毎年見てるのにね)。さっき追分コロニーさんのブログを久しぶりに覗いたら、国道18号に設置してあるカメラの写真が見られました。道路の雪はほとんどないけど、林に入ると雪と氷だって。なんかその写真が薄暗くてさ、もの寂しい追分の冬をいきなり実感してしまいました。

もの寂しい追分国道18号の定点写真はこちら 下の文字列クリックです
追分コロニー  女将さんのブログ 追分に出来た古本屋さんです。今年はお邪魔させてもらいたい(繁忙期って重なるのよね)。勝手にリンク貼っていいのか、後でメールしとこうっと。

それにしても寒いですね、今年の冬は。暦の上ではもう雨水も過ぎてるけど、うん、軽井沢の冬はここからが長いからなぁ・・・。マラソンで言えば、ゴールの先にまだ10キロくらいある感じなんですよ。毎年、これにかなり打ちのめされる。

えと、夫よ、ごめん。
何でブログが更新されてるんだーっ、と思ってますよね。
昨日はずーっとティンさん(ジャサダ)を待ってて待ちくたびれてぶち倒れてしまい、結局、昨日はお迎えが来ず。夜はここに居たんだけど、ま、たまにはスカイプしない夜があってもいいかな、と思っちゃって。こんなことで妻の愛を疑ったらダメよ。
今朝ティンさんに電話したら、「あー、今日行くよー」とのことでした。忘れてただろっ! もう、これだからのんびり屋さんのタイの人は……(マイペンライ!) 引越しがマジで心配になってきました。3日前から毎日カウントダウン電話するかな。

では、これから村の友人宅へ行ってきます。結婚式でバタバタしとるので、縫製工場へは行けないかな、注文してあるのどうなってるのかな、一応2月15日が期限だったんだけど・・・(笑)
段々こっちもマイペンライ状態になってきてます。おそるべし、タイの底力。人間が腑抜けになっていく・・・(私の場合はもともと腑抜けでしたが)。このほうが「生きよい」かもしれないんだけど。



2008.02.20

スコール

昨夜8時過ぎ、突然のスコール(夕立)。
夕立と言うにはちょっと遅いかな。
暗くなりかけた時間に外を歩いていて、黒い雲が上空を覆っているのを見ていたので、
ああやっぱり、という感じでした。

乾季の終わりが近づいているのか。
それとも異常気象なのか。
私にはわかりません。

今朝はうす曇のチェンマイです。
木々の緑が心なしかきれいに見える。

部屋の中は送るもの、持ち帰るもの、友人宅に預かってもらうもの、が仕分けされつつあり、すっかり「退去モード」に入っています。
もう飽きたっつう気持ちと、なんか寂しい気持ちと、ないまぜです。
隣のスカイプは最近めっきりおとなしく(いることはいるんだけど)、サンダルで走り回ってドアを開けっ放しにして大音響で音楽をかける(しかも地声がめちゃデカ)韓国人は、どうやらここの部屋を複数抑えて「勝手にゲストハウス」を営業しているらしい……(笑)。この発想、日本人にはできない、んじゃないかと。
むかつくことも多かったけど、今じゃすっかり日常の一部と化し、それはそれで許している自分。チェンマイ暮らしは、人を成長させるのでしょうか(って、違うか、すんません)

ではまた
2008.02.19

達成感

久々に味わいました。達成感。
昨夜遅く、ちょっと気になることがあって自分のサーバーについて調べていたのですが、何となく、自分のブログに入れない原因みたいなものが見えてきまして。
細かい話は全部省略。ともかく、サーバーの自分の部屋直下に、ある特殊なファイルを置いてやることによって、海外からのCGI経由のアクセス拒否を回避させる、ことに成功しました。

これで海外からでもブログに書き込める。現状は必要ないですけど、短期の仕入れなんかの時にね。
そうそう、覚えとして。帰国したらこのファイルは無効にすることを忘れずに、自分!

今朝パソコンを開くと知人から超楽しい写真つきメールが来てました。とてもこの場でご紹介するにはいかない写真なんですが、笑わせていただきました。感謝です。
笑いだよね。
うん。

それからネットをぱらぱら見ていて、イトイ新聞で久しぶりに吉本隆明さんのご尊顔を拝しました。80歳を過ぎていらっしゃる? んですよね。お元気そう、私が学生だった頃と変わらない(失礼な)。
吉本隆明を読まなきゃいけないという空気があった最後の世代より、さらに遅れた世代に属する私ですが、学生時代は何とか読んでました。何も覚えていませんが(笑)
何度か終わったと言われた前期戦後が終わり、次の新しいどこかへ移行しつつある、というようなことをおっしゃってますよ。対談なので非常にやさしい文章になってます。ご興味のある方はこちらからどうぞ。「こちら」の文字列をクリック!
そうそう、あのね、吉本ばななさんって、この人の娘さんなんですよー(知ってた?)

今日のチェンマイは曇り、微風。涼しいなーと言いつつ、Tシャツにサロン巻いて、しかもそのサロンは膝上までまくって、布の山と格闘しています。来週には発送です。

ではまた

2008.02.18

日曜日の仕事

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モンマーケット(通名ではない)

さすがに日曜日はやっていたモンマーケット。元々は、近くの路上にチェンマイ近くの山から降りてきたモンの人々が露店を出していたのが始まりだと思うのだが、現在は空き地にテントを幾つも並べて賑やかに商売をしている。
商品数としては膨大なのだが、玉石混交だ。というか、膨大なゴミの中にマシなものがある、程度に考えるべきかと。古いものもあるし、古く見せかけた新しいものもある。そのへんの見極めはまぁプロにまかせて、旅行者として立ち寄るなら気に入ったものを買えばいいと思う。バッグとかスカートとか服とか、いろいろ工夫して作っている。ナイトバザールで買うよりは安いと思う。値段交渉は、あまり効かない。

加工されたもので特にいいと思うものがなかったので、まだ洗ってもいない古いものを何点か買った。帰国後にほどいて洗い、何かに仕立てるつもり。もうちょっと欲しいので、あと何回か足を運ぶことになりそうだ。

買ったものをタイの友人に見せると、「あー、これはねぇ、最近ベトナムからも入ってきているって聞いてるよ。ベトナムかラオのどちらかだねー、タイじゃないと思うよ、もうね」と言っていた。
中国雲南省・貴州省・広西壮族自治区、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーにまたがって、驚くほど多数の少数民族が暮らしている。国により呼び名が違ったり、同じ民族でも谷1つ、山一つ隔てればもう衣装が異なったりし、私にもわかりかねることが殆どなのだが、それらの人々が今、こうして民族衣装を脱ぎ捨てて、それが東西回廊、南北回廊と呼ばれる中国を始点とする経済動脈を通ってここに流れ込んできているのか。あるいは、それに似せたいわゆるフェイクがどこかで大量に生産されていて、それがここに山積みになっているのか。
うーん、民族衣装1つとっても、なんと奥が深いことか。いつかまた、このあたりを回ってみたいものだ。
そういえば、昨日友人は、中国雲南省から持ち込まれたという「リアルマイノリティークローズ(友人曰く)」を着ていた。数千バーツしたというから、かなりの高額商品。「これ、ヤマネは中国で見たことある?」「うーん、記憶にないなぁ。でも近いのは、ジンポーじゃないかと思うな」「ふーん、ジンポーか」「確かじゃないよ、近いと思うけどね」なかなか素敵でしたよ、友人。

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モンマーケットにほど近い路地の露店

ほんの2年ほど前までは、ここにしかなかったと思うモンの人々の露店。彼らが持っているものは、もちろん町中の店や卸店でも買えるが、何となくここが好きでよく買った。今もこうして露店が出ているところを見ると、モンマーケットで商売をしている人々とは、まったく別筋なのかもしれない。商売の規模や出自などが。
ここでは素材が主に売られているので、旅行者にはあまり縁がないかと思う。タイ語も通じないことが多いけれど、全員が電卓を持っているので値段の交渉には困らない。

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だいぶツーリストが目立つようになってきたサンデーマーケット

いったん荷物を置きにアパートに帰り、そのままマーケットへ直行。2月も半ばになり、観光客の姿が増えてきた。若い人々の長期休暇はどの国も今なのかな? 半裸でうろつく欧米人が多くて閉口する。ったく、何しても許されると思ってるんだから始末に終えないよ。

すごくお腹が空いていたので寺に直行、麺屋がいたので速攻で注文して食べ終え、値段を聞いたら12バーツ。おぉ・・・。チェンマイではかつてない安さ。丼は小さかったけど。
それからお気に入りのフライドチキンとカオニャオを買い、さて仕事だ。
うろうろ、うろうろ、あっちこっちとホコテンを歩き回り、結局、気があったおばちゃんから服を10点ほど買い、あと小物をちょこちょこと買った。荷物を持ってさらに歩き回って喉が渇いたので、みかん搾りジュースを一気飲みする。いろんなことがどうでもよくなってきた、だよ。

ソンテウ10台ほど連続して首を振られた後、ようやく行ってくれるのをつかまえて帰宅。シャワーを浴びて、汗を拭き拭き、フライドチキンとカオニャオをつまみにシンハ・ビアを。まるで夏の夜のおっさんだ(笑) 仕事をした日のビールは、ことのほか美味いっす。

今日は月曜日。本日から本格的な仕分けと計量作業に入ります。以上業務連絡。
ではまた。
2008.02.17

私信のような

早朝、ふと目を開けるとバスルームの手前の床の上にゴキブリの死体が……。一体なんでこんな場所で死んでいるのだろう。もしかして、泥酔した私が夜中に偶然踏み潰した? そんなバカな。いくらなんでもゴキブリ踏んだら気づくだろうし。そもそも泥酔した覚えはない(ま、酔っ払いは常にそう言い張るものですが・笑)

意を決して起きて見に行くと、輪ゴムでした。角度によってはゴキブリに見えるんだよ、輪ゴムって。知ってました?

今日は日曜日。タイ時間はまだ午前中です。これから数箇所巡りに出かけ、夜は夜とて市場に行かねばなりません。帰ってきたら飲んじゃいますので、先に書いてます。飲んだら書くな、なんで、最近(笑)

長い付き合いの友人からメール。ほんとに彼とは長い。いま生き残っている旅友の最古参。出会いは88年のカトマンズ。そのときは住所も交換せずに別れたのに、翌年またカトマンズでばったり再会。一緒に「串藤」でご飯食べて彼は帰国便に乗ったのだけど、その機内でコレラを発症して、哀れバンコクで病院送り。ヤマネは大丈夫か、ヤマネは大丈夫か、って心配してくれてたんだよね、その私は元気にタンボチェまでトレッキングしとりました!(だから、彼がコレラ菌を体に入れたのはずっとずっと前の話、私がもし一緒に保菌者になってたら、死んでたと思いますよ)

頭がよすぎて人生横道に入っちゃった典型みたいな友人ですが、でも、その切れすぎる頭脳を決して他者への攻撃に振り向けない。だからずっと友人関係が続いてる。ほんっと、いいヤツ。私がまだ独身で東京にいたときは、よく遊びました。那須くんだりまで行ったこともあったっけねぇ、んで、何で温泉入らずに帰ってきたんだっけ、私ら? ははは、昔の話だなぁ。

その友人が今、私が知る限り、人生最大の大事なトコに立ってます。
友人よ、がんばれ。ドジ踏むな。あきらめるな。
そして、しあわせになれ。
祈る、祈る、祈る!


というところで脈絡ありませんが仕事に行きます。
ではまた
2008.02.16

歩け、歩け

1人でのチェンマイ暮らしもゴールが見えてきた今日この頃。ともすれば「引きこもり」になりがちな毎日、気をつけてできるだけ歩くようにしています。リハビリは来タイの第一目的ですからね。
昼前に出かけて6000歩ほど歩いてからご飯を食べに行ったのですが、土曜日とあってかどこも混んでいて、持ち帰り弁当にしてもらいました。

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25バーツ也

こういうもので十分と思えるならば、タイ暮らしは気楽なもんです。こんなんじゃイヤ、と思うと、それなりにめんどくさいかも。みんな毎日、何食べてるんだろ。

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チェンライのサテ屋の窯

チェンライの市場で見かけたサテ屋の窯です。煙が周囲に充満しないようになってるんでしょうね。なかなかのアイデアです。

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狂犬病は大丈夫そう

チェンライの小洒落たカフェで愛想を振り撒いていた、レトリバー君。大肥満状態。君もすこし歩いたらどうでしょうか。

因みに、シンハ・ビアの缶1本はスーパーで28バーツ。冒頭のお弁当より高いんですよねー。日本でもそんな関係でしたっけか? いやー、贅沢しとるな。
軽井沢の最低気温は連日氷点下11度前後。うーん……。何か言わねば。
がんばれー! がんばれー!
うるさいっ! ボコッバコッ!(from町民の皆さま)

ではまた



2008.02.15

たっ さん さん

ちょっと前の話ですが、美容院で髪を切りました。
女が髪を切る=ワケあり、と思い込んでいる人はさすがにもういないでしょうね。私が最初に勤めた職場では、髪を切ると必ず「おっ、失恋?」とオヤジ的気遣いを見せる課長がいました(笑)。月1回ずつ失恋するんですか、私は?
今回切ったのはちょうど、くだらないことでグダグダ言ってた時です(笑)。その時は、ええ、確かに、振り払いたいものがあって美容院に行ったわけなんですけどね。

美容院は近所の大型ショッピングモールにも何軒か入っていますが、どこも何となく敷居が高い。私は日本でも美容院ってものが苦手なので、こっちに来ても「やり手ばばあ」的人が1人でも目に付くと、もうその店は嫌なんですよ。いろいろ言われそうで。例えば「マニキュアは、フェイシャルは、カラーリングは、云々」。私そういうの、一切、パスなんで(笑)
で、どうしようかと近くの住宅街をうろうろ歩いていて、一軒の見事なオープンエアの美容院を見つけたので入ってみました。お客さんはいません。ついでに、店の人もいません……。
裏口がパカーンと開いていたのでそこから首を出すと、そこにある駐車場のおじさんと目が合いました。「何か用?」「ここの人いないんだけど」「あ、そのへんにいるだろ、ちょっと待って」と、おそらくこんな会話を交わし、5分後に店の人が来ました。私と同じくらいの年齢の女性。ケバくないし、いい感じです。

「たっ さん」
私は来る前にネットで調べたタイ語を告げました。「たっ」が切るで、「さん」は短い。なんのことはない、「短く切って」ってことですね。店の人は「どんくらい? 5センチくらい?」と不安げなので、もう一押し、
「たっ さん さん」
これで「短く」を強調できるので、「うんと短く切って」ってことになるそうですよ。
その時の私は、ポニーテールができるくらいの長さだったので、切るならもうバッサリいきたくてですね。振り払いたいものが一杯あったんだよ(笑)
店の人はカタログを持ってきました。しかし、開いて見せてくれたそのページは、どう見てもパリコレのモデルたちの写真としか思えない。あのね、東洋人のはないんですか? 
・・・・・・、これしかないらしい。
店の人が「これっ?」と指し示すのは、いや、笑っちゃいかんけど、ありえないだろ、こんな髪型ってやつです。とにかくこれ、パリコレの雑誌だからっ! 最先端モードだからっ! こういうのばっかりやってるヘアメイクアーティストの作品だからさっ!
店の人はなおあきらめず、「これっ?」・・・・・・、いや、だから、それもありえないって。左右でぜんぜん違う長さって、どうすんのよ私? 

