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2008.02.12

チェンライからチェンマイへ戻る

「帰路・中国の影」 前半はどうでもいい話です

チェンライでは2泊しました。
チェンマイよりずっと小さな町チェンライは、ちゃんと訪れたのは15年ぶりです。でも、ほとんど何もせず。ひたすら友人夫妻と喋り(というか、ダンナにずっといじめられてた・笑)、食べ、ビール飲んでただけでした。市場とナイトマーケットは当然行きましたが、特に今買うべきものは見当たらず。
この友人と出会ったのは89年の雲南省大理。ベルリンの壁が崩壊したというニュースを聞いたのがこの時でした。
89年だよ……。もうじき20年だ。
話していてもまず変化球しか投げないこの人、唯一直球らしきものを投げたのが、
「ヤマネさん(実際は本名で呼ばれてるんだけどね)てさぁ、初めてあったその時から、一歩も引かない人であったよね」
「え? そうですか? この小心者が?」
「進むか引くかの場面でさ、あなたが引いたのを見たことないし、事実そうでしょ」
「あぁ…………。そうかもしれません……(笑)」
私の脳裏に浮かぶのは、あの、雪のヤリ峠(注釈最後に)。人生最大の進むか引くかの場面だったあの峠。そのまま進めば犯罪者になることが決まってたあの峠。というか、ミッシングになって帰らぬ人になる可能性だって、少なくとも渋谷駅前のスクランブル交差点を渡るよりははるかに高かったあの峠。その時の私も、当然のごとく、進む道を選んだっけ……。なぜ私という車には、バックのギヤがないんだろう。あるのかもしれないけど、絶対そこにギヤを入れないのはなぜなんだ。
その後、この大バカ暴走女を助けてきたのは、いつも夫だ。私がともかく生きて今ここに在るのは、夫のお陰だ。ありがとう、夫よ……。故郷は遠くに在りて思うもの、だね。

と、書きつつも、私の夫は私を止めない人でしてね。止めないし、やらせるんだけど、背後で睨みを利かせてくれてるんですよ、多分。例えて言うならば、暴力団の組長の娘がやんちゃしてるのを、背後から守ってる鉄砲玉のマサ、って感じ。
そうそう、デリーのメインバザールで、ものすっごくうざい日本人の中年男と遭遇してしまった時、撃退すべく一芝居打ったことがありますよ。
まず夫が、
「お嬢さん、こいつ、シメますか」と、ぼそりと囁く。もちろん聞こえるようにだけど。それに対して私が、
「マサッ! 堅気のお方に手、出すんじゃないよっ!」と、厳しく叱責。
「へいっ、お嬢さん」と頭を下げつつその男にしっかりとガンを飛ばす夫。その男、さーっとどこかへ消滅していきました(笑)。
その時の夫ときたら、角刈り、黒の長袖Tシャツ、黒ズボン、黒っぽいゴツい靴、黒のサングラス、解放軍バッグという、素敵ないでたち。知り合った韓国人には「ムショから出てきたばかりの人?」とか聞かれてるし(笑)。その通りだったら気まずいだろっ、韓国人! 少しは考えろよっ! まぁ、この韓国人は親切にも仕入先を1つ教えてくれたから許すけど(笑)。
で、何でマサなんだろうねぇ?

そうそう、そもそもこの組長の娘というギャグは、私のご近所さんが生んでくれたのでした。軽井沢の今の土地を夫婦2人でがむしゃらに伐採・開墾してた時、その様子を見ていたご近所さんが、数年後にしみじみと語ってくれたんだけど……。
「私はてっきり、暴力団の組員が組長の娘と道ならぬ恋に走り、街に居られなくなってこんな田舎に身を潜めようとしていたのかと……」
それを聞いたときの衝撃ときたらなかったですね。暴力団員と組長の娘が、森の中にブルーシートの掘っ立て小屋を建てて住み暮らしながら、森を伐採してる……。でも、駆け落ちにしてはちょっと、目立ちすぎじゃないでしょうか。
まぁそれくらい、美女と野獣(箱入り娘と鉄砲玉)っぽく見えた、ってことですね(異論はコメントせよ・笑)。
そういや、店建ててタルチョー張ったら、県警(駐在さんとかじゃないんだよ、本気で県警だった)がすっとんできたこともありましたねぇ。まだオウムの残党が県内のあちこちでトラブルを起こしていた時期でしたから。

うん、まぁさ、話は逸れたけど、いろんな夫婦の形がありますよね。ウチはこれでうまくいってるから、このままでいいんだよ、きっと。
今、あちこちから「そのままでいいワケないだろっ、早く帰国して妻らしいことやんないと夫が逃げていくぞっ!」という声が聞こえるような気がしますが、空耳? 気のせいですわよね? 
ダメ妻の私としては、早いとこ帰国して夫の手料理が食べたいです。えぇと、味噌汁の具は豆腐とナメコにしてね♪ 豆腐は39円のじゃなくて、62円の方にしてね♪ つるかめランドじゃなくてツルヤのねっ♪(しつこいよ、しかもローカルすぎて誰にもわかんないよ)
あー。こんなこと書いたら、鯵の開きが目の前にちらつく……、とほほ。頑張れ、あともう少しだ(えーと、あと1ヶ月弱!?)

