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2008.02.27

結婚式と披露宴、その前後

今日は午前中から市内の仕事相手が集中しているエリアに出かけ、最後の荷物の確認やら清算やら。途中お金が足りなくなって銀行に走ったり。合間に郵便局に寄ってみたり(空振り)。あちこちそうやって動き回ったので、万歩計が9933歩になりました。今日は難なく1万歩クリアです。おばさんくさいですか? ほっといてください(笑)

午後戻ってきてしばらくすると突風が吹き始め、停電になりました。30分くらい停電してたかな。不安定な天気になっています。

今日を含めてあと3日でとにかく全てを丸くおさめる必要があるので、気持ちは焦る、しかしやることは進まない、てな感じです。別に友人村に行ったからといって、チェンマイに来られないわけではないのですけどね。ちゃんと乗り合いソンテウが走ってるから、小一時間みれば来られるんだけど。でも、できればほぼクリアしてしまっておきたいです。けっこう几帳面な私。

昨日はなんだかたくさんのアクセスがあったんですねー。
結婚式の記事が読みたい? の? ですか?
言ってくれないとわかんねーよ(笑)

ウソです、冗談です、忘れて下さい。

すごく長いし、今回はメモ程度のものなんで(すいません、なんつうか、作品にするだけの気持ちの余裕がなくて・・・)、期待しないでね。ほんと、スルーしてください。えーと、そんじゃ、こっから貼り付けますよ、よろしく。マジで長いからね、何しろ4日分いっぺんだから。しつこいか・・・。


「食って飲む、ほかに何か必要か?」

タイの友人が企画と運営を任された結婚式を手伝うことになりました。友人は2人いて、名前は長いので、タイ兄、タイ弟、と呼ぶことにします。兄は私より5歳上、弟は私の3歳下。どちらも男性ですが、内面的には女性であり、一緒に住んでいるこの2人の関係性については未だに謎、タイ式にマイペンライ(気にしない)で何も考えないのが一番いいと今は納得しています。
結婚式は土曜日。スウェーデン人の新郎と日本人の新婦という組み合わせと聞いています。どうしてタイの片田舎の、結婚式場ですらない友人宅で式を行うのか、大きな疑問だったのですが、そのように突っ込んだ話をできるほど私たちはお互いに英語が話せず、私はタイ語がさっぱりなので、結局、何が何だかわからないまま当日まで行ってしまうことになりました。

木曜日の夕方、チェンマイ市内で兄弟にピックアップされ、一緒に市内の大きな市場に。青いパパイヤ(ソムタムと呼ぶ辛いサラダ用)、カボチャ(飾り?)、さとうきび(新郎新婦が担ぐ)、といった儀式に必要となる食材を買い集め、それから生花市場に行って飾りつけ用の花を大量に買い付けました。トラックの荷台をそれらで一杯にして村に戻ったのは夜の9時過ぎ。夕食は途中のスーパーで適当にすませました。この日は荷物を下ろして仕分けして、設営の機材を所定の場所にとりあえず置いたりしているうちに日付が変わり、午前2時過ぎに就寝。場所が変わると寝付けない(意外に繊細!)私は、たぶん4時頃に寝ました。

金曜日、午前6時に起床。タイ兄は職場である学校に出勤し、タイ弟と共に設営を開始しました。途中で近所の人やら、兄の姉やら、その娘やら、あとはどういった関係なのかわからない人が来ては手伝い、ふっと消えていくことの繰り返しです。朝もお昼もそういった人たちが買ってきてくれる適当なものですませました。
午後からは本格的に生花を使った飾りつけが始まり、小さな花をひたすら針で糸に通していったり、ブロック状のスポンジに短く切った花を差したり、そんなことを延々とやり続けました。午後にはタイ兄の教え子たちが動員されてきて、力仕事はそちらにお任せ。夜も教え子が買い物に行って惣菜とカオニャオを大量に持ち帰り、それをみんなで囲みます。17歳の生徒たちは礼儀正しくおとなしくよく働き、日本の17歳とはずいぶん違うのか、いや、そんなことはないのか、どうなんだろう。
この日の作業は午前2時過ぎに終了。教え子たちも泊り込みになりました。