結局、私は、パリコレのショートカットモデルの中から最も無難なものを選び、「これ」と告げました。因みに「これ」は、タイ語で「アンニー」です。ンは小さく言って下さいね。
店の人はほんの5秒ほどその写真を注視しましたが、「オッケー・カー!」と力強く宣言すると、さっさとカタログを片付けました。おいおい、もう覚えたのか、難しそうだったぞ?

最初にシャンプー台に連れて行かれました。そこで私の頭に降り注いだのは、水だよ。タイの美容院では、まだ、お湯でシャンプーという概念は普及しておりません。冷たい。まぁ、暑い国ですから、風邪引いたりはしませんけどね。慣れれば別段どうということもないです。
そうだよ、今でこそホットシャワーの宿が大半になったけど、ちょっと前まではタイでホットシャワーなんて考えられなかったですよね。どこも水シャワー。当たり前のようにそれを浴びていたもんです、私だって。

で、その後、カット台に移った私。店の人は前髪を手に取ると、「このくらい?」と長さを聞いてきます。おいおい、何のためにさっきカタログ見たんだよー(笑)。続いて横も「このくらい?」ほんでもって後ろも「ねぇ、このくらい?」
カタログなんて、何の意味もないじゃないですかー(笑)
大体の長さを指定し終わると、店の人は切り始めました。まぁ、はさみの使い方といい、クシの使い方といい、とてもプロとは思えません(笑)。私も同じくらいにはできると思う。しかし、一生懸命やっていることは認める。うん。
日本の美容院だと、私はあまり鏡を見ていなくて、雑誌に目をやったりしているのですが、さすがに不安なのでずっと鏡を見ていたら。
気のせいか、どんどん、まっしぐらに、一直線に、迷うことなく、

タイの中学生カットになっていくんですが・・・・・・・・!!

どうやってこの方向を変えさせたらいいのでしょうか。私にはわかりません。だってもう、後ろなんかめちゃ段入れとるし。段入れろって、言ってないでしょ私。カタログの写真だって、段は入ってないからっ!
そ、その、てっぺんをそんなに切るのはやめてくれっ! 伸びるまで時間かかるんだからー!

彼女は自らの信じる道を突き進み、私はそれを止める手立てをもちません。
あきらめるしかない、あきらめるしか。
いいんだ、こんな頭、誰も気にしてないから。

30分後、「オーケー・カー!」の明るい声と共に出来上がったのは、もう、どこから見ても立派な、そこらでアイス買い食いしてる中学生の髪型でした。
もう何も言わんよ、私は。
次にくる時は、「丸刈り」って指定しよう。いっそその方が潔いぞ。

それにしても、パリ・コレのモード頭と、この中学生頭。この間の溝はたいへん深くて広いと思われるのですが、彼女の中ではこれがどう認識されているのか。非常に興味がある(笑)

その日、そのままスーパーへ行き、とりあえずワックスを買ったのは言うまでもありません。
もう切ってから2週間くらいたったと思うのですが、どういうわけか、短いのに爆発する……。ほんとに、どういうわけなんだか(苦笑)

因みに、シャンプーとカットとブロー(タイの美容院は、カットよりブローに命を賭けてます、理由はわかりませんが)で、120バーツが言い値。出来上がりはともかくとして、丁寧かつ真剣にやってくれたので、150バーツ払いました。ショッピングモールの中だと、200-300と書いてあるところが多いようでした。

あー、タイっぽい話題になりました。
今日も雲が多くて蒸し暑いチェンマイです。日本は激寒らしいですね……(すいません) 昨夜のニュースでは、来週の半ば頃から春めいてくるって言ってましたよ(こんなヤツからの励ましはいりませんよね・笑)
ではまた
2008.02.14

飲んではいけない

今日はバレンタイン・デー。私には何の関係もない日ですが、きのうスーパーで珍しくチョコレート売り場の前が人だかりになっていたのは、このせいだったのですね。
タイでもそれなりに盛んなようです。チョコレートを贈る不思議な習慣(笑)。

夫よ、ビールで我慢してくれ。

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この、トラの目つきが何だか嫌で、迷ったんだけど買ってみたLEOビール。いや、トラじゃなくてヒョウだった(笑) タイのビール通であるMさんによれば、飲んではいけない銘柄だったらしいです。どうりで、その夜悪夢(アジの開きが黒こげ)を見た、&、翌日何となく調子が悪かった、わけですね。
Mさん、そのほかに買ってはいけない銘柄があったら、教えてください。やっぱり安いのはダメなのかな。シンハが無難?
昨日、シンハ・ライトってのを買ってみたんですけど、こいつはどうかな……。

結局、このダメ妻は飲んだくれているだけじゃないか! と思われているかもしれないんだけど、えーと一応、説明(出たよ、得意の説明・笑)をしときます。
実は体重が減りまして……。
チベット体操なんかしなくても、あなた、チェンマイに2ヶ月住んだらやせるって(笑)。
理由はわからないけど。食べてる量は日本と変わらないと思いますし。揚げ物が減ってるかな、つい日本だとスーパーでコロッケとか買っちゃうから。
まぁともかくね、減りまして。ダイエットを頑張っている方には申し訳ないけど、逆には逆の大変さがありましてねぇ、私などはむしろもうちょっと増やしたいクチでして。で、要するに、アメリカ人のような食生活になればいいのかと、フライドチキンにビール、ポテチにコーラ、的生活をしてみようかと努力中なんです。あと、鬼のようにバナナを食べる!(かなり飽きてきた)

そんなわけで、ビールとお友だちになりつつあります。
でもやっぱり、いちばん美味いのはビアラオだよ……。
全財産懐に巻いて大瓶飲んで千鳥足で町を歩いて夫に叱られましたが(笑)。ま、ビエンチャンだからさっ(根拠はあるようでいて、ない)
大丈夫、チェンマイに戻ってからは、部屋以外では飲んでいません。

えー、ご近所のFセンセイ、帰国したらビール飲みましょうねっ! ほんで、「せんだんりん」を歌いましょー。なにっ、歌えないっ? それは一体どういうことだっ!
今日もご近所ネタを使ってしまった……。そして殆どの人には意味不明。ヒント、楽天の「まーくん(ホントはこの呼び方は虫酸が走るんだが)」が甲子園で何度も歌ってたですよ。

ではまた
2008.02.13

地に在りては……

チェンマイ現地時間正午過ぎです。今日のチェンマイはどんよりとしていて、風があります。そして暑いです。何かしていると汗が出ます。だんだん冬が終わりつつあるのかな。タイの3月は地獄のような暑さですからね……。帰国する時は避暑って感じかもしれません。

軽井沢の天気予報を見ると、まだ連日最低気温は氷点下2ケタになるようですね。立春は過ぎましたが、今年はほんとに寒い冬になっています。これじゃ当分帰れない(笑)
それでも月末にアパートを出て、どこかに転がり込んで、啓蟄を過ぎたあたりでじりじりと帰国に向け動き出すのではないかと思っております。啓蟄ってそういう日ですよね。

昨日はまた下らぬ話で皆さまのお目を汚した罰があたり、昨夜、夢の中で、アジの干物を黒焦げにしてしまいました(笑)。
私は食に関して多分かなり淡白な人間で、タイ在住すでに70日を過ぎておりますが、一度も日本食は食べに行かず、ジャポニカ米も一度も口にしておりません。狂おしいほどの欲求は、まったくありません。タイ米でまったくオーケー。ダーイ・カーであります。
あと半月とちょっと、このままタイ飯街道を驀進すると思います。

閑話休題。
部屋の窓の外に大きな木が1本あって、そこに毎日、頭にちょこんとオレンジの帽子を載せたかわいい鳥が来ます。1羽の時もあるし、群れの時もある。今朝はつがいかな、2羽で来ていて、見ていると1羽が留まった枝にもう1羽がすっと飛び移り、2羽で不安定に揺れるやわらかい枝に寄り添って留まり、ときどき見つめあったり、そっとささやきあったり、していました。

「天に在りては願わくは比翼の鳥、地に在りては願わくは連理の枝」(在天願作比翼鳥 在地願為連理枝)
たまたま「枝」と「鳥」が重なったので、ふと思い出しました、こんな漢詩を。玄宗皇帝と楊貴妃の愛と別離をうたった詩。
ご存知の方がほとんどかと思います。高校の漢文で学んでいるはず。白居易の「長恨歌」の最後から2節目、ほとんどフィナーレの部分ですね。意味は……、自分で調べよう(笑)。
それじゃダメかな、思いっきり意訳しますが、「どこに在ってもいつまでも一緒にいよう」ってことじゃないかと。
哀しくも美しい、また、儚くも強靭な、男女の祈り、願い。史実では、玄宗皇帝は、愛する楊貴妃を処刑せざるを得ず、その後は権力も失って失意の底に落ちていくのです。だからこそ、この言葉の美しさが胸に迫り、願いの儚さが心を打つのでしょうね。
ゆらゆら揺れる枝でじっと動かない2羽を見ながら、そんなことを考えておりました。

今日は美しいままで終わるです。
ではまた

2008.02.12

チェンライからチェンマイへ戻る

「帰路・中国の影」 前半はどうでもいい話です

チェンライでは2泊しました。
チェンマイよりずっと小さな町チェンライは、ちゃんと訪れたのは15年ぶりです。でも、ほとんど何もせず。ひたすら友人夫妻と喋り(というか、ダンナにずっといじめられてた・笑)、食べ、ビール飲んでただけでした。市場とナイトマーケットは当然行きましたが、特に今買うべきものは見当たらず。
この友人と出会ったのは89年の雲南省大理。ベルリンの壁が崩壊したというニュースを聞いたのがこの時でした。
89年だよ……。もうじき20年だ。
話していてもまず変化球しか投げないこの人、唯一直球らしきものを投げたのが、
「ヤマネさん(実際は本名で呼ばれてるんだけどね)てさぁ、初めてあったその時から、一歩も引かない人であったよね」
「え? そうですか? この小心者が?」
「進むか引くかの場面でさ、あなたが引いたのを見たことないし、事実そうでしょ」
「あぁ…………。そうかもしれません……(笑)」
私の脳裏に浮かぶのは、あの、雪のヤリ峠(注釈最後に)。人生最大の進むか引くかの場面だったあの峠。そのまま進めば犯罪者になることが決まってたあの峠。というか、ミッシングになって帰らぬ人になる可能性だって、少なくとも渋谷駅前のスクランブル交差点を渡るよりははるかに高かったあの峠。その時の私も、当然のごとく、進む道を選んだっけ……。なぜ私という車には、バックのギヤがないんだろう。あるのかもしれないけど、絶対そこにギヤを入れないのはなぜなんだ。
その後、この大バカ暴走女を助けてきたのは、いつも夫だ。私がともかく生きて今ここに在るのは、夫のお陰だ。ありがとう、夫よ……。故郷は遠くに在りて思うもの、だね。

と、書きつつも、私の夫は私を止めない人でしてね。止めないし、やらせるんだけど、背後で睨みを利かせてくれてるんですよ、多分。例えて言うならば、暴力団の組長の娘がやんちゃしてるのを、背後から守ってる鉄砲玉のマサ、って感じ。
そうそう、デリーのメインバザールで、ものすっごくうざい日本人の中年男と遭遇してしまった時、撃退すべく一芝居打ったことがありますよ。
まず夫が、
「お嬢さん、こいつ、シメますか」と、ぼそりと囁く。もちろん聞こえるようにだけど。それに対して私が、
「マサッ! 堅気のお方に手、出すんじゃないよっ!」と、厳しく叱責。
「へいっ、お嬢さん」と頭を下げつつその男にしっかりとガンを飛ばす夫。その男、さーっとどこかへ消滅していきました(笑)。
その時の夫ときたら、角刈り、黒の長袖Tシャツ、黒ズボン、黒っぽいゴツい靴、黒のサングラス、解放軍バッグという、素敵ないでたち。知り合った韓国人には「ムショから出てきたばかりの人?」とか聞かれてるし(笑)。その通りだったら気まずいだろっ、韓国人! 少しは考えろよっ! まぁ、この韓国人は親切にも仕入先を1つ教えてくれたから許すけど(笑)。
で、何でマサなんだろうねぇ?