まぁ、そんな話は置いといて。
すいません、こっから本題です。前置き長すぎ。

チェンライからの帰路は、エアコンバスにしました(笑)。デブ専の陶酔は1回でいいし、そもそも両隣がまるまるとした人でなければダメなわけで、それに当たる確率はかなり低い。やっぱりね、あまりキツキツだと疲れるんで。リクライニングはどうせ自分は使えないからどうでもいいけど、前後の間隔などはやっぱり狭すぎると参ります。
チェンライ発午後2時。定刻5分遅れで発車したバスは、すぐに工事現場に差し掛かりました。
現在、チェンマイ~チェンライ間は数箇所で大規模な道路拡張工事をしています。このため、若干時間が余分にかかります。往復とも3時間20分以上かかりました。
拡張工事は今のところ平地に近いところで行われています。つまりチェンライ盆地、途中の町、チェンマイ盆地。これらの平地から山に入っていくあたりで、かなりの距離に渡り、片側最低2車線にするために山を削っています。あちこちで道がダートになってしまうため、砂埃もひどく、またスピードも落ちます。

チェンライからさらに北に上り、ゴールデントライアングルと呼ばれるエリアに入っていくと、そこにはタイ~ミャンマー国境(年末に私が行ったメーサイ・タチレク国境)と、もうひとつタイ~ラオス国境(チェンコーン・フェーサイ国境)があります。このラオス国境はメコン川で、現在は両国を渡し舟が結んでいます。ここに、タイ~ラオス間国境として三つ目の友好橋が掛けられるそうです。(友好橋は現在、ノンカーイ~ビエンチャン、ムクダハン~サバナケットの2箇所にあります。)
この三つ目の橋、工事費用を負担するのは、タイと中国です。
タイは自国との国境ですからわかりますが、直接関係のない中国がなぜ金を出すのか。
中国からラオスを経由してタイへと伸びる、陸路での貿易ルートを確保したい、そしてもちろん、タイに対する影響力を強めたい、がためです。現在はメコン川を利用した水運が主流のようですが、中国内で大量に水が消費されることも関係するのか、渇水期には船が航行できないという状況があるようです。このため、安定した陸路ルートが、中国としては欲しいのでしょうね。
現実に、中国~ラオス国境からラオス国内を通ってタイ国境のフェーサイまでは、中国によって舗装道路が整備されたと聞きます。かつては悪路をトラックバスで走らざるを得ず、100キロ行くのに4時間も5時間もかかっていたような地域。それが今では時間もぐっと短縮されています。まぁ、旅行者としては移動が楽になってありがたい側面もあるのですけれど。

と、見てくると、現在行われているチェンマイ~チェンライ間の道路整備も、実は中国資本が投入されて、最終的にバンコクまでつながる大量輸送ルートとしての整備ではないのか、と思えてしまいます。資本云々の部分は完全に私の想像です。何らデータとして確認したわけではありません。
が、もともとタイは政治経済共に華僑が牛耳っていると、以前に読んだことがあります。金持ってるのはみんな華僑と、私の友人も言っております。タイ国民である華僑がこの事業を推進していこうとするのは当然と言えるでしょうね。
それにしても、確実に巨大な中国経済圏に組み込まれていく東南アジア諸国。チェンライでは、公立小学校で中国語教育が始まったと聞いています。もともと華僑の多い場所らしいのですが、さらに中国の影響力が強まっていくのは間違いない。
ほんとうに、時代は変わっていきますね。
私がチェンライで会った友人に初めて会った89年当時、中国がこんなに早くこんな風になると予測した人が、果たしていたでしょうか。もちろん後だしジャンケンと一緒で、「私は予測してました」と言う人はいるでしょうけれど。少なくともあの当時、中国で出会った人たちは、旅行者も働いている人も含めて皆、そんな風には考えていなかったはずです。「いったい中国はいつになったら先進国の仲間入りをするのでしょうか?」「NEVER!(金輪際ない)」という笑い話を、何度も耳にしました。