土曜日、朝5時半起床。式が始まるのは午後3時らしいので、さすがに今日はもう全員大車輪のように働きます。朝一番でテーブルや椅子が大量に運び込まれ、生徒たちによってセットされていきます。この時になって初めて、出席者が200人を越える盛大な式だと知った私。道理で、運び込まれてくる飲料や食器の数が尋常じゃないと思ったよ。
午前中は花周りの飾りつけを急ピッチで仕上げていき、慌しくお昼を食べた後はテーブルセッティングの仕事に回り、ナプキンを折ったり(250枚!)、カトラリーをセットしたり、次々に運び込まれてくるケータリングの食材を整理したり、飲み物を確認したり、あっちこっち言われることをただひたすらに走り回ってこなしました。タイ語もできないのに、えらいな、私。
午後3時、スタッフの女性陣が着替えるので、私も一緒にタイ兄が選んでくれたサロンとブラウスに着替え、ついでにタイ兄によってタイ風ヘアスタイルにセットされました。付け髷まで乗せて、ご丁寧にランの花まで差して、なんじゃこりゃっ! しかし、何も言えない。タイ兄、完全にテンパってて目が泳いでいるんだもん。
皆さんにほめられはしましたが、うーん、どうなんでしょうか、似合っているとは自分では思えなかったんですけどね。服はともかく頭がね。

3時半、ついに人々が入り始めました。いつの間にか母屋は新郎新婦とその親族や親しい友人で占拠され、そこまでじゃない人々は屋外に集まり出しました。そうこうするうちに、オールドランナー・マーケットの準備が着々と進み、見覚えのある人々(ご近所さん?)が配置に。タイ北方に栄えたランナー王朝時代から伝わる、古式ゆかしい料理と飲み物が供されるらしい。のですが、その割には非常に見慣れたやきそばとたこ焼きが主人公なのでありますが、これでいいのでしょうか。マイペンライ、だな。
4時、とりあえず集まっちゃってる人々を捌くために、マーケットが始まりました。タイ兄の姉がマイクを握ってタイの人々をマーケットに誘導。この人にこんな特技があったとは……。英語の通訳さんも来ています。
スウェーデン人が新郎と聞いていましたが、ちらっと見かけた男性はどう見てもタイ人。タイ弟をつかまえて聞くと、「うん、タイ人だよ」とのこと。スウェーデン人って、どっから出てきた話なんだよ(笑)。道理で、集まった人の中に欧米人が1人もいないわけだ。代わりにいるのはインド人? 英語を話す東洋系のグループがいました。後で聞くとフィリピンの人々だったらしいです。
ふと気づくとマイクで私の名前が連呼されており、そっちを見ると、兄姉が手招きしています。マイクで呼ぶな、マイクで。近づくと、日本語で通訳しろと、こうおっしゃる。それならそれで、最初に言っといてくれなきゃ、わかんないだろっ? 日本人にはだな、心の準備ってものが必要なんだよ。どこまでマイペンライなんだか、タイ人は。
「今から30分マーケットで飲み食いして、それからパレードに出発して、6時から式が始まって、その後でディナーです」と言えばいいんだけど、急にそんなことを振られると、人間、頭が真っ白になるんですね、年を食っても。私は最近、「自分もだいぶ腹が据わってきたな」と思っていたのですが、なんのなんの、面白いくらい手が震えましたよ。とにかく、やっとこさっとこ通訳し終えてドピューンと物陰に消えると、日本語ができるタイ兄友人の息子(これもオカマ、しかもタイ弟に横恋慕中)が来て、「ヤマネさん日本語話す、日本人みんなびっくりー! きゃーっ!」と、足をバタバタさせました。やめなさいったら、姐さんは恥ずかしいよ(笑)

