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2008.01.31

ラオス旅行(3)

ラオスぼけ、またはラオス酔い

ワット・インペンの仏さんの悪戯にあったその夜、ゲストハウスに戻って前の歩道に出ているベンチで酔いをさましていると、昼間大使館で会った日本青年がやってきました。聞けば私と同じ宿に泊まっているとのこと。彼もタイに長期滞在している、いわゆるビザラン組の1人です。
なんと缶のビアラオをおごられている私。どんだけ飲むんでしょうか、こいつは。
このお兄さん、N君は近々帰国してアジア雑貨屋さんを始めるらしいです。完全な同業じゃないけど、近いですね。まだ20代。そっか、私は最近20代の人と話す機会なんかほとんどというか全くないな、と思いました。話してて楽しかった。ありがとうね。
「大使館で最初に見かけたときは、32、3かなぁと思いましたよ、ビンゴですか?」
こらこら、私はさっき、私が旅を始めた時は時代は昭和だったと言うたろうが。私は小学生でバックパッカーだったのか?
「東京の人だから垢抜けてますよねー」
こらこら、お姉さんを喜ばすようなことを言うでない。
しかし、諸君、聞いたか。この二つのフレーズは非常に大事だね、私にとって。このままじゃなく、いろいろ応用して使ってくれたまえ(笑)

R0010266.jpg
ゲストハウス近くの路地、メコン方向を見る


さて、ラオスで2度目の朝を迎えたのは金曜日。今日は午後1時からタイ大使館でビザを受け取り、そのまま私はタイへ抜けます。午前中はうだうだとご飯食べたり散歩したりして過ごし、N君と一緒に大使館へ。彼は夕方のバンコク・カオサンロード直行バス(公共バスではなく旅行代理店が運営するツーリスト専用バスだと思います)に乗るそうです。
大使館は既に長蛇の列となっていましたが、パスポートの返還が始まると意外に早く、15分と待たずにビザ付きのそれを手に出来ました。無事に2ヶ月のビザを頂き、これで不安なく残りのタイ滞在ができるというわけです。
ちょっと補足しておくと、現在タイはノービザ滞在180日間90日ルール、というものを厳格に適用しています。最初の入国日から数えて180日間に、ノービザで滞在できるのは90日だけ、というルールです。タイは外国人の観光客(全ての国かどうかは?)に対し、無条件(出国航空券の保持が義務付けられていますが、この適用に関しては流動的です、空港とカンボジア国境は適用される可能性が高いと思います)に30日の滞在許可をくれます。これは延長できないので、それ以上滞在したい時は原則としてビザを取りなさい、ということになっていますが、前回の私のようにいったん出国し入国しなおすという方法で、さらに30日の滞在許可が下ります。私の場合、もう一度この方法が使えたのですが、それだとギリギリ90日。ちと足りない。というわけで、ここで一度ビザを購入してしまえば90日ルールから離れてさらに2ヶ月無条件でいられる、というわけなのです。
大使館のゲートを出たところには、ソンツクが何台も客待ちしています。私はタラート・サオのバスターミナルまで行って、2時半のノンカーイ行き国際バスに乗るつもりでした。55バーツでノンカーイのバス駅まで行ってくれるので、格安に上げたいなら絶対これ。それかウドンターニへも同じく国際バスが出てますから、こちらでも。80バーツだったかな(確信なし)。

R0010235.jpg
ラオ~タイ・バスのキップ売り場

でも、通りの反対側にいるソンツクのおっちゃんが、「ボーダー! ボーダー!」と客を呼んでいます。おっと、ここから直行でボーダーか、それもアリだなと思いました。できるだけ早くノンカーイに入ったほうがいいかなと思って。また宿探して彷徨うのは嫌ですからね。値段を聞くと50バーツ。早く行けるならそれでもいいかと思い、N君とはここで別れ、私はそのソンツクへ。乗り込もうとするとすでに5人のフィリピーナ。私のこともフィリピーナと思い込んでいる彼女たちは、盛んにタガログ語(?)で話しかけてくるのですが、わっかりましぇーん。そのうちにさらに2人のフィリピーナが乗り、総勢8人。姉御肌の女性が運転手と交渉してくれて、1人40バーツってことになりました。
そのうちに私が日本人だということがわかり、彼女たちも英語で話し始めました。みんな流暢に英語を話しますね。自分は全然できないのにな。彼女たちが出稼ぎワーカーで自分が遊び人だなんて、世の中間違ってるよ、ほんとに申し訳ないよ。