そうそう、そもそもこの組長の娘というギャグは、私のご近所さんが生んでくれたのでした。軽井沢の今の土地を夫婦2人でがむしゃらに伐採・開墾してた時、その様子を見ていたご近所さんが、数年後にしみじみと語ってくれたんだけど……。
「私はてっきり、暴力団の組員が組長の娘と道ならぬ恋に走り、街に居られなくなってこんな田舎に身を潜めようとしていたのかと……」
それを聞いたときの衝撃ときたらなかったですね。暴力団員と組長の娘が、森の中にブルーシートの掘っ立て小屋を建てて住み暮らしながら、森を伐採してる……。でも、駆け落ちにしてはちょっと、目立ちすぎじゃないでしょうか。
まぁそれくらい、美女と野獣(箱入り娘と鉄砲玉)っぽく見えた、ってことですね(異論はコメントせよ・笑)。
そういや、店建ててタルチョー張ったら、県警(駐在さんとかじゃないんだよ、本気で県警だった)がすっとんできたこともありましたねぇ。まだオウムの残党が県内のあちこちでトラブルを起こしていた時期でしたから。

うん、まぁさ、話は逸れたけど、いろんな夫婦の形がありますよね。ウチはこれでうまくいってるから、このままでいいんだよ、きっと。
今、あちこちから「そのままでいいワケないだろっ、早く帰国して妻らしいことやんないと夫が逃げていくぞっ!」という声が聞こえるような気がしますが、空耳? 気のせいですわよね? 
ダメ妻の私としては、早いとこ帰国して夫の手料理が食べたいです。えぇと、味噌汁の具は豆腐とナメコにしてね♪ 豆腐は39円のじゃなくて、62円の方にしてね♪ つるかめランドじゃなくてツルヤのねっ♪(しつこいよ、しかもローカルすぎて誰にもわかんないよ)
あー。こんなこと書いたら、鯵の開きが目の前にちらつく……、とほほ。頑張れ、あともう少しだ(えーと、あと1ヶ月弱!?)

まぁ、そんな話は置いといて。
すいません、こっから本題です。前置き長すぎ。

チェンライからの帰路は、エアコンバスにしました(笑)。デブ専の陶酔は1回でいいし、そもそも両隣がまるまるとした人でなければダメなわけで、それに当たる確率はかなり低い。やっぱりね、あまりキツキツだと疲れるんで。リクライニングはどうせ自分は使えないからどうでもいいけど、前後の間隔などはやっぱり狭すぎると参ります。
チェンライ発午後2時。定刻5分遅れで発車したバスは、すぐに工事現場に差し掛かりました。
現在、チェンマイ~チェンライ間は数箇所で大規模な道路拡張工事をしています。このため、若干時間が余分にかかります。往復とも3時間20分以上かかりました。
拡張工事は今のところ平地に近いところで行われています。つまりチェンライ盆地、途中の町、チェンマイ盆地。これらの平地から山に入っていくあたりで、かなりの距離に渡り、片側最低2車線にするために山を削っています。あちこちで道がダートになってしまうため、砂埃もひどく、またスピードも落ちます。

チェンライからさらに北に上り、ゴールデントライアングルと呼ばれるエリアに入っていくと、そこにはタイ~ミャンマー国境(年末に私が行ったメーサイ・タチレク国境)と、もうひとつタイ~ラオス国境(チェンコーン・フェーサイ国境)があります。このラオス国境はメコン川で、現在は両国を渡し舟が結んでいます。ここに、タイ~ラオス間国境として三つ目の友好橋が掛けられるそうです。(友好橋は現在、ノンカーイ~ビエンチャン、ムクダハン~サバナケットの2箇所にあります。)
この三つ目の橋、工事費用を負担するのは、タイと中国です。
タイは自国との国境ですからわかりますが、直接関係のない中国がなぜ金を出すのか。
中国からラオスを経由してタイへと伸びる、陸路での貿易ルートを確保したい、そしてもちろん、タイに対する影響力を強めたい、がためです。現在はメコン川を利用した水運が主流のようですが、中国内で大量に水が消費されることも関係するのか、渇水期には船が航行できないという状況があるようです。このため、安定した陸路ルートが、中国としては欲しいのでしょうね。
現実に、中国~ラオス国境からラオス国内を通ってタイ国境のフェーサイまでは、中国によって舗装道路が整備されたと聞きます。かつては悪路をトラックバスで走らざるを得ず、100キロ行くのに4時間も5時間もかかっていたような地域。それが今では時間もぐっと短縮されています。まぁ、旅行者としては移動が楽になってありがたい側面もあるのですけれど。

と、見てくると、現在行われているチェンマイ~チェンライ間の道路整備も、実は中国資本が投入されて、最終的にバンコクまでつながる大量輸送ルートとしての整備ではないのか、と思えてしまいます。資本云々の部分は完全に私の想像です。何らデータとして確認したわけではありません。
が、もともとタイは政治経済共に華僑が牛耳っていると、以前に読んだことがあります。金持ってるのはみんな華僑と、私の友人も言っております。タイ国民である華僑がこの事業を推進していこうとするのは当然と言えるでしょうね。
それにしても、確実に巨大な中国経済圏に組み込まれていく東南アジア諸国。チェンライでは、公立小学校で中国語教育が始まったと聞いています。もともと華僑の多い場所らしいのですが、さらに中国の影響力が強まっていくのは間違いない。
ほんとうに、時代は変わっていきますね。
私がチェンライで会った友人に初めて会った89年当時、中国がこんなに早くこんな風になると予測した人が、果たしていたでしょうか。もちろん後だしジャンケンと一緒で、「私は予測してました」と言う人はいるでしょうけれど。少なくともあの当時、中国で出会った人たちは、旅行者も働いている人も含めて皆、そんな風には考えていなかったはずです。「いったい中国はいつになったら先進国の仲間入りをするのでしょうか?」「NEVER!(金輪際ない)」という笑い話を、何度も耳にしました。

蚕を飼い、糸を取り、自然の染料で染め、機で織る。季節が巡れば水田に稲を植え、育て、刈り取り、家では家畜を飼って暮らしていく。今はまだなんとか続けられているそういう暮らしが、このエリアからも急速に失われていくことだけは確かなことのような気がします。人々は工場生産の安価な動きやすい衣類を身につけるようになるだろうし、現金収入を求めて新たな働き口を探そうとするでしょう。手間ばかりかかってお金にはならない機織など、見向きもされなくなっていく。あるいはごく一部、商才のある人が、工芸品としてそれを高く売る道筋を見つけるかもしれません。ラオスの首都で生き残っている織り手たちは、皆その道をきた人たちです。
そういった時代の趨勢を押しとどめることなど誰にもできません。また、押しとどめる正当な理由などどこにもない。少なくとも私には見出せない。豊かになろうとする彼らに、機を織れ、伝統的な衣装を身に着けろ、バイクに乗らずに山道を歩け、と誰が言えましょう。

そんなようなことを考えながら、バスに揺られました。
沿道の村はどこも貧しい。バラックのような建物の前で、工事の砂埃をものともせずにしゃがみこんでいるのは、決まって老人です。道が広がれば何か恩恵があるかもしれないと思っているのか。あるいは身内がこの工事に携われて現金収入が入ってよかったと思っているのか。それとも何も思っていないのか。
ちょっとだけ感傷的な気分になりながら、沿道の風景を眺め続けました。

チェンマイ到着は5時20分。途中乗り降りがほとんどなかったため、往きよりは早かったです。
ちょっとのゆとりのために払った差額は75バーツ。水とお菓子とお手拭付きでした。

(注釈)雪のヤリ峠(正しくはチャン・ラかと推測されるが確証はない)
西北ネパール・フムラ郡シミコットからさらに西北へ延びる巡礼・行商ルートの最大の難所。標高は4720m。ルートはここを越えることにより、ヒマラヤ山脈を南北にまたぐ。越えた先はまだしばらくネパール領だが、下ったところの川を渡れば中国領チベット自治区に入る。西チベットにそびえる聖山カイラスに至る最短の(インドから越えればさらに近いルートになる可能性はあるが、危険ははるかに大きいと思われる)徒歩ルートである。ここは私が行った1992年当時対外開放されておらず、無人の国境であり、ここを越えることはネパール、中国両国に対して密出国、密入国という二重の罪を犯すことになった。さらに私の場合、ビザなし入国という三つ目の罪もあった。現在、このルートはツアー参加者に対してのみ開かれている。
因みに私は中国入国後、国境警備隊に1週間軟禁され(文字通り軟禁であり、私は毎日村の中をぶらぶらしてました)、彼らが言うには北京で被告人不在の簡易裁判が行われました。私はこの裁判で出た罰金刑を受け入れて控訴せず、釈放されました。
(入手困難ではありますが、拙著『チベットはお好き?』の後半が、この旅の模様をつづった紀行になっています。また、別ブログTravelling Daysでこの旅を振り返りました。一応ここがヤリ峠のページです)
2008.02.11

チェンライ行きのバス

「ウガンダ」

その日。
珍しくチェンマイ・アーケードまで20バーツで行ってくれる良心の人に当たった私は、気分よく10時10分過ぎには駅に着きました。大抵、このバス駅への行き帰りは、言い値40から50、にっこり値切って30、って感じです。地元の人は20かなぁ、多分。外人だからね、ちょっと高いのは仕方ないんですよ。最近はそう思っている私。インドでは毎回大喧嘩だけどね(だってボリ方が半端じゃないんですもん)。
チェンライ行きはバンバン出ているので、長くても1時間待ちで乗れると思ったら甘くて、10時半も一杯、11時も一杯。11時半ならあるというので、それにしますと答えると、「エアコン? ノーエアコン?」と聞かれました。不意打ちです。そうか、選択肢があるのか、チェンマイでは。
この間何本か乗り継いだイーサンと中部タイでは、選択の余地はなく、そこにあるバスに乗るだけだったので、そんなことを聞かれるとは思ってなかった私。昨日からちょっとお腹の調子がいまひとつ(食堂で生水一気飲みしてしまいまして……)だったので、冷えないほうがいいなと思い、「ノーエアコン」を選択しました。チェンライまで100バーツ。うぉ、安い。
11時のバスが発車してしばらくすると、私の乗るバスが入ってきました。タイのバスは、座席はフリーの場合が多く、仮にチケットに座席番号らしきものがあっても「マイペンライ(気にするな)」が殆どです。で、みんないい席に座ろうとどどっと乗り込む。私も乗り込みましたが、中には女車掌が仁王立ちになっており、私のチケットを奪い取って「ここっ!」と指定した先は、な、な、なんと、既に絶滅したと思っていた3列シートの真ん中でしたよ……。
北タイではもうなくなったと噂のあった5人掛けバス! まだ立派に生き残ってましたよ、みなさーん!
それにしても、3列シートの真ん中とはね。単純に計算して、五分の一の確率の貧乏クジを引いてしまいました。がっくり。

いったんバスを降りて、チェンライにいる友人に、これから乗るからと電話し、水を買って、ちょい時間を潰してからバスに乗り込むと、私の隣の窓側席に座っているのは、ウガンダさん? ですか、まじで? とほんとに思っちゃったくらいそっくりな巨漢。
あの、既にお1人で、1.8人分くらいのシートを占有していらっしゃるのですが。
私は狭いバスの通路で低い天井を振り仰ぎ、神に言いましたよ。

神様、ネタは要りませんからっ!

そもそも、5人掛けシートバスには、人権というものはありません。もちろん座るところはただのベンチシートだし、「リクライニング? けっ、貧乏人が何を言いやがる」とばかりに、当然そのような人権機能は備えられていません。そもそも背もたれも2人・3人分一緒の1枚板ですから、倒しようがない。
どう贔屓目に見ても、人間1人は0.7人として勘定されていると思います。そんな激狭シートにあっては、細身の私も間違いなく1.0人分は取ってしまいます。するとね、つまりですよ、ウガンダと私だけで、2.8人分のシートが埋まるわけですよ。
さぁ、計算してみましょう。残りはいくつ?
0.2じゃねぇか……。
どうすんだよ。
私はウガンダににっこり笑ってその隣に座りました。さすがのウガンダもちと遠慮したのか、若干体を縮め、彼の体は1.7になりました。でもマイナスは0.1だからね、たったの。
私の隣の通路側には、2歳以下の子どもしか座れません。最大限譲歩して、ウガンダにもうちょっと縮んでもらって、超スレンダーなタイ娘。私は祈ったですよ。子ども、カモン! いつもは子どもは勘弁と思ってるけど、今日だけは大歓迎だよ。隣のお姉さんがいろいろ遊んであげるぞー! お小遣いだってあげちゃうぞ!