その後、しばらくは澄ました顔してやきそば係の背後で日本人が来た時のために待機していたのですが、(えー、なぜかと言うと、やきそばの隣に激辛のソムタムが並んでおり、オールドランナースタイルのソムタムは焼きそばと酷似しており、そのへんの説明が必要かと思いまして)どうやら30分後に始まるのは式で、それからパレードらしいとわかり、「間違って通訳しちまった・・・」という慙愧の念に耐えかね、近所の人たちで盛り上がる飲み処にふらふらと近づいていくと、顔見知りのおばちゃんが「ビール? ウイスキー?」と聞いてくれたので、「ビールください」。もう、恥ずかしくて、飲まなきゃやってらんないです。しかも通訳はもう1回あるそうだから、酔っ払っとかないと。いや、出来上がっちゃえば手も震えないだろうと(笑)
今日のビール、銘柄は全部シンハです。シンハ飲み放題、すばらしい。タイ人はもっと高級なウイスキーに群がる傾向があるので、ビールはふんだんに飲めそうです。
私の通訳はあと1回、「式が始まります」ってだけでお役ごめんになったので、本当によかったです。だって列席者の中にはタイ語ぺらぺらの日本人(こっちで結婚している人たちのようです)も何人かいたようだし、彼らには私がウソのアナウンスをしていたことがばればれですよ。まったくもう。

4時半にはつつがなく式が始まりました。ちょっとだけ見たけど、ホールも狭いし邪魔になったら悪いので式場から出てくると、「おーいヤマネ~、おいでおいで」と、呑み処にまたつかまりました。ここは完全にご近所さんたちのタダ酒呑み場と化していて、どの顔も見たことがある。焼きそばやたこ焼きやソムタム(これは私には無理)をつまみに、ビールを注がれるままに飲みます。何ものも拒まないことに慣れてきた、今の自分です。それに私は、出席者のみなさんが知らない秘密のトイレを知っているんです。困った時はそこまで行けばいいので気が楽。隣家のトイレってだけですけどね(笑)。
みんな話しかけてくれるんだけどタイ語はわからないので、適当に相槌打ったり、わかることだけ答えたりして、でも別にそれでみんながすごく気を使うわけでもなく、ほっといてくれるし、居心地いいんですよね、タイのこういうところは。
この頃になると、別に新郎新婦とは関わりのない、つまり招待されているわけではない近所の人々が訪れるようになります。女性はちゃんと正装に近い服装ですが、男性は短パンにビーサンだったりする。この人たちは適当に飲んだり食べたりして、顔見知りとお喋りを楽しみ、適当に去っていきます。もちろん、お祝いとしてお金を包んだりはしません。そもそも招待客もそういうものを持ってきてはいなかったと思います。記帳しているだけだった、と思う。面白いですね、日本とはぜんぜん違って。

式が終わってみんなが楽隊や獅子舞みたいなものと一緒にパレードに行った後、残った近所の人々は、私が午前中にむしった大量の菊の花びらを入れ物に入れて持ち、戻ってきた人々に投げます。それがすむと、いよいよ披露宴のスタートです。所狭しと並んだテーブルにぎっしりのお客さん。食べ物や飲み物はもうセットされています。始まってしばらくは、トイレの案内や飲み物の追加などで私もできるだけ日本の人々のテーブルが見える場所にいましたが、そのうち一渡り案内もしたし、宴も落ち着いてきたし、疲れたし、で、またまたご近所呑み処へと撤収。ほぼ役目を終えたマーケットは、スタッフも全員近所の人々だったので、向こうのテーブルに着くことはなく、あちこちで丸くなって小さな宴会状態です。ビュッフェスタイルなので料理も持ってこれるし。呑み処の竹の台にも、誰かが持ってきた料理がずらっと並び、その中で辛くないものを私にも勧めてくれます。
夜は更けていく、ビール瓶はどんどん空になる。私だけが飲んでいるわけじゃありません、もちろん。