R0010263.jpg
これに乗ったわけじゃないけど、これがソンツクです

「ねえねえ、どこに住んでるの?」
「えーっと、チェンマイ」
「1人で来たの? 1人で帰るの?」
「うん」
彼女たちは顔を見合わせ、ピーチクと小鳥がさえずるように「危ない」「かわいそう」「心配」と口々に言います。
諸君……。
誰も心配してくれないこんな私だが、フィリピーナたちは心配してくれるのだ(笑)。やさしいな、フィリピーナは。なんか好きになっちゃったよ。
「ウドンに行くんでしょ? 一緒に行こうよ、1人じゃ心配」
うんうん、とうなずく全員。
「あ、ありがとう。でも私、ノンカーイで一泊するから」
「ノンカーイ? そこからチェンマイへは何で行くの?」
「えーっと、ウドンへ出て、そこから……、バス」
この時点でバスと決めていたわけじゃないんですが、何かね、フィリピーナたちは当然バスでバンコクへ行くと思ったので、飛行機って言えなくてさ。この嘘つきめ! 
「バス! いったい何時間かかるの?」
「あー、ウドンから多分、14時間くらいかなー」
「ひぇー、じゃ、ワンナイトトリップだね」
「うん、そうなるね」
また彼女たちは小鳥のさえずりを始めます。
「チェンマイでは会社に勤めてるの? 個人のお店で働いてるの?」
「えーっと、小さな店で働いてるよ」
またまた嘘をついているこの私です。だってさ、彼女たち、私が労働者で、違法なんだけど観光ビザで繰り返し入国している人間だと、完全に思い込んでいるんだもん。
「オーナーの人、ケチだよね。日本人でビザ取りに来るのにバスなんて、聞いたことないよ」
「え、そう?」
「そうだよ、みんな会社が飛行機のお金出してくれるよ、外国人はみんなウドンの空港に行くんだよ」
ねぇーっ、と彼女たちはまた全員でうなずきあいます。この場合の外国人は、日本人と欧米人を指しているのでしょう。そしてまた現実には、バンコクやチェンマイ発のビザラン・ツアーは、リムジンバスで連れてこられることも多いらしいです。
「お給料、いくら貰ってるの? ちゃんと生活できているの?」
母のようなこの気遣い……。泣けるよ。
「うーんと、オーナーっていっても友達だから、友達を手伝ってるだけだから、お金は貰ってない」
彼女たちはのけぞりました。小鳥のさえずりが車内に(といってもトラックの荷台だが)響き渡ります。
「ダメだよー、働いたらお金貰う、当たり前だよー。私たちだって皆、ちゃんとお給料貰ってるよ。帰ったら友達にちゃんと言わなきゃだめだよー」
「う、うん、わかった、そうするよ」
それからも彼女たちは、本当は労働ビザを取ったほうがいいんだよ(見せてくれた!)とか、そのための書類は友達に作ってもらわないととか、次にビザ取るときはここじゃなくてペナンへ行ったほうがいいよ(同じ場所で連続2回は拒否されることもあるらしい)とか、いろいろ教えてくれました。すまん、ほんとに。ありがたい、申し訳ない。
やさしいフィリピーナたちと嘘つきの日本人を乗せたソンツクは、やがてボーダーに到着しました。

R0010244.jpg
昔っぽい雰囲気の街角。ワット・インペン近く


さて。ラオスを出国してしまう前に、ラオスの総括を。
1995年に初めてラオスに入った時、私はバンコクから香港までオール陸路で行けるかどうか、という壮大な(下らねえ)実験をしておりました。当時はまだ、確実にそれができるという情報がなかったのです。少なくとも私はそういう情報に接したことがなかった。結局それは出来て(ベトナムではいろいろやられまくりましたが)、無事日本に帰国すると、手ぐすね引いて待っていたある雑誌の編集部から電話がありました。グラビアを埋めて欲しい、という依頼です。しかも2日で入稿してほしいという超急ぎの仕事。ドタキャンがあったんでしょう(笑)。まだ写真も何も現像していなくてバタバタだったのですが、内容はまかせるというので、「ではラオスでやらせてください」と申し出て、記事を書きました。
タイもベトナムも中国も考えなかった。書きたかったのはラオスでした。それほど私はこの国が気に入ってしまったんです。
以後何度かこの国へは入っていましたが、仕事として入ったことも多く、特に「あー、ラオスはいいなー」と思ったことってなかったかもしれません。でも今回は1人で入ってきて、仕事もしたけど遊びも多く(主にビアラオ方面ですが)、しみじみと、やっぱりラオス、好きだわーと思いました。
1995年に記事を書いたとき、私は「ラオスぼけ」という言葉を使いました。ラオスに入ると人があまりによすぎて、旅人はその警戒心を緩めてしまう、緩めたまま別の国に行くとたいへんなことになる、それほどにこの国の人は基本的に善良である、というような文脈で使いました。何しろいわゆるツーリストに対して国境を開いてまだ1年未満でしたから、今よりもはるかにこの国の人々は善良で控えめであったのです。