しかし数分後、私の横に来てにこにこと微笑むのは、オーマイガッ! スレンダーの真逆のタイおばさん道を突き進む、しっかりむっちり小太りのおばちゃんでした。しかも、大量の荷物を持ち込んできている。それ、どこに置くんですか? 網棚はもう一杯っすよ? ああ、やっぱり、私の足元にも置くんですね? 私の足はどこに置けばいいんでしょうか……(ため息)
ウガンダはさらに体を縮め、ほぼ1.6になりました。私も体を目一杯縮めましたが、0.8が限界です。いくらなんだってさ、骨は縮まらないから、骨は。と言いつつも、おばちゃんが0.6で納まるはずもなく。
ぐいっ。
と、おばちゃんはお尻を私の側に押し付けつつ座りました。間違いなく彼女は半ケツです。
さらに、ぐいっ。
おばちゃんは私ごとウガンダに向かって体を思いっきり押し付けてきます。彼女の体圧は相当なもので、私は微妙に数センチ、ウガンダ側に押しやられました。ウガンダは女2人に押し寄せられてさらに体を縮めようとしますが、もう限界です。
おばちゃんは私に向かって何か言いますが、さっぱりわからん。「マイカオヂャイ」と、一つ覚えの「わかりましぇん」を繰り出す私。おばちゃんがあまりぽかんとした顔をするので、「コンイープンカー」、私日本人ですけん、と言うと、ああ、と得心して今度はウガンダに何か言ってます。きっと、もっと詰めてくれと言ってるんだろうなぁ。でもね、もう無理ですよ、彼は。彼の右半身は、バスの車体とほぼ一体化してるもん、既に。

もともとこの5人掛けシートバスには人権はないと、既に書きました。中国でもそうですが、この手のバスに乗った場合、通路側の人は体のある程度を通路側に逃がして座るしかないのです。だから誰かが通路を通ろうとすると、通路側の人は体を引っ込めなければならず、通路に人が立ち始めたりするとかなりの地獄ぶりになります。そういうバスに何度乗ったろう。新疆でも太ったおばちゃんに押しやられまくって大変だったなぁ。と、思い出話は置いといて。

バスは発車しました。比較的小振りのバスですが人間が目一杯乗ってるのと、エンジンがさほど強くないので、上り坂になると途端に自転車以下になってしまいます。チェンマイ~チェンライ間はほとんどが山岳地帯。チェンマイ盆地をあっという間に抜ければすぐに上り坂、途中一カ所平地に入ってバス駅に寄り、再び山岳地帯に入ってチェンライ盆地に下りるまでずっと山の中。上りが上れない分、下りは惰性で飛ばします。そうそう、去年のVIPバストイレ事件は、この「飛ばす下りの山道」で起きたのでしたよ(笑)。
太陽がジリジリと照りつけ、低い天井でいくつかの扇風機が回っていますが何の役にも立たず、車内は暑くなってきました。ぐいーん、とカーブに差し掛かるたびに、私はウガンダかおばちゃんのどちらかに押し付けられます。私1人じゃなく、必ずもう1人分の体重も加えて。だって私じゃ支えられないもん、ウガンダもおばちゃんも。
車内はどんどん暑くなってくる。運転手と車掌の甲高いお喋りも、気にならなくなってくる。私は体の両側をぴったりと2人のお肉に挟まれたまま、ぐいーん、ぐいーんと運ばれていきます。

そのうちにウガンダが眠り始め、おばちゃんが眠り始め、ついでに私もうとうとし始めました。
するとね。
得も言われぬ陶酔感が私を包み始めました。
その時の私は、ふっくりと湯気の立つ肉まんに両側を挟まれた羊羹のような状態です。私の腕といい腰といい、両側の肉まんにぴったりとめり込んでいるような感じ。鋳型に流し込まれた金属みたいな感じでしょうかね。ほんとにぴったりはまってる。そのままぐいんぐいんと振られる。右へ、左へ、また右へ。ウガンダへ、おばちゃんへ、またウガンダへ。どんなに振られても私は安定していて、不安がない。温かな肉まんにはまり込み、汗をかきつつも幸福な眠りを得る。
1つ悟りましたよ。

デブ専って、つまり、これか……。

いや、冗談じゃなくて、真剣に、だよ。そう、肉に包まれるって、安心するんだよ。赤ちゃんが母親に抱っこされて感じる安心感に似てるんだよ、きっと。圧し掛かられたら重くてたまんないけど、埋まる分にはきっと幸せだと思うなぁ(変な想像力をはたらかせないように・笑)。
あぁ、そうそう、細かいビーズのクッションに埋まるときの幸せ感に近いかもね。

何だか幸せな数時間でした。年が明けてから眠りがすごく短くなって、うーむ、と思っていたのですが、こてんと寝てしまいました。
チェンライから20分くらい手前でおばちゃんが降りて、私とウガンダは3人掛けに2人で座るという幸運を得たのですが、そこから先は何だか不安定でさ。揺れるたびに前の座席つかまないとダメだし、疲れました。ウガンダもちょっと物足りなさそうだった(笑)。

チェンライに着くともう3時を回っていて、出迎えてくれた友人夫妻と一緒にバス駅を後にしました。

2008.02.11

思わぬ展開

首都圏の雪は大したことがなかったようで、よかったですね。軽井沢では除雪車が出動する積雪にはなったらしいです。重い雪だったとか。気温は低いのに……。

さて、今日は日曜日。出動の日です(笑)。
市内某所にこの日だけ店を出す村の友人に会いに行きました。月末に引っ越す時に手伝ってもらうので、「忘れないでね」と言うかわりに頻繁に顔を出す。
引越し後は市内のツーリスティックなエリアのゲストハウスに宿泊し、おしゃれなカフェやらレストランやらで1人絵葉書でも書きながら時間をつぶし、網を張って、いい男が通りかかったらすかさず一気に引き絞る(食虫植物みたいです)、つもりだったのですが、どうやら荷物と共に村に拉致されそうな雲行きです。チェンマイを離れること30キロ。当然ですが、外国人なんか1人もいない、通りかかりもしない場所。ああ、帰国前の楽しみが……。

その話はともかくとして、待ってましたとばかりに、今月の23日は暇か? と聞かれました。暇も何も、私はずっと予定のない暮らしをしております。まぁ時折ラオスへ行ったりチェンライへ行ったりしますが。何? と聞いたら、結婚式があるんだと。一瞬、つ、ついにこの2人、結婚式を挙げるんかい…………。と思ってしまいましたが、よく聞いたら外国人の結婚式を引き受けた、ということでした。あ、友人2人は、男性同士のカップル(だと思うんだけど、うーん……)なのです。
彼らはチェンマイ郊外の村で、昔ながらの建物を再現して暮らしています。時々、地元のパーティーなどを引き受けることがあるとは聞いていましたが、外国人のタイ風結婚式をやるとはね。しかも、新婦は日本人で、親族が日本から来るらしいと聞けば、これは手伝わないわけにはいきませんでしょうね。
まぁさ、私なんかタイ語できないから、何の役にも立たないですけど。
でもほら、いるだけで何となく、橋渡しみたいなものになるかもしれないでしょ? わざわざ辞書繰ってまで言いたかないけど、日本語でなら言ってみたい要望とか苦情とか、あると思うんですよね、きっと。タイ在住らしい新郎新婦はともかくとして、ご親族がタイ語を話せるとは思いませんから。

二つ返事で引き受けて帰ってきてから、はたと気づきました。
結婚式といえば、やはり正装すべき場。
私ときたら、いちばんいい服がジーンズと温存中のTシャツです。
うーん……。
正装に使えるサロンを手配せねば。
お化粧は……? 日本ですらしたことないのに。しかもすっかり浅黒くなってしまって、友人たちのことを言えない今の私。これに化粧は似合わん。やはりすっぴんで押し通すしか……。それは許されるのか、ま、タイだから平気かな。

などと、いろいろ悩めるのでありました。

ではまた。
連休スペシャル、なしですみません!


2008.02.09

無事帰宅

チェンライから戻ってきました。
ふぅ。

午後2時のバスに乗ってチェンマイ着が5時20分。ソンテウで乗り合いさせてくれるのを探して(トゥクトゥク使えよっ!)あちこち大回りされて、それでもアパートの路地で降ろしてもらって、部屋に着いたら6時ジャストでした。
それから屋台村に出かけていつものサテ(ぶた串)、カオニャオとよくわかんない惣菜と果物を買って戻り、よくわかんない惣菜を食べたら辛い……。
おばちゃん、辛くないのはどれ? って、私、聞いたやんか? 
「これは辛くないよ」って、言うたやんか?
あ゛ー、まじで辛いよ。
プシュッ!



080208singha.jpg
高いだけあってビアチャンよりは美味いと思うシンハ・ビア。
知人に言わせると、昔は苦かったらしい




あーっ!
今日はアルコール抜こうと思ってたのにーっ!
おかずが辛いから開けちゃったじゃないですか、シンハ・ビア!

ま、いいか。
今日は金曜日。
日本でもみんな飲んでますよね。
タイ組は、昨日も一昨日も飲んでたけどね(笑)

えーと、チェンライ小旅行の話はまたあらためて。
とりあえず無事帰着のご報告でした。

週末ですが、また雪になるようですね。まぁ、週末でよかったかなぁ。遅刻しそうで走ったりすると危ないですからね。皆さんお気をつけて。
2008.02.05

気がつけば……

チェンマイ滞在も早いもので2ヶ月を越え、今月末にはアパートを退去することになりました。とりあえず決まっているのはそれだけなんですが、ちょっとこう、焦ってきました(笑)。
一応、アパートを出るまでには荷物を揃え、日本に発送したいですしね。というか、そうしないと大量の荷物と共に引越しということになり、大変すぎます。
月末にここを出て、いきなり帰国するというわけにはいかないので(いろいろ後始末とかあるし、荷物が揃うかどうかもわからない)、いったん市内のゲストハウスか、あるいは村の友人宅へ仮住まいするつもりです。

今日は帰国便の値段などを調べに市内に行きましたが、いったんバンコクに出た方がいいかなぁという感触でした。片道で7万以上出さないと帰れなさそう、チェンマイからだと。バンコク発券のほうが選択肢も多いし、安いんじゃないかと思います。東京への片道、4万で何とかならないかしらん? ギリギリまで帰国の予定は決まらないですね、多分。あ、普通は予定が先にあって、それにあわせて動くのか(笑)

他、せっかく市内に出たので馴染みの店など周り、いくつか段取りしたりして。
「元気だった? 何してたん?」と超馴染みの華僑に中国語で聞かれ、「お、おお、えーとな、ミャンマー行ったりラオス行ったりな、いろいろしとってん」と中国語で答える。彼女は英語でいっぱいいっぱいになると、突然中国語で話し始めるので、いつも心の準備が間に合わず、困るんですけど。でも、気の許せる相手です。
馴染みのチケット屋のおばちゃんには、「あんた、タイ語の勉強しにここに通っておいで」と言われたけど、絶対あのおばちゃん、「日本語でどうぞ」って看板を路上に出す気だよ……(笑)暇で暇で、今日も昼寝してたし。

モンマーケット(勝手な呼称)に行ったら休みでした(多分)。消滅したわけじゃないと思うけど、もしかして……? 折角カメラ持って行ったのに残念でした。まぁ今度の日曜は近くに行く用事があるので、また行ってみます。

俄然忙しそうになってきたよ……。
いいね、仕事に救われる。
大人の女はこうでなくちゃね。

080205nightbazar.jpg
ナイトバザールに高層ホテルが完成間近。MERIDIANだったかな?
この道路の両側が夕方からびっしり露店で埋め尽くされます


080205taptae.jpg
真昼のターペーゲート付近。気温30度前後


明日からチェンライへ行ってきます。何か買えるものがあるといいのですが。
2008.02.04

援助物資来る

080204ramune.jpg
なつかしラムネ


昨日、友人が届けてくれた援助物資の中にあった、駄菓子のラムネ。
いつもと言うわけではないのですが、私は時々これがなくてはいられない人間になり、スーパーに走っては買ったり、あるいは夫に「例のヤク買ってきて」と頼んだりします。
最近はその症状が収まっていたのですが、ははは、夫が入れてくれましたよ。
うーん、ここであの発作が出ていたら、やばいな、確かに。
売っていないでしょうからね、多分、どこでも。

最近ちょっと私、頭ヘンかもしれません……。そろそろ帰国したほうがいいかな(笑)。いや、このラムネで乗り切れるかも。

この友人夫妻とは、2000年に青海省のゴルムドで会って以来の付き合いです。もう足かけ8年。今はうちよりずっと年商の大きいアジアもの屋さんを経営しています。
10年後に、という話になりました。そのとき我々はとあるタイ飯屋でテーブルを囲んでいたのですが、10年後、ここで同じようにテーブルを囲んでいるのではないか? と誰かが言い出し、大笑いになりました。
私はやはり市内はずれのアパートで仕入れを兼ねて滞在しており、彼らは仕入れに来て会っている。10年前も同じようにしていたね、と話す我々。「僕、もう48になりましたよ」と呟く友人に向かい、既に50を越えている私は、「50越えたら楽になるから」と励ます……。「くたびれたおっさんバイヤーにだけはなりたくなかったのに」と嘆く彼に、その妻が「こうなるしかなかったじゃん」とつれなく言う。「せめて今夜はトゥクトゥクで帰りなさい、荷物もあるんだし」と言う私に向かって、2人は「いいえ、歩いて帰ります」…………。
大いにありえそうな話で、いやほんと、大笑いでした。

2000年のチベットでは、抜きつ抜かれつ結局国境まで、お互い陸路でヒッチで行きました。偶然国境でばったり会って、一緒に中国を出国したのだけど、私は車に乗ろうと言ったのに、この2人が「高い」とかなんとか言ったおかげで歩くハメになって、ほんと、えらい目に遭いましたよ。今でもそのことは恨み節だよ、私。だって10キロもあったんだよ、あの緩衝地帯! おまけに急坂の連続だよ、もう、転げ落ちるんじゃないかと何度も思ったよ。(まぁこれは、私が調子に乗ってチベタンに連れられてショートカットしたせいなんですが)
まぁ、今となっては笑い話ですけどね。あの緩衝地帯を全部歩いて下りたバカって、そうはいないと思うよ、うちら、自慢できるかもね(笑)

援助物資には文庫本や薬(エアーサロンパスとか)なども入ってました。友人夫妻からも、ビールのつまみなどが……。だからビールはラオスだけだってば!