8時過ぎにオカマ少年が呼びに来て、行ってみるとタイ兄母から「これからいい踊りがあるから見なさい」との厳命。「はい」と一緒に見学。後で聞くところによると、かなりの芸達者が踊っていたらしい。この頃になると、テーブルの三分の一はもう帰ってしまって誰もいない状況になっています。日本ではありえませんが、タイではごく普通のことらしいです。その空いたテーブルで、兄母と食事。兄母は女がビールを飲んだりするのは絶対に嫌いだと思うので、この人の前では飲みません。おとなしく、与えられるタイ料理を食べます。兄母、言葉も通じない私と夫に、いつもすごくよくしてくれて。今回も私が1人でぽつんとしていると、必ず腕を取ってどこかに連れて行ってくれて、ここにいろとか、ここに座って何か食べていろとか、身振りで教えてくれるんですよね。本当にお世話になってます。

兄母がどこかへ去った直後、結婚式につきもののビデオ上映が始まりました。私がいた席からは見えなかったので、厨房に近い物陰から拝見。小田和正かな、「たしかなこと」? ですかね、が大音量で流れる中、新婦の生い立ちが写真で次々と紹介されていき、親族のメッセージなんかが盛り込まれ。不覚にも、ぜんぜん知らない人のことなのに、もらい泣きしてしまいました。何というかさ、どんな人の人生も物語だよね。愛されて愛されて育って、こうして嫁に行くんだねぇ。などと感傷に浸っていると、たまたま近くにいたオカマ少年が「ヤマネさん、何で泣くー? 悲しい、ない、泣く、ない」。いや、悲しいわけじゃ……と言おうとしたとき、後ろを通りかかったカニ顔の厨房のおばちゃんが、「ドリンクメニー!(飲み過ぎっ)」と一言。いや、そんな飲んでませんって。誤解だってば(笑)
後で「あの歌は結婚式の歌なんでしょ?」とみんなに聞かれて往生しました。結婚式だけじゃないけどー、でも結婚式ではポピュラー……。何て言えばいいんだろう。

宴はさらにバンドを迎えて無理やり盛り上がっていく様子。スタッフの女性たちはもう着替えましょうってことになり、夜の10時にようやく、みんなに手伝ってもらって服を脱ぎ、頭も取ってもらいました。ふう、さっぱりです。肩凝ったし足疲れたよ。やっぱり私はジーンズにTシャツがいいな。
宴がお開きになったのは夜の11時過ぎ。私は裏の厨房で大量の残り物や食器と戦っていたので、皆さんがどうやって帰っていったのか知らないのですが。気がつくとカラオケルームでカラオケが始まっており、タイの新郎が泥酔してマイクを離さない状況になっていました。その騒ぎの横で我々はただひたすらにテーブルを片付け、ビンや食器を下げ、テーブルリネン類を片付け、ておりました。
午前2時、兄の姉が「もう帰ろう」と言ってくれたので、姉バイクに3人乗りして姉家に行き、一晩泊めてもらいました。とうとうやってしまった、ノーヘル3人乗り(笑)。

明けて日曜日。午前7時起床。兄姉が早起きなんだもん。すぐにタイ兄家へ連行される。ここで昨日の通訳さんと新郎母と一緒にカオトン(お粥)の朝ごはん。久々に温かいものを食べました。台所には、未明まで働いていた教え子たちがうずくまってやはりカオトンを食べており、この子たちはいつまでいるんだろうと心配していたら、さすがに解放されて帰っていきました。
朝の4時まで騒いでいたという新郎とその友人たちは起きる気配もなく、撤収作業を再開。2日かけて作ったものを、一つ一つ破壊していく作業です。ああ、人間の営みって、作っては壊すことの繰り返しなんですね……。虚しいけど、爽快感もあるなぁ。
ようやく起きた人々が午前11時には引き揚げていったので、私も帰ろうかと一旦は通りにソンテウをつかまえに出たのですが、これが来ない……。まだまだ作業はあるし、全員帰ってしまって今ここにいるのは兄弟だけ。私は明日帰っても大きな問題はないかなと思い直して、また家に取って返しました。
お昼は近所にバイクで出かけてカオマンガイとおかずいろいろ。久しぶりにちゃんと食べました。戻ってまた作業を続け、ようやく何とか元通りになったのは夕方5時。ほっと一息入れていると、
「そうだ、今日はパーティーに行くんだよ、ヤマネも一緒だよ」
とタイ兄が言い出しました。パーティーってあんた、昨日ここでやったばかりじゃん。今日もパーティーなの? 連日パーティーなんて疲れない? しかし私に拒否権はありません。シャワーを浴び、兄弟がおしゃれするのを待っていて(普通、待つのは男と決まっているのだが)、それからバイク3人乗りで出発。まただよ3人乗り。しかも、女3人ならまだ絵になるが、オカマ2人と私じゃねー、絵にならないです。