今回、私はまさにラオスぼけになり、ラオス酔いになりました。町を歩いていても何をしていても、自分は終始ニコニコしてました。緩みっぱなしでした。それで大丈夫なんです。それで誰も付け込んできたりしないんです。宿を探して彷徨った時ですら、実際それほどの切迫感はなかった。何とかなるだろ、と思ってた。ジャンボ溜りでみんなに泣きつけば、誰かがどっかに連れてってくれるに違いないと確信してた。他の皆も知ってるからそのまま拉致されることもないだろうしね。
例のウンコ事件のあった(リアルですまん)ゲストハウスでも、朝でも昼でも夜でも、誰に会ってもみんなニッコニコで「サバイディー」なんです。ジャンボのおっさんたちとも、値段は交渉するけど、やっぱりニコニコしてやってるんです。
あくまでも、私の今回の旅では、という注釈はつけさせていただきたいですが。それと、一応自分は20年ほどこういう旅をしていて、それなりに場数は踏んでます。上手に対応できるかどうかは別にして、踏んだ土地の数、食ったメンコの数、というものは無視できないかもしれません。この部分蛇足ですが、あまり油断しすぎてラオスにお入りになられると、それはそれで何かが起きるかもしれませんので……、笑ってお読み捨てください。

タイが微笑みの国だとよく言われますが、私は、「いやいや、それはラオスじゃないか」と、確信を持って言いますね。いや、タイもいいけどね、それは認めるけどね。
で、こんだけ酔っ払った状態で暢気にタイへ再入国しちゃったもんだから、この後私はどっひゃーんと、心折れる事件に巻きこまれるんだよ。その話はまた次回。

R0010233.jpg
これが一番の大通りサムセンタイロード。それがこれですから、他は推して知るべし、か


R0010259.jpg
メコン川べりの道。右手がメコン、土手の上が屋台の出る場所


(追記)
ラオスが正式に外国人に門戸を開放したのがいつだったか、確認しようとしたのですがデータが見つからず、ちょっとこのあたり曖昧です。94年ではなかったかと記憶しているのですが、違うかもしれません。
少なくとも95年5月の時点で、在日本ラオス大使館は、個人に対するビザの発給は行っていませんでした。大使館に問い合わせると旅行社を紹介され、そこから裏ルートで取れと勧められていたのが実情でした。私もこの方法で、たしか2万数千円でビザを取りました。その時点でもしかしてタイあたりでビザを取れば、もっと安く取れたかと思います。が、もう記憶にありません、すみません。
従って、95年に私が入った時点で、ラオスがツーリストに開放されて1年未満という記述には、疑問符を付けておきます。
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この記事へのコメント
ラオスかぁんんんん…あ、悩む場所まちがえてますね。
でも、触手がぴくぴく…ちなみに初ラオスは95年のいつ頃です?

それから、
その後、腰の方は如何です?
えーっとそれから、それから、
たしか、胃の方もあまりお強くないんで、えー、無茶は文面だけになさってご自愛のほど。
とっても心配してます(抱腹絶倒)
Posted by はぶ at 2008.01.31 22:12 | 編集
はぶさん:ご心配いただき痛み入ります(笑)
腰のほうはまぁまぁです。酷くはなりませんでした。
胃のほうもね、ビールはラオスだけですから……。いやホントですって(笑)
初ラオスは95年の6月です。この点ちょっと気になったので追記しておきました。
Posted by ヤマネ at 2008.02.01 14:33 | 編集
何時も酔っ払ってしまうのでw今日はまとめてコメントします。足跡ベタベタでごめんなさい。
ビエンチャン、僕は2回通ってるんだけど1回はスルーしてるんですよ。泊まった時はワット・インペンの先(バスターミナルと反対方向)を更に400mくらい行った辺鄙な場所でした。いやぁ~そっかぁ、ビエンチャンの宿は大混雑なのですね。やっぱり次に行く時もスルーかな・・・
そうそう少し前の記事、うん、物乞いにどう対処するかって本当に難しいですよね。自分の中に明確な基準とか持っている訳ではないし。婆さんを引き止めた気持ち、分かるような気がします。理屈というより、もう無性にそうしない訳にはいかないって気持ちに成ることってあるもの。
Posted by 没関系 at 2008.02.03 13:05 | 編集
東京は雪ですもんね、今日はお家にいらっしゃった方が無難かも。そうそう、こんな場所で何ですが、足はもう大丈夫ですか? 最後のりーさんとのやり取りで、まだ引きずってるって読んだ記憶があります……

没さんが泊まったその方向まで行けば、まだあったかな。翌日大使館で一緒だったレゲエ兄さん(絶滅危惧種)がそのへんに泊まってると言ってました。ビエンチャンはこの時期だから混んでいたと思いますよ。前回6月に行った時は、トゥクトゥクの勧める宿に行ってしまったんだけど、他の宿を探した時部屋はあって見せてもらいましたから。
物乞いに関することは、うん、難しい。理屈ではないしタイミングも重要だし。ビエンチャンでは私自身がかなりオープンマインド状態で、おまけに酔っておりw、もうほんと、頼むから待ってくれ、待ってくれなかったら追いかける、って勢いでした。色んな自分が見られておもしろいですわw
Posted by ヤマネ at 2008.02.03 14:45 | 編集
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