ではまた。
2008.02.04

飲みすぎたです

おはようございます。ちっとも早かないけど(笑)。

昨日は久しぶりに村の友人に会いにチェンマイ市内に行き、慣れぬタイ語と片言の英語でお喋りし、その後、日本から援助物資と共に来てくれた友人夫妻に会ってサンデーマーケットでの仕入れに付き合い、自分もちょっと仕入れ、その後夜遅くまでご飯を食べながら喋り……。
という一日でした。
アパートに帰ってだらーっと飲みながら(あの、毎晩飲んでいるわけではなく、昨日は友人4人に会って楽しかったので飲んでたんですよ・笑)パソコンで遊んでたら、いやいや、またもや自分が墓穴を掘ったことに気づいてしまい……。思わず酒量が増え……。頭が痛い。

心配性のロバが「昨夜のコメントで、ほかの全部も作り話だと思う人がいるんじゃない?」とメールをくれたので、ああ、そういうこともあるかなぁと思いつつ、いい機会なので、今日はそういった、自分が文章を書く作法というか、そんなあたりについて書こうと思います。昨日のコメント欄をご覧になった方には、書き手として説明しておく義務のある部分(あそこだけは作ったんですよ、という部分)があると思いますので、ぜひ説明させてください(笑)。なんて粘着質の書き手なんだろうね。つまらない人にはすっごくつまらないと思いますので、スルーよろしく。

今回の6編の旅行記(まがい)に関して、私はノンフィクションを書いている意識はほとんどなくて、一編ずつ読んで笑えたりちょっとじーんときたりする作品として、書こうとしました。成否は別にして。
まずこれは大前提なので確認しておきますが、書かれていることは全て実際にあったことであり、起きたことです。これについては間違いがない。証明せいと言われてもできませんが。この点に関しては信じる、信じないの話なので私にはこれ以上如何ともしがたいです。

ただし、旅先で起こるような様々な出来事は、この世に生れ落ちたその瞬間のみ、事実としてそこにある、と私は考えます。つまり、写真であれ映像であれ文章であれ、それを残そうとすれば必ず作り手の思惑がそこに介在する。特に文章は後から書かれるものですから、本当の意味でのノンフィクションはありえないのじゃないか。と私は思っています。自分の基本的なスタンスとして。
伝えたいことが何か。それをできるだけ的確にわかりやすく伝えるために、私は書き手として、ある種のテクニックは使います。たとえば間合いのようなものとか。言葉をあえて時間差をつけて記すとか。

うまく書けていませんね、すみません。ちょっと頭痛いし(笑)

えー、今回の旅については、一つ一つの出来事が、自分の手の中に空から降ってきた、ものすごく大事な種だったんですね。それは本当に奇跡のように次々降ってきた。育てろ、花咲かせろ、書け、って言われてると思いました。
一つ一つは取るに足らない、ものによってはほんの数分の出来事で、これは通常、作品として文章を書こうとしていない限り、ものの数行で片付けられていくことだと思います。物乞いのおばあさんにしても、フィリピーナとの道行きにしても、ネット屋での喧嘩にしても、おじさんと乗ったバイクにしても。
それでも自分はこの、空から自分に降ってきた種を、どうしても育てて花を咲かせたいわけです。なぜなら、自分の中ではもう咲いてるから。だから種のまま見せるのではなく、育てて咲かせて、それを見せたい。花の状態で見てほしい。
ここで私がテクニックと言っているのは、そういう意味です。数分のことであれ、一瞬のことであれ、自分は数十行あるいは数百行をかけてそれを書くかもしれない、そういうことです。

と、小難しいことを書いておいて何なんですが。
昨日の最終編ですね。
あそこで私は今回の6編の中で、出来事として書いたものの中でおそらく唯一、ほぼ完全に作った一文を入れました。
どこだかおわかりかな? 昨日の没関系さんと私のコメントのやりとりをご覧になった方にはわかると思いますが、バス駅のシーンの最後の私の台詞です。
あのシーンね、かなり悩んだ部分であったのは事実です。

あそこは、どうしても笑ってほしかった、んですよ。なぜなら次にシリアスな一節が来るので、その前に笑っといてほしかった。このあたりは私のバランス感覚なので、そんなの必要ないじゃんと思う方も多いと思いますが。
しかし書いていても「うーん、これじゃ足りないかな」と思うわけです。「これじゃ笑えないかもしれない」と思うわけですよ、書き手としてはね。あと一押しが欲しい(笑)。で、その時自分がほんの数秒後に妄想したこと、それを台詞として入れました。
実際には自分はあの最後の一言だけは言ってないんですよ。私は男の子を抱き返す真似はしたし男の子は皆と逃げていったんだけど、言葉は発してない。後から妄想したことです。いや、こんなんばらしてどうすんだと、自分でもいま思っていますけど。

うん、あの一言は、そうだなぁ、やっぱり余計かな。必要な一文ではない、かな。それを作って入れるほどのものではないかな。おばさん云々は別にして、蛇足かもしれんと自分で思ったので、今こうして反省してます(笑)。決して没さんのせいじゃないですから。ケビンのとこも反省してたりするんで(笑)。
でもこういう話を、暴露してしまう書き手って滅多にいないと思うので、面白いかな? 映画のメイキング編って結構おもしろいじゃないですか。文章もね、作品として作っている以上、多少なりともこういった裏話はあると思うんですよ、誰にでも。そうそう、いま自分は意図せずに「作品として作っている」と書きましたが、まさにそのとおりで、やっぱり作ってる。楽しんでほしいから。笑ってもらいたいから。種のままじゃ、それほど楽しくないし笑えもしないから。
作品っていう言葉が、そもそも作るという意味ですしね。
これで、じゃあこの話が全部嘘なのか、と思われたらそれはそれで仕方ないですけどね。そう思われたとしたらそれは、自分の力不足以外の何ものでもありません。

私は今、職業として文章を書いているわけではないのですが、日記を除いては、性根据えて魂入れて書いてるつもりです。こんなくだらないものでか、と思われるかもしれないけど、自分はかつて職業的物書きの端くれであった者として、人様に「こんなもん読んで損した」と思われるようなものは書きたくない。願望として。思われちゃったらゴメンナサイなんだけど。
今は学生のスポーツの開会式でさえ「人々に感動を与えるようなプレーを」などと言う時代ですよね。私は「人々に感動を与える」なんておこがましいことは、一度も考えたことがない。それはお金を頂いて文章を書いていた時も含めて。何かを汲み取ることができるなら汲み取ってほしいと思うけど、自分が「さあこれですよ」と明示するようなことも避けたい。だから、基本的には、せめて、どこかで一回笑ってほしいと思って書いてます。それがまた難しいのですが。

今回の6編、それからその前に書いた笑い話を振り返るとですね、たいてい、「笑ってくれ」ならまだいいんだけど、「笑ってくれ、笑ってくれ、絶対に笑ってくれっ!」となった時に、墓穴を掘ってます(笑)。これはものすごい勉強になりました。そのへんのさじ加減がね、自分にとって課題だな、と。何のためにと聞かれたら困るけど(笑)。

またまたこんな長いもの(しかも言い訳だし)を読ませちゃってすみませんでした。
客観的に見て、私のこのブログですが、「書く→後悔する→謝る→書く→後悔する…………」のエンドレス状態ですね。こんなに身も世もあらぬほど後悔する書き手って、珍しいかもしれませんよ(他人ごと)。少なくとも私はあまり見たことがない。
これが自分の持ち味なのか、いや、これこそが自分が書き手としてあかん理由なのか、どっちなんだろ。どう考えても後者か(笑) だって後悔しないものを書けばいいだけですもんね。

また勉強して出直します(笑)。明日は明日のために来る~♪(私の子どもになりなさい)。
2008.02.03

ラオス旅行(6) 

かえりみち(2)

(承前)
5時半というなんとも微妙な時間に到着したピーロック。まずは一応、チェンマイへの乗り継ぎを確認しました。7時発のバスがあり、夜中の12時に到着するとのこと。ということは、実際に着くのは夜中の1時でしょうね。宿探しをするわけではないから、到着時間は別に構わないのですが、さすがにここまで7時間、ノンカーイ~ウドンを入れれば8時間以上バスに揺られてきたので、プラス6時間はもう無理だろうなと思いました。じゃ、ピーロック、泊まりですね。
しかし、私はガイドブックの類を一切持っていません。ピーロックは通過したことは何度もある(但しほとんど深夜)けれど、一度も泊まったことはありません。つまり土地勘はゼロ。バス駅に入る直前まで目を凝らして見ていましたが、近くにホテルの看板は見当たりませんでした。
仕方がないのでバス駅の事務所に行き、「近くに高くないホテルはありますかね?」と聞いてみました。おじさん2人が街の観光地図のようなものを眺めながら「うーん……」とめちゃくちゃ悩む。そもそもタイの人って(タイに限らずだけど)、自分の住んでいる場所を地図で把握することに、それほど慣れていないようなんですよ。このときも、おじさん2人は、このバス駅が地図に載っている2つのバス駅の内どちらかで、しばらく揉めてましたもん。自分の職場だよ?
しばらくしておじさんが指し示したのは、街の中心らしき一角。しかしおじさんが○を付けたその建物には、「クロックタワー」と英語で書いてある。クロックタワーって、私の記憶が間違いでなければ、時計台ってことじゃありませんでしたっけ? 
「あー、なんか違うみたいなんですけど、えーと、ゲスハオ、ゲスハオはないですか?」
ゲスハオとは、ゲストハウスのタイ風発音。おじさんたちは「おー、ゲスハオっ!」とようやく元気になり(やれやれ)、「ここへ行け」と教えてくれました。地図に○を付けてくれたそこには、タイ語しか書いてありません。「何て読むんですか?」「ラージャプルッ!」どうも。
「えーと、そこまで行くには何で?」
「トゥクトゥク!」
周囲を見回しましたが、トゥクトゥクの姿はありません。
「そのへんにいると思うよ」と言われ、礼を言ってそこを後にし、「そのへん」に行ってみましたが、軽トラみたいなヤツはいっぱいいるけど、運転手がいません。軽トラトゥクトゥク、かなり珍しい。
困ったなーと立っていると、赤いチョッキを着たお兄さんが寄って来て、「どうしたの?」
「ゲスハオに行くんだけど、トゥクトゥク、ないよ」
「モトサイ(バイク)で行く?」
「えっ、モトサイ?」
そうか、考えてみれば1人なのだから、バイタクで十分なんですよね。荷物もディパック1個だし。値段を聞くと「50バーツ」。ちょい高すぎませんか、兄さん。
「トゥクトゥクなら70バーツだよ、高くないよ」
「でも、チェンマイならどこまで乗っても15バーツだよー」
「じゃ、40バーツ」
「うーん、仕方ないなー、他に誰もいないし、じゃ、乗るわ」
兄さんが持ってきたのはそこそこカッコいいオートバイでした。が、もちろん、彼も私もノーヘルです。ヘルメットで頭部を保護、的な概念は彼らにはない(笑)。荷台にまたがって、発進。バイクはビューンっと路地を抜け、大通りを横切り(殺す気かっ! という横切り方でした)、また路地を抜け、猫を轢きそうになり、次の大通りを今度はまぁまぁ上手く向こうに渡り、渡ったところの大きなゲートをくぐって、巨大な建物の前に泊まりました。どう見ても、これはゲスハオじゃありません。なんか公共の施設じゃないですか?
「兄さん、ゲスハオだよっ、ゲスハオ!」
「あっ、ゲスハオか!」
兄さんは方向転換をしてからこの巨大建物の裏に回りこみました。するとそこには確かに「ゲストハウス」と書かれた英語看板が。にしてはでかいビルなんですが、こちらも。
フルだと困るので兄さんに待っててもらい、中で聞くと「泊まれるよ」とのこと。兄さんはお金を受け取ると帰っていきました。

エアコンの部屋は400バーツで、ファンの部屋は280バーツです。この冬場にエアコンも要らんじゃろと思い、ファンの部屋にしました。実際はすごく暑くてびっくりしたんですが。あまりの暑さに何も掛けずに寝ていて、明け方さすがに寒くて風邪引きそうになりましたよ(笑)。
行ってみると、だだっ広い殺風景な部屋に古びたベッドが2つ。そうですねー、遠い昔の中国のホテルってものが、こんな感じかな。あるいはタイでよくある中華系の旅舎がこんな感じですね。ここ1ヶ月ほどは洗ってませんね、と思えるシーツ。これに直に触れるんですか、とびびってしまう毛布の下敷き(これもシーツだね)。
でも、平気です。昔の中国の招待所なんて、こんなもんじゃなかったもん(笑)。
ま、ともかく荷物を置き、今日もとにかく腹ペコなので下に降りて行き、受付の姉さんに「ご飯食べに行きたいんですけど、どっち行ったらいいかな?」と、タイ語で(!)聞いてみました。だいぶ誇張してますが。実際は「ご飯食べに行きたい、どっち」と言ってるだけです。姉さんはしばし考え、「そこ出て、右行って、細い道、そこがいいよ」と英語で教えてくれました。
すっ飛んでいく私。まず、ご飯におかずを何種類でもぶっかけられる飯屋に行き、ナス炒めと五目野菜みたいなものを乗っけてもらって食べました。美味いっ! で、15バーツ。ひぇー、安い。そんなもんではまるで足りないので、次に揚げ物屋があったので、そこで鶏の揚げたのを食べました。20バーツ。まだまだ、ぜんぜん足りません。麺屋を探して通りを渡ると、セブンイレブンの前にいました。ここでセンレックを一杯食べて20バーツ。これでやっと、お腹がおさまりました。
こいつは一体どんな大食漢だと思われるかもしれませんが、タイの一食は日本と較べてずっと少ないのです。それに私、普段はこんなに食べませんから……。
セブンイレブンで菓子パンと水を買ってホテルに戻ると、姉さんが「食べられた?」とタイ語で聞いてきたので、「カー、キンレーオ。うん、もう食べた」と答えました。私のタイ語は、0歳児から1歳児になろうとする感じで、少しずつ単語が増えていきます。
部屋に戻り、シャワーを浴びました。このシャワーが! 熱湯じゃんじゃん究極のナイスシャワーで。このためだけに280バーツ払う価値があります。大満足です。
夫に電話。ピサヌロクなどという、彼にとってはありえない街にいる妻。怒りたいけど怒れない、という悶々が伝わる……。なぜならここで怒ってめげさせると、また苦悩の海にはまり込み、チェンマイまで帰り着かないからね、彼の妻は(笑)
自分でも何やってんだと思わないではないけど、でも旅って、こういうもん、ですよね。