「家がわからない!」とうろうろ探し回ること十数分、ようやく探し当てた一軒家はほかに人影もなく、ここがパーティー会場だということを示すのは玄関前に置かれた飲み物類の箱のみ。タイ兄よ、わしら全員死ぬほど疲れてるじゃないですか、何も先頭切って来ることはなかったんじゃないですか? と文句の1つも垂れたくなりましたが垂れる語学力もなく、ニコニコとお決まりの「日本人ですー」と主催者夫婦に挨拶をし、庭のテーブルに着きました。テーブルが1個しかないというのも、何か不思議なんだけど。
ここで蚊に刺されまくりながらまずは主催者夫と共にビールです。今日はレオ・ビア。この家の主人はすっごく自慢げに「レオ・ビアです!」と言っていました。氷を入れて飲むと、はい、イケます。ぜんぜん喉に引っかかる感じもないし。美味い美味い。ビンと缶は違うのかな。
この日のパーティーは、寺院の新築に寄進した人たちがそれぞれ自宅でそのことを祝い、寺院は寺院で大規模な祭りを催すと、ま、こういうことのようでした。

招いてくれた夫婦は夫が警察官、妻が教師。なるほど夫はがっちりしているし、短髪が似合ってます。ロボコップみたいです。どっちかと言うとなよっとした男ばかり見ているので、こういう男らしいタイ人を間近で見ると新鮮。しかも、同じテーブルにいる夫の弟はどこから見ても兵隊です。こっちは丸刈り。今すぐに銃を地面に着かないように捧げ持って、鉄条網の下を100mは軽く匍匐前進していくでしょう、彼なら。私は早速彼を海兵隊と名付けました。水割りをまるでレオビアの氷割りのようにガンガン飲むのも、うーん、男らしいですわ。顔がまた、精悍なタイ人顔。あるんですよ、これ。いいかもしれない(って、何がだ)。
海兵隊はまた気配りの男でもあり、私やタイ兄弟のグラスが半分くらいになると、速攻で注ぎ足しにかかってきます。ロボコップと自分の水割りも、かなりの急ピッチで作り続けます。作りながら飲む。やるな、さすが海兵隊だ。
それからあまりにも蚊が多いので場所を駐車場近くのコンクリートの上に移し、そちらでは料理も出て、さらに飲み続けました。
もともと、タイ兄がこの家の奥さんと友人で、この日呼ばれたらしいのです。気づくとタイ兄はこの奥さんと話しこみ、タイ弟は海兵隊の妻(多分)と話し込み(つまりさ、兄弟は基本的にオカマなので、ロボコップや海兵隊とは相容れないわけですよね、多分)、必然的に私は、ロボコップと海兵隊というどう考えてもこの日のパーティーの二強を相手にすることになってしまいました。お互い言葉が通じませんからねー、飲むしかないって感じで。途中からはなぜか2人とも「ハッピーバースデイ!」と叫びながら乾杯をするモードに入ってしまい、2分おきに「ハッピーバースデイ!」だよ。何なんでしょう、誰の誕生日なんだよ、一体(笑)。で、そのたびに注ぎあうから、何をどんだけ飲んでるのかわからなくなってしまいました。