蚕を飼い、糸を取り、自然の染料で染め、機で織る。季節が巡れば水田に稲を植え、育て、刈り取り、家では家畜を飼って暮らしていく。今はまだなんとか続けられているそういう暮らしが、このエリアからも急速に失われていくことだけは確かなことのような気がします。人々は工場生産の安価な動きやすい衣類を身につけるようになるだろうし、現金収入を求めて新たな働き口を探そうとするでしょう。手間ばかりかかってお金にはならない機織など、見向きもされなくなっていく。あるいはごく一部、商才のある人が、工芸品としてそれを高く売る道筋を見つけるかもしれません。ラオスの首都で生き残っている織り手たちは、皆その道をきた人たちです。
そういった時代の趨勢を押しとどめることなど誰にもできません。また、押しとどめる正当な理由などどこにもない。少なくとも私には見出せない。豊かになろうとする彼らに、機を織れ、伝統的な衣装を身に着けろ、バイクに乗らずに山道を歩け、と誰が言えましょう。

そんなようなことを考えながら、バスに揺られました。
沿道の村はどこも貧しい。バラックのような建物の前で、工事の砂埃をものともせずにしゃがみこんでいるのは、決まって老人です。道が広がれば何か恩恵があるかもしれないと思っているのか。あるいは身内がこの工事に携われて現金収入が入ってよかったと思っているのか。それとも何も思っていないのか。
ちょっとだけ感傷的な気分になりながら、沿道の風景を眺め続けました。

チェンマイ到着は5時20分。途中乗り降りがほとんどなかったため、往きよりは早かったです。
ちょっとのゆとりのために払った差額は75バーツ。水とお菓子とお手拭付きでした。

(注釈)雪のヤリ峠(正しくはチャン・ラかと推測されるが確証はない)
西北ネパール・フムラ郡シミコットからさらに西北へ延びる巡礼・行商ルートの最大の難所。標高は4720m。ルートはここを越えることにより、ヒマラヤ山脈を南北にまたぐ。越えた先はまだしばらくネパール領だが、下ったところの川を渡れば中国領チベット自治区に入る。西チベットにそびえる聖山カイラスに至る最短の(インドから越えればさらに近いルートになる可能性はあるが、危険ははるかに大きいと思われる)徒歩ルートである。ここは私が行った1992年当時対外開放されておらず、無人の国境であり、ここを越えることはネパール、中国両国に対して密出国、密入国という二重の罪を犯すことになった。さらに私の場合、ビザなし入国という三つ目の罪もあった。現在、このルートはツアー参加者に対してのみ開かれている。
因みに私は中国入国後、国境警備隊に1週間軟禁され(文字通り軟禁であり、私は毎日村の中をぶらぶらしてました)、彼らが言うには北京で被告人不在の簡易裁判が行われました。私はこの裁判で出た罰金刑を受け入れて控訴せず、釈放されました。
(入手困難ではありますが、拙著『チベットはお好き?』の後半が、この旅の模様をつづった紀行になっています。また、別ブログTravelling Daysでこの旅を振り返りました。一応ここがヤリ峠のページです)
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Posted by at 2008.02.13 14:54 | 編集
僕は決して反中国派ではないのですが、ちょっとなぁ、今のままあの国が強くなり過ぎるのは少し困ったことかもしれないなぁと正直、思っちゃいます。流石に90年頃にはそうは思わなかったけど、5年位前には「そのうち日本も中国経済圏の一部になっちゃうよ」という僕の発言に対して、そんなことは有り得ないと中国を蔑視(軽視)した右方向の発言がガンガンあったのですが、根拠の無い慢心をしている間にもうこんなに成っちゃった・・・
ええと、下の記事、車掌さんは「この人を端っこに座らせたら大変だ!」って思ったのかも知れませんね^^ 椅子から落ちたり窓枠で圧死したりw
それにしても、下の記事といい上の記事といい、これ程までに素直に旦那への愛情を吐露するある程度の年齢の女性も珍しい^^ ウ●コなんて大胆な物言いをするのに反して、むっちゃピュアなんだろうなぁw ところで、旅の途中でロバ氏を見掛けたらコソコソと知らん振りしようと決心しましたーwwwww
Posted by 没関系 at 2008.02.14 00:40 | 編集
没さん、そうですねー、超大国はいらないですよね。ロクなことしないですからね~w
で、うん、最初は車掌に意地悪されてるのかと思ってたんですよ、女車掌だったし。結局は座席番号に忠実なだけだったのですが、そうですね、落ちるのはともかく、窓枠圧死はありえたかも……ww
いや、あの、没さん。どっかでバッタリ会ったらビール飲む約束したじゃないですか! ロバは没さんのことはきっと好きだから(妻は何でも知っている)、乱暴したりしないですよ、私が保証しますー(笑)
というか、私の夫、そんなに暴れん坊じゃないですから!
Posted by ヤマネ at 2008.02.14 19:31 | 編集
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