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「どら焼き」の文字に惹かれ購入しましたが、期待はあえなく裏切られました・笑


夜、たいして期待せずにテレビをつけると、なんとHBOとスタームービー(どちらも映画専門チャンネル)が入りました。私のアパートじゃ入らないのに。
しかも! ケビン・コスナーの「ザ・ガーディアン」という海難救助モノが始まりましたよ。やったー。
渋系おじさまなら何でもござれの私ですが、えー、つまり、アル・パチーノでもポール・ニューマンでも、ジャン・レノでも、トラボルタ(太ってなけりゃ)でも、いいのですが、やはりケビン・コスナーは別格ですよね。いつもいつも孤高の人ですよね、ケビンって。たいてい結婚生活にも失敗してて、背中に哀愁がいっぱいてんこ盛りなんだよ。
で、この映画は今春日本で公開されるみたいなので詳細は控えますが、最後に自分と後輩が1本のワイヤーで救助ヘリにぶら下がったところで、ワイヤーが切れそうになっちゃうんですよ。でね、山岳モノでもあるシーンですが、後輩を助けるためにケビンが自ら連結器をはずすんです。落ちかかったケビンの手をつかむ後輩。泣きながら死なないでくれと叫ぶ彼に、最後にケビンが一瞬目を合わせ、一言「I know (わかってるさ)」と、そして自ら、手袋のベルクロをはずし、助からないと知って暗い夜の海に落ちていく…………。
風は強く、波は高く、暗い海は果てるともなく~♪(二艘の船)
号泣だよ…………。
かっこいい。かっこよすぎるよ、ケビン。
ケビンなら…………。
そう、ケビンなら、いいよ。うん。えっと、タダでも。熨斗付けて叩き返されそうだけどね(笑)。

などという下らない夜を過ごし、翌朝、8時少し前にゲストハウスを出ました。そうそう、ピーロックの街が他とかなり違うのは、流しのソンテウやトゥクトゥクの類がまったくいない、ということです。ゲストハウスで呼んでもらうかなと思ったのですが、朝なので通りで確認してみようと思い、大通りまで出てみました。やはりいません。交差点に「バス駅」という矢印が出ていたので、意外と近いのかもと思い、そこにいた屋台のおばさんに「バス駅はこっちですかね?」と聞いてみました。
「どこへ行くの?」
「チェンマイ」
「メッダーイだよ、メッダーイ!」
メッダーイとは、ダメという意味。本来「マイダイ」なのですが、人の言うのを聞いてるとメッダーイに聞こえる。おばさんは他の屋台の人にも声をかけています。みんな口々に「メッダーイ!」歩いちゃ行けないということでしょうね。その屋台のだんなさんが携帯を取り出して、
「呼んであげるから、そこに座って待ってなさい」
と親切に言ってくれました。それじゃ、私ここで何か食べます、と言うと、また夫婦で「メッダーイ」です。何で? 
「バス駅行って、キップ買って、それからメシ食う、だよ」
あ、いや、それじゃ何だか申し訳ないす。と言いつつ、お茶出してもらってるし。どうすりゃいいんでしょう、私は。買うにも麺だから買えないし。と、あっという間にトゥクトゥクが登場。私はそこの人たちに盛大に見送られてその荷台へ。すんません、ほんと、ありがとう!
トゥクトゥクはコトコトと走り、やがてバス駅へ。確かに歩ける距離ではありませんでした。で、またもバスに横付け。いいな、この横付けしてもらうの、快感だね。運転手のおばさんにお金を払い、車掌に連れられてキップ売り場へ。窓口の中に女性3人、外に男性ばかり4人、職員が賑やかにお喋りしています。そこで車掌が「はいはい、この人、チェンマイ行きね!」と言ってくれ、私はみんなの輪の中でチケット購入。渡された紙片に金額が書いてあるようなのですが、薄暗くて(あと老眼で)よく見えない。
周りの男の子たちが「ツーツーツー、にーにーにー、だよ」と教えてくれます。日本語かっ。私も「ソンロイイーシップソン」と返すと、「おおっ、タイ語喋れるじゃん」と一気に場が盛り上がりました。朝っぱらから盛り上がらなくてもいいのですが。しかも私が言ったのは数字だよ。
「何か喋ってよ」と言われたので、
「ヤーク、パイ、キン、カーォ(ご飯食べに行きたい)」
と言うと、全員爆笑、めちゃウケです。私、タイで芸人になれるかもしれません。
笑われながらお金のやり取りをしていると、横にいた若い男の子が、
「お姉さん、綺麗。僕も一緒にチェンマイに連れてって!」
と言う。またもや爆笑です。むむっ、お主やるなっ。ここは日本代表として負けるわけにはいきません。
「オッケーだよー、一緒にチェンマイ行こうぜ、すんません、チケット2枚ね!」
大爆笑。中のお姉さんたちはお互いを叩きあいながら笑ってます。やった。
男の子は「ディジャーイ(うれしい!)」と私に抱きつく真似。またまた大爆笑。私はもうこっから先はタイ語じゃ無理なので、「そのかわり、今夜はどこへも行かさんぞーっ!」と日本語で言いつつ、男の子を抱き返す真似をしました。男の子はキャーキャー言って逃げていきます。ははは、どうだ、参ったかっ!(何やってんだよ、私は)

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電話一本急行します! 嘘みたいにかわいいトゥクトゥク


車掌がやって来て、「もう発車しますよー」と言いました。私は彼らに手を振って、バスに乗り込みます。半数近くの席が埋まっていて、私は後ろから3列目の窓側に座れました。キップ売り場の人たちが、まだ大笑いしながらこっちを見て、手を振ったり変な顔をして笑わせたりしています。それに手を振り返しながら、私はまったく別のことを考えていました。
去年、このすぐ近くのスコータイで、日本の若い女性が殺害されるといういたましい事件が起きました。スコータイは私も知っている場所です。確かに人気もまばらな場所だったという記憶があります。事件直後は本人にも非があるかのような一部報道や、ネット上での書き込みがありましたね。深夜に宿も取らずに動き回っていたというような情報が流れたりもしました。私は特にその事件について情報を集めたわけではありませんから、報道された範囲内でしか知りません。でも、その前夜がどうであれ、実際に事件が起きたのは日中です。ツーリストが動き回っていて何ら不思議はない時間です。
彼女には、一点の非もないでしょう。悪いのは全て、彼女をターゲットとして狙った相手です。彼女に油断があった、それを招くような行動があった、という意見も未だに多い。それが1人で自転車を借りて遺跡を回ったことを指すのであれば、私など今まで何度旅先で命を落としたかわかりません。たまたま私は誰からも狙われなかった。ただそれだけです。
どんなに旅慣れて周囲に目を配れても、どれほど警戒心を持っていようと、狙われたら終わりだから。彼女の当日の行動が悪いと言うなら、それは女に1人で旅をするなと言っているのとほとんど同義ですから。
若い頃、旅に必要なものは何かと聞かれれば、笑顔と勇気と覚悟でしょうと答えていました。最近は聞かれることもなくなり、特に意識することはないのですが、やはりね、特に女にとって、覚悟は必要だと今も思います。金品を強奪される、暴力を振るわれる、殺される、だけでは済まないことも多いから。その恐怖と絶望は想像するに余りある。
…………それでも旅をしたい。それでも自分は旅をやめない。いつか自分がどこかで事件に巻き込まれたら、「旅慣れているという過信が招いた当然の帰結」と言われるのでしょうね。悔しいけど仕方ないな。
会ったこともない、顔も知らないその彼女ですが、このピーロックも通過していたのかな。怖かっただろうね、可哀想に。どうか安らかに。

バスは私を待ちかねていたようで、すぐに発車しました。時計を見ると8時20分。まだ笑ってくれてる駅の人たちに最後に手を振って、私はピーロックを後にしました。
今日も朝ご飯食べ損ねました……。
バスは広い道をぐんぐん走り、やがて山岳地帯に入り、くねくねと抜けてウッタラジットへ。その少し先でご飯休憩があってみんなと一緒に麺を食べ、また乗り込んで、再び山岳地帯。抜けて抜けて、ランパンを経由して、チェンマイ・アーケード・バスターミナルへ滑り込んだのは、午後2時30分。5時間と言われましたが、やはり6時間かかりましたね。
さすがにへとへとで、腹ペコです。最後までお腹がすく旅行です。バス駅でご飯を食べて、それから市内へ行く乗り合いソンテウに乗り、アパートに帰りました。

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ドライブインに停車中の2等エアコンバス



今回のラオス~イーサン地方の4泊の旅はこれで終わりです。
最後の2日間にわたるバス旅により、ノンカーイのもやもやは晴れたようです。幸い、特に腰の症状が悪化するということもありません、今のところ。ということは、自分はまだ、バスに乗れるということなんでしょうか……(笑)
途中、勝手に落ち込み、勝手に苦悩する、この書き手に最後までお付き合いいただいた皆さまには、最大級の感謝を送ります。とりわけコメント下さった皆さまと、メールで励ましてくださったT様、ありがとうございました。お陰で最後まで来れましたです。
まことにお疲れ様でございました。以下両方とも「本当にありがとう」の意味で、
コープクン・マー・カー!(タイ語)
コープチャーイ・ライラーイ!(ラオス語)
Posted at 14:15 | 未分類 | COM(5) | TB(0) |
2008.02.02

ラオス旅行(5) 

かえりみち

※この記事に関しては、前回の「ノンカーイ・ロールワンデリング」をお読みになられた後にしていただけると幸いです。でないと前半がよくわかりません。

6時過ぎに目が覚めて、荷物をまとめ、7時15分には部屋を出て受付に行きました。昨日のヤツだったら嫌だなぁと思いましたが、おとなしそうなおじさんが1人。「チェックアウトするー」と鍵を渡すと、ちょっと待ってて、忘れ物見てくるからね、と部屋を見に行きます。やがておじさんが戻ってきて「オッケー」と言うので、私も彼には何の恨みもありませんから「ありがとう、じゃーね!」と挨拶して宿を出ました。
出たところはいつもトゥクトゥク溜りになっているのですが、おっと、朝が早すぎたのか誰もいないではないですか。しょうがない、小さな町だから歩いて行こうと決めて通りに出ました。そこにパーコントー(揚げパン)売りがいたので、バス駅が2本あるメインストリートのどちらだったかを確認。やはりクランク状に歩いて行けってことだったので、そちらに向けて歩き出したときです。背後から軽いエンジン音が聞こえたと同時に、「ハロー」と声がかかりました。おっ、トゥクトゥクが来たな、と振り返ると、そこにいるのはバイクです。はて? とよくよく見れば、さっきのゲストハウスのおじさんではないですか。
「パイナイ? どこ行くの?」
「パイボーコーソー、バス駅へ」
乗りなよ、とおじさんは荷台を指さしました。えっ、いいの? と言いつつ乗せてもらう私。バイクはすぐにスタートしました。
「どこに行くの?」
「チェンマイなんだけど、ダイレクトバスはないからウドンへ」
「あ、そう。昨日ビエンから来たんだよね?」
「うん」
バイクはトクトクトクトクという軽快な音を立ててゆっくり走っています。
「ノンカーイは初めて?」
「ううん、何度か来てるよ」
「ふうん、そうなのか」
トクトクトクトク…………。
ハンドルを握るおじさんの背中越しに通りの風景を眺めながら、もしかして彼は、昨日私が大喧嘩している場面を目撃していて、それで気になって来てくれたんじゃないかなぁ、そう思えてきました。だって、ゲストハウスの人がわざわざバイクで追いかけてくるなんて、そうそうあることじゃありません。特に仲良くなったわけでもなんでもないのにね。
トクトクトクトク…………。バイクは走ります。
「旅行してるの?」
「えーと、今はチェンマイに住んでる」
「へぇ、住んでるのか」
「うん、タイ語ぜんぜん出来ないけどね(笑)」
「パイ、チェンマイ(チェンマイに行く)が言えりゃ十分だよ(笑)」
「あ、そうかなぁ、ははは」
トクトクトクトク…………。
「チェンマイまでは長いなぁ、どのくらい?」
「多分14時間くらい」
「ああ、やっぱり長いな」
おじさんは昨日のことなど一言も言いません。私はもうこのあたりで、うるうるです。
トクトクトクトク…………。バイクは見覚えのあるバス駅への曲がり角に来ています。
「あのさ」
しばらく黙っていた後でおじさんが言いかけます。ん? と聞き返すと、
「またおいでよ」
とぽつり。
「う………………」
私は絶句しました。そんなこと、今このタイミングで言われたら、泣いちゃうよ……。
もしかしたらそうじゃないかな、という思いが確信に変わり、私はもうちょっとでおじさんを背後から抱きしめて泣いてしまいそうでした。私はいつもバイクを雄雄しく跨いで乗っているので、おじさんの背中はまさに、「さあこいっ!」って感じで目の前にあるんですよ。ま、そんなことしたらびっくりして転倒されそうだけど。
やがてバイクはバス駅に到着し、一台のバスの横にシャッ! と横付けされました。
「これ、ウドン行き」
「ありがとう、おじさん。また会おうね」
それ以上何も言えません。多くを言おうとすれば、みんな嘘になりそうだよ。
おじさんはうなずいて、早く乗りなさいと促しました。車掌が手招きしています。私が乗り込んだのを見届けて、おじさんはバイクをユーターンさせ、通路に立っている私をちらっと見上げてにこっとしてから、来た道を帰っていきました。
バスは私を乗せた瞬間にバックを始め、ノンカーイを発車しました。そうか、この時間を知っていて、間に合わせようとしてくれたんだね、おじさんは。これに乗れなければ1時間待ちだったんだ、私。
えーと、しかしまた、朝ごはん食べ損ねました(笑)。
ノンカーイの町はほんとうに小さいので、バスはあっという間に走り抜けてしまいます。ウドンまでは60キロほどかな、約1時間。冷房のキンキンに効いたバスの中から流れる風景を見るともなしに見ながら、おじさんのことを思い出しては涙が出そうになり。そのたんびに頭振ったり足叩いたりして我慢しつつ、バスに揺られ続けました。ついこの間、どこかで「旅先では決して泣かない」とか書いてたはずなんですが、あれは撤回だな。というか、年を取ったということか(笑)。途中、スコールのような激しい雨が降り、ああ、空も泣いてるぜ(ほとんど気分は小林旭だね)と思い、やっと落ち着きました。