テーブル席は1つしかないのですが、奥に茣蓙のスペースがあって、そこに集まった人々がカラオケを始めています。昨日の結婚式といい、今日のこのパーティーといい、すさまじい音量を流しているのですが、「お互い様」というものがあるのか、寛容なんですね、きっと。まぁもちろん、近所づきあいがしっかりあるから、そういう話もお互いに許しあえるんでしょうけどね。日本ではもう崩壊した地域社会ってものが、まだまだタイでは健全なようです。
レオビアの後はフルーツパンチ(でしたっけ)になり、これがかなりアルコール入ってたみたいで、タイ兄はすごい勢いで酔ってしまいました。まぁ、ほとんど寝てないからね、昨夜。私もジュースだと思い込んでゴンゴン飲んで、かなりキました(笑)。タイ弟はしきりに帰りたがっているのですが、何しろ主賓として招かれているのが我々だけらしく(私はもちろん付けたしですが)、タイ兄としても帰りづらいらしいのです。

タイらしい料理も各種出て、ランパン(チェンマイのちょっと南)の名物料理だという豚とキャベツの蒸し物がすごく美味しかったです。今まで食べたタイ料理の中で出色。これはマジでうまい。ランパン、いいな。覚えとこ。タイ人はこれを辛いタレで食べるのですが、私はそのままで十分。あと、よく屋台で見かける素麺みたいな麺に野菜を載せて唐辛子だれで食べる「カノム・○○(忘れた、ティン、だったかな)」も出ました。私は辛いものがダメなので、ナムプラーだけかけて頂きました。さらにご飯も食べて、カオニャオ(おこわ)にココナツミルクをかけてマンゴーを載せたものも食べて、果物も各種食べて、お菓子も食べて、えー、なぜ私は見ず知らずの人の家でこんなにお腹一杯食べ、しこたま飲んでいるのでしょうか。頭クラクラしてきたよ。
「ハッピーバースデイ!」
海兵隊の雄叫びが私のそんな雑念を吹き飛ばします。「イェーイ!」とまた乾杯。「減ってない!」と言われてさらに飲む。ここは兵舎じゃないんだからさ、伍長殿っ!
「食えてるかっ?」
「食えてるぜっ!」
「飲んでるかっ?」
「飲んでるぜっ!」
これだけは言えるようになったっす。途中からはこのやりとり、プラス、ハッピーバースデイ、な。各2分おき。忘れるなよ(笑)
因みに何で「食えてる」と可能不可能を聞かれているかというと、私に食べられないものがあるからです。お前にも食えるものがちゃんと用意されているか? と、こう聞かれているわけですよ。はは。
そうこうするうちに、お宅にお邪魔してから4時間が過ぎていきました。さすがにもう帰りたくなったタイ兄、どうやら私をダシにしてお暇の言い訳をしているようです。まぁいいよ、便利に使ってよ、言葉わかんないからさ。

かわいい妻とロボコップと海兵隊に丁寧に見送られ、我々3人は一台のバイクに。
おい、いま気がついたけど、ここ、警察官の家じゃないの。バイク3人乗り全員ノーヘルしかも全員酔っ払いだぞ? いいのか、ロボコップ?
マイペンライ~!(笑)
我々はそれから新築なった寺に行きました。すごい人出のため、そこらじゅうで警察官や、兵隊みたいな格好の人が交通整理をしています。ここにもいるよ、警察官。何で平気なんだろ、お祭りだから?
境内では盛大に縁日が開かれ、射的なんかに人が群がってます。なつかしい村祭りの雰囲気。ステージでは建国の物語(?)が演じられているらしいのですが、私にはオカマショーにしか見えない(ごめんなさい)。
寺に入ってお参りをしました。村でいちばん偉いお坊さんがタイ兄を見かけて寄ってきて、親しく挨拶。タイ兄、もしかして、ほんとに村の名士なのかもしれない……。オカマだけど。
お坊さんには小さな仏像のレリーフをいただきました。来年はタイ兄弟の集落で寺の新築があるそうです。その時に一緒に寄進すればいいかな、