それにしても、1人だと、笑ったり怒ったり喧嘩したり泣いたり、忙しすぎるんだよ……。

おじさんの好意はほんとにありがたかった、うれしかった。もう二度と来ないかもしれないと思ったノンカーイだけど、また行ってもいいかと今は思ってる。
ほんとに、ほんとに泣くほどうれしかったんだけど、それでもまだ、昨日のことを吹っ切るまでには至らなかったです。私はウドンへ向かうバスの中で、一体これから自分はどうするつもりなんだと、さんざん考えました。
チェンマイへ戻る週3便の飛行機は明日の午後ウドン発。しかし、既に満席になっているのは知っていました。キャンセル待ちができるかどうかはわかりませんが。あるいは今日中にバンコクに飛び、そのまま乗り継ぐか、乗り継げなければバンコク一泊で明日のチェンマイ行きで飛ぶか。飛行機を使うとすると選択肢はこんな感じです。
でも。
正直この時点で、飛行機という線はほとんど消えていました。
うまく言えないんですけどね。バスででも行かないことには、落とし前がつけられない、って感じ。これで飛行機でびゅん、びゅん、とチェンマイに戻っても、何か引きずりそうな感じです。苦痛を贖うにはさらなる苦痛を、っていう体育会出身者特有の発想かもしれません。いや、そんなん私だけですか?(笑)
それと、これは既に書きましたが、自分がバスに乗れるのかどうか確かめておきたかった、というのも1つ。タイは道もそこそこいいし、バスもいい。タイで乗れなければ、他の国では乗れないと考えていいでしょう。だから、自分は乗っても平気なのか? それともやはり無理なのか? VIPなどではない普通のバスで、確かめてみたくなったのです。
ウドンに着くまでに、ほぼ決めました。えーと、どうするかを決めたのではなく、自分は今日これから、周囲が自分をどう転がすか、それに従って動いてみよう。そう決めたのです。これをカッコよく言うと、風の吹くまま、ってことになるのかな?

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ウドンターニの閑散としたバス駅


ウドンに着いたのは9時少し前。とりあえず空腹だったので麺屋に行きましたがまだやってない。隣でお粥を食えと言われて行ってみましたが、お粥ではなく春雨麺みたいなものを売っていました。それも最後の一椀。不思議なそれを食べて値段を聞くと10バーツ。安いですね……。でもすごくうれしそうに感謝されました。鍋の底までさらいましたからね。
それからバス駅に戻り、寄ってくる人々に向かって「チェンマイに行きます」と宣言。まず連れて行かれたのは、私営のチェンマイ直行バスのオフィスです。前に2度ここから乗ったことがあります。途中で下校の子どもを拾っては降ろすので、死ぬほど時間がかかるんですよ。バスは午後2時半発で、到着予定時間は明日の朝6時。15時間半ですか? 前より長くなってませんか? これはさすがにちょっと……、長すぎます。
またバス駅に戻り、再び寄ってくる人々に「チェンマイに行きたいんだけど」と言い、今度は駅の事務所につれて行かれます。ここで英語のできる人にいろいろ聞いて、その人は親切にも空港(かノック・エアの事務所)に電話してくれて、明日の便がやはり満席だということと、バンコク行きも今日の便は満席になってることを聞いてくれました。おまけに「飛行機は高いよー、バスにしなさい」と諭されました(笑)。ありがたい、これで飛行機は消えました(本当は高いタイ航空なら席はあったかも)。とすると、バスしかない(本当はバンコク行きの列車もありますが)。
バス駅から出るチェンマイ行きは午後2時発。こちらも所要15時間とか。ということは16時間は見ないとだめでしょうね。長すぎます。ちょっと考えることにし、事務所を後にすると、また人々が寄ってきます。みんな暇なんですよ(笑)。
「どうするんだ、どこへ行くんだ?」
「市内へ行くか? ホテル行くか?」
「空港行くんじゃないのか?」
「ゲスハオ連れてくぞ、いいとこあるぞ」
と口々に聞いてくるのに「ディオディオ……(ちょっと待って)」と答え、うーんと考え込みました。それから私はおもむろに彼らに向かい、チェンマイまでの半分ってどこ? と英語で聞いてみました。みんな顔を見合わせています。ちょっと質問が難しかった、いや、私の英語がおかしいんでしょう。
私はしゃがんで地面を指さし「ティニ(ここ)、ウドン」みんなうなずく。別の場所を指差し「ティニ、チェンマイ」またみんなうなずく。その中間を指さして「で、ハーフ。ティニ、ティナイ(どこ)?」
しばしの沈黙の後、誰かが「ピーロックだろ」と言い出し、すると皆が「そうだピーロックだ」「そうだなピーロックだな」「ああ多分ピーロックだ」と口々に同意しました。ピーロック? 聞いたことがありませんが、全員が言うのだからそうなんでしょう。
「そこへ行くバスはあるかな」
「10時半にあるよ」
「何時間くらいかかるかな」
「6時間」
「じゃ、そこ行くわ。ピーロックへ」
赤いジャンパーを着たおじさんが、よっしゃとばかりに私の荷物を掴むと、「こっち、チケット」と案内し始めました。ほかの人々は一様に安堵と落胆のため息を漏らしつつ、「ピーロックへ行くとよ」「ピーロックに決めたとよ」と他の人々に触れ回りながら、三々五々散っていきました。
チケットは229バーツでした。買ってから、そうそう、ピーロックってどこよ? と思って聞くと、最初怪訝そうな顔をしてましたが、やがてああ、と気づいてくれて、「ピッサヌロック」と教えてくれました。ピサヌロクか! そうか、それなら確かに半分かもしれない、と思いました。スコータイに近い中部タイと北タイの中間あたりにある街です。たしか一度、スコータイの帰りに乗り継ぎでバス駅に行ったこともあるはずです。そっかそっか、私はピサヌロクに行くんだな。

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ピーロック行きバス。10:30の文字が見える


こいつは、地図くらい持ってないのか? と不審に思われるかもしれません。持ってませんでした。旅行者としては、失格ですね。
白状すると、チェンマイを出発する時点で、ウドン~チェンマイが満席になっているのは知ってました。つまり、自分はどう帰ってくるかわからない、だけど何も持たずに行ってみようと、どういうわけだか思ったんですよね。
今はネットで世界中どこに居ても誰かとつながることができ、携帯電話で話をすることもでき、スカイプで毎晩夫と長電話することも可能です。情報があふれている時代。私が最も激しく旅をしていた80年代後半から90年代半ばまでとは、状況は一変しています。誰もが次の街の情報をネットで得ることができる。誰かが泊まったゲストハウスの情報を見ることができる。バスの時間も、飛行機の時間も、チケットの買い方も、みんなネットで知ることができる。それはすごいことだし、自分もいつも本当に助けられています。
でも、たまには、何の情報もない状況に自分を置いてみたい、という衝動に駆られます。そしたらこいつ、どうなっちゃうの? 途方に暮れて、路頭に迷って、どっか暗がりで泣いたりするのかな? ってのを見たい気がするんです(笑)。
まぁ、ご心配いただかないように書き添えておきますと、私はこのエリアは何度も旅しているので、大体の地理やエスケープルートはわかっています。ピーロックは初耳でしたけど(笑)。
それはそうと。
そう考えてくるとね、もともとこれは、決められていた道を自分は進んでいるだけなのかもかもしれない、と思えてきますね。というか、そもそも、自分でそう決めてそっちに向かって進んできただけなんじゃないか、とかね。
旅ってのは、まったく、不思議なものです。流れに乗ってるのか、引き寄せられてるのか、自分が引き寄せてるのか、よくわかんないけど、結局流れていく。

定刻どおりに半分ほどの乗客を乗せて発車した1等エアコンバスは、降ろしたり乗せたりを繰り返しながら順調に山道を抜けて走り、ルーイ(Loiet)まで。そこからさらに道が細くなる中を慎重に走り、いくつもの山を越え、橋を渡り、ナコンタイ(Nakhongthai)を経て、到着予定時間の4時半を過ぎてからようやく大きな国道に合流し、結局、ピーロックに着いたのは午後5時半。ぴったり1時間遅れでした。途中、あると思っていた食事休憩がなく、ウドンのバス駅で保険に買った5バーツの菓子パン2個と水で凌ぎきった一日でした。とにかく今回の旅、いつもいつも空腹です(笑)。
(この項続きます)

Posted at 19:40 | 未分類 | COM(2) | TB(0) |
2008.02.01

ラオス旅行(4)

ノンカーイ・ロールワンデリング

ソンツクがボーダーに着き、私はフィリピーナたちとなんとなく一緒にラオスを出国し、タイ側へ行きました。そこは長蛇の列。こんなノンカーイ・ボーダーは初めて見ましたよ。旅行シーズンなんですねぇ。

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ラオス側の出国地点

延々と時間がかかってようやくタイに入国し、さて、と次の交通手段を探します。入国してきた人たちは、ほとんどがビザラン又はツアーグループの人たちらしく、皆係員に誘導されてバスに乗り込んでいくようです。フィリピーナたちも誘導されてそちらに、私に手を振って去っていきます。皆そっちへ行ってしまうので、私のように完全に個人で動いている人間が誰も来ない。トゥクトゥクのおじさんは、「100バーツ。だってアンタ1人なんだもん」と冷たく言い放ちます。1人って責められてもね……。友達もいない女で悪かったよ……(笑)。
でもそこでしばらく待っていると、ノンカーイへ行くタイ人が来て、1人30バーツでいいことになりました。
ノンカーイは何度も来ているよく知った町です。最後に来たのがいつかは忘れましたが(笑)。最後に来たときは、大通りに面したプラジャック・バンガローという名前の一風変わった宿に泊まっていました。そこは気に入っているのですが、1人で泊まるにはちょっと違うかなという感じ。で、ここはバックパッカーのセオリーどおりメコン川沿いの宿に泊まろうと思い、トゥクトゥクにも昔の船着場に行ってもらいました。(今も渡し舟は出ているのかな?)
ゲストハウスはなかなか見つからず(やはり混んでいました)、結局ぐるっと一周してまた船着場の近くまで戻り、昔っからあるゲストハウスに部屋を確保しました。メコンと聞けば、「ああ、あそこ」と思い出される方も多いかな。300バーツでホットシャワー付き、もちろんトイレ付き。床はチークか何かのどっしりした木材でできていて、調度品もいちいち格調が高い。昔はひどい宿だったけど、すごくよくなってました。尤も、その部屋は真上がメコンを見下ろすレストランになっており、上の物音がかなり響きますので、その値段なんだと思います。お勧めはしないけど、夜自分もレストランでずっと過ごすなら、いいかも。
で、腹ペコだったので、食べに出ます。メコン川べりの様子が一変していて、馴染みの麺屋がどこにあるのかわからなくなってしまい、散々歩いてようやく見つけました。新しくアーケードで囲われていたので、場所を勘違いしたようです。初めてここに来たのはボーダーが開く前だから、おそらく90年代の前半でしょう。その時からいる看板娘が、どうやら結婚した模様でダンナさんらしき人が一緒に働いてました。よかったなーと思いながら、あいかわらず美味いアヒル麺を食べます。
いったん部屋に戻り、シャワーを浴び、それから表に出て日本に電話。ノンカーイに無事に着いたことと、多分2泊してからウドンへ行くことを話しました。

そのゲストハウスには、ネットカフェも併設されていました。日本から来る友人が、いつごろチェンマイに入ってくるかメールをくれることになっていたので、チェックして返事を出そう、ついでにブログでも更新してみるか、と軽い気持ちで中に入りました。
6台あるパソコンのうち2台はふさがっています。私はテーブルにいた店の人らしき女性に「日本語は使えますか? 書けますか?」と確認しました。「使える、書ける」と言うので、パソコンの前に座りました。まずは日本語になるかどうか確認しないとなりませんよね、普通。皆さんはどういう風にやっているんだろう、私はまずブラウザを立ち上げて(たいてい立ち上がってるが)ヤフージャパンにして、検索窓にカーソルを置いて、それから日本語の入力モードにしようとします。
このへんね、ちょっとお願いなんですけど、もし詳しい人がいたら、本当はどうするのが一番いいのか教えていただきたいです。なんせ私、機械関係さっぱりなので(笑)。
パソコンはXPだったと思います。で、下のバーにはたしかに「Japanese」という文字が、その他の言語と一緒にポップアップするようになっています。これだったかなーと思いつつそれをクリックしてみますが、いつも見慣れた動きにはなりません。このへん、私もうろ覚えで何となくあちこちクリックしているうちにそれ(日本語入力用のバー)が出てくることが多いので、ちゃんと説明できないのですが。
私は自力でやるのはあきらめて、店の人にやってもらうことにしました。件の女性に「日本語にならないよー」と言いに行きましたが、彼女は電話中で迷惑そうです。忙しいのはわかるけど、こちらにも都合ってものが……。しばらくその前で突っ立ってましたが、彼女は「死んでもこの電話を切るものか」という決意を固めている模様(つまり私の相手はしたくない)。埒が明かないので他の人を探すことに。そこは何しろゲストハウスの一角なので、何だかわからないけど人は一杯いるのです。
そのうちに若い男の子がやってきて、さっき私がしたのと同じことをして、「これでできる!」と宣言しました。いや、それじゃできないんだよ、ダメなんだよと言いながら、私はキーボードを叩いてみせました。アルファベットしか打ち込まれません。彼は「ちょっと待って、えーと、トライしてて」
とどこかに行ってしまいました。
別の子にも聞きましたが、その子も私と同じことをして「ほらっ、日本語!」と言うのみで、「だからできないじゃない、方法が違うんじゃないの?」とキーボードを叩いてみせると「えーと、ちょっと待って」とどこかへ行ってしまう。どうも怪しいなぁ、誰もわかる人がいないじゃないか。と思いつつも、何しろみんな自信満々に「できる」と言うのですから、何か私の知らないルートがあるんだろうと思い、ツールバーをあちこち触って「待って」と言った子を待ちました。
ところが待てど暮らせど来ない。私はさっきからツールバーしか触っていない。まったくもう、とまた立ち上がって人を探しに行きますが、みんな逃げ腰です。わからない人はまぁしょうがないですけどね。っていうか、誰がこのネットカフェの従業員なんだよ!
そこへ若い子が戻ってきました。でも、私とは目を合わせようとせずに、まっしぐらに電話に向かうとどこかに電話をかけ始めました。それが終わるまで待って、
「やっぱりできないよ、本当にできるの、このパソコンで?」
と聞いてみました。彼の目は完全に泳いでいます。うわぁー、嘘ついてるヤツの目だよ。そもそも彼は、パソコンのことなど知らないのではないかと。最初にいた女性はとっくにどこかへ逃げていってしまった模様。わかる人がいないのじゃ仕方ありません。
「私、ほかで探すから」
と言うと、彼は慌ててデスクから紙を持ってくると、
「20バーツです」
と言いました。

ちょっと待て。20バーツって何だよ? 私は何もしてない。ブラウザを開いたことは認める、だから最低料金の10バーツは払ってもいい、だけどその後は、あそこにいたおばさんや、あなたのことを待っていただけでしょう。できると言われ、待ってろと言われ、私は待っていた。その時間もカウントするなんておかしくない?
私はこの時点で、決して怒っていたわけではありません。事実として自分は何もやっていないのだから、その分をカウントされるのは間違っている、と言いたかっただけであり、そしてその自分の主張が通らないなどとは、これっぽっちも考えていなかった。これが、ラオスぼけの正体だったのですね。つまり人は自分に善意で接してくれる、という思い込み(!)。だからと言って、他にどういう対処のしようがあったのか、思いつきはしないんですけど。
彼は「自分じゃわからない」と言いながら、他の人に目配せします。彼とはさらに言い合っていたのですが、しばらくすると、若い華僑のタイ人がやって来ました。
「俺のパソコンを使ってネットにつないだんだから、時間分払え。20分だから20バーツ。こんな簡単な話がなんでアンタにはわからないんだ?」
こいつは最初っからけんか腰です。まぁね、従業員が、自分に都合のいいように彼に話を伝えた可能性は高いですけどね。
「日本語が使えなくて何もしてないんだから、少なくとも待ってた時間についてはお金は払えない」
「何言ってんだアンタ、使っただろ? パソコン使っただろ? 金払えよ」
いやいや、私としては納得いきません。たかが10バーツ、されど10バーツです。
私は必死に脳みそを振り絞り、
「そもそも最初に自分は確認したんだ、日本語が読み書きできるかどうか。出来ると彼女は言った、今は逃げていないけどね。それから私は何度もその彼女と若い子、もう1人、全員逃げていないけどさ、その人に聞いたよ、日本語にどうやってするの? って。できないとは言わないんだよ、誰も。みんな待ってて、と言うだけだよ。だから私はずっと待ってた、わかる人が来てくれるのをね。でも誰も来ないし、結局できないのじゃないかと思って、よそへ行こうとしてる。私は待ってる間ツールバー以外に触ってない。ブラウザも見てない。大体待ってろと言われて待ってた時間を計算するのっておかしくない?」
と、言いました。
いえ、嘘です。言えませんでした。私はそんなに英語が喋れません。思ってることの10%も言えません。ましてこれだけ頭真っ白の状況に置かれれば、単語なんて出てきませんよ。情けないけどそれが現実。
悔しいことに、この薄い唇の華僑タイ人は英語ペラペラです。
「つまりな、出来ないものに金は払えないと、こう言ってるんだよ私はっ!」
まぁ、このくらいは言えるかな、半分くらいなら(笑)。
ここで押し問答数分。払え、払わない、使っただろ、使ってない、の平行線、堂々巡り。
華僑タイ人は憤然とパソコンに近づくと、えらい勢いでツールバーをあちこちクリックし始めました。そのうちに何の拍子にか、IMEパッドが開きました。これが開いたってことは、あと何アクションかで日本語になったのかもしれませんね、後から思えば。いや、やっぱり違うな、あれは日本語IMEが壊れてたんだと思う。それはともかく、彼はそのIMEパッドの中のわけわからん漢字を闇雲にクリックし、ヤフーの検索窓にそれがコピーされるのを指差し、
「これでいいんだろっ、これでっ! これが日本語じゃないのかよっ!」
と言い放ちました。
「違う、こんなのはただの辞書みたいなもんだよ。日本語の漢字がこんだけだって言うのかよっ! キーボードから打ち込めなければ意味がないんだよっ!」
完全にアッタマにきました。こうなりゃとことん、ですよ。喋れないけどね(笑)
「俺は日本人じゃないからわかんねーよっ!」
「これ、あんたのパソコンだろっ、あんたにわかんないものが何で私にわかるんだよっ! 大体、できないんならできないと、何で言わないんだよっ!」
「とにかく使ったんだから金払えよなっ!」
「だから使ってねぇって言ってるだろうがっ!」
「だってオマエ、座ってたんだろうがっ!」
「待ってろって言われたから待ってただけだよっ!」
すっげー虚しい……。
この虚しさをどう書けば伝えられるのかわからん……。
ゲストハウスの従業員や、レストランの従業員なんかがたくさん見物に来ています。だけど私の味方はもちろん1人もいない。これが世に言う四面楚歌ってやつだよ。孤立無援とも言うな。ああ、「孤立無援の思想」……(ぜんぜん違うから・笑)
その頃には他のパソコンは全てふさがっており、揃いも揃って中年以降のファラン(白人)男性が画面に向かっています。いいねあんたらは、アルファベットさえ打てりゃいいんだもんな。私の怒りはそっちへも向き始めました。
そもそもだ、こんだけツーリストが揉めくり返ってるんだよ。事情がわかろうがわかるまいが、「まぁまぁ、どうしました、落ち着いて」と仲裁しなくてどうすんだよっ! それが旅人の仁義ってもんじゃないのか? あ、コイツらはそもそも旅人ですらない、と。
それはともかくだよ、あーもう、くそっ、年ばっかり食いやがって練れてねぇ野郎ばっかりだぜっ! こら、その隣のデブ! 人の画面覗きこんでんじゃねーよっ、IMEパッドが面白いか? 何ならあんたの画面にも出してやるよっ!(超・八つ当たり)

これ以上何を言ってもやっても無駄、と判断した私は(もっと早く判断すべきでしたね)、オーナーの所に行って「いくらだよっ?」と聞きました。相手は私を見ずに「10バーツ」と言いました。けっ、使えなかったことは認めたんだな、こいつ。と思いつつ10バーツ払い、私は憤然と多数のギャラリーをかきわけて表に飛び出しました。
それから方角も決めず、何をしに行くとも決めず、闇雲に歩き始めました。頭も冷やさなきゃいけないと思ったし、ともかく憤懣やる方なかった。ごまかして逃げた従業員たちにも頭に来ていたし、事情を見て知っていたはずなのに何も言わずに見ているだけの他のヤツらにも頭に来ていたし、最初っからけんか腰で向かってきたオーナーにも頭に来ていたし、この白人(ファラン)崇拝の国(例えば、タイ入国の際に用紙を貰うわけですが、係員はファランには言われるまま何枚でも渡してやる、それどころか自分から渡そうと笑顔を振り撒いて近づいていくのに、フィリピーナが友人たちの分もと貰いに行くと、1人1枚と明からさまに侮蔑する、一事が万事そんな感じ)でふんぞり返ってる能無しのファランたち(言いがかりですね、はい)にも頭に来ていたし、そして、それより何より、言いたいことの10分の1も英語で言えない自分、言い負かされてしまう自分に、特に特に腹を立ててました。
ゲストハウスにゃ帰るに帰れない。全然腹の虫は収まらない。
電線に止まったたくさんのカラスが「アホアホ」鳴いてる。うるさいんだよっ!
私はぐるぐるぐるぐる、ノンカーイの町を歩き回りました。あ、ここがプラジャック・バンガローだ。あ、郵便局ってこんなに近かったっけ。さすがに市場はもう終わりの時間だな。なんて思いつつ、ぐるぐるぐるぐる。白人たちがあちらでもこちらでも、タイの娘やおばさんを連れて、彼女たちの肩に腕をだらーんと回してビールを飲んでいます。見慣れた光景なのに、今日はやけに腹立たしい。タイよ、なぜお前は自国の女を平然と他国の男どもに貢いでしまうんだ。まったく、どいつもこいつも。

だんだん日が暮れてきました。何をやってるんだ、私は。
結局、ファランたちが集う店屋で何かを食べる気にはなれず、通りの屋台で虚しく麺を食べて、1時間半ほども歩いたでしょうかね、しょうがないのでゲストハウスに戻りました。幸い、ネットカフェとは入り口が一応別なので、直接その人たちと顔を合わせずにはすんだのですが。
その晩は、天井から降ってくる椅子を動かす音や従業員が歩き回る音を聞きながら、ずっと音楽を聴いてました。何も考えたくなかったので。ラオスに戻りたくなりましたが、1000バーツも出して買ったビザを1日でフイにするわけにもいきませんし、帰ったってしょうがないんですよね。ラオスでは絶対にこんなことは起きない、とは言い切れないですもん。そしてタイでは全ての場所でこういうことに巻き込まれる、わけではないですもん。

夜遅くなってから、明日ノンカーイを出てしまおうと決めました。
些細なことなんですよ。ほんとに、ちっちゃいことだと思う。こんな小さなことでくよくよしたってしょうがない、こういう時こそどっかでビールでもがーって飲んで、忘れちゃえばいいのかもしれない。でも私はそういう風に酒を飲むことには慣れてなくて……。むしろ悪酔いしそうでできなかった。
喧嘩したっていったって、相手はたかが数人。実に些細な理由での喧嘩ですしね。だけど不思議なことに、そういうことがあるとね、なんか町に拒絶されているような気がしてくるんです。宿を替えてもダメかもしれないなと思いました。それなら思い切って出てしまい、切り替えちゃったほうが楽です。相撲取りが負けると髭剃ったりする、あれですね。
後のことはみんな明日考えよう。そう決めて、日付が変わってから寝ました。

(ちょっと補足しておきます)
海外のネットカフェで日本語が書けないということは、しばしばあることです。でもほとんどの場合、店の人間はそのことを把握しているし、例えば私が「使えるかチェックするよ」と断って少し触ってみてダメだった時には、「やっぱりダメみたい」「あ、そうだった? 悪かったね」で終わることが殆どです。その時にお金を請求されるなんてことは、少なくとも私の経験ではありません。もちろん、書けなくても読めればいいのであれば、私はそこでパソコンを使って、料金を支払います。
今回の件も、待たされたとしても最終的に出来たのであれば、私は別に何も考えずに最初に座った時からの時間計算で文句は言わなかったと思います。最低料金10バーツ、30分20バーツ、60分30バーツというような料金体系ですから。1分いくらじゃないから。
ともかくね、ごまかされたのに腹が立ったのかな。後はナメられたことと、バカにされたこと、かな。どっちにしても修行が足りない(笑)。後で夫には「1人のときに喧嘩しちゃダメだろ」と諭されました。確かにそうですね、刺されたりしたらつまらないよね、10バーツでさ(笑)

ものすごく長くてすみませんでした。
また、今日も文中に不穏当な表現が多々あります。気分を害された方には申し訳なかったです。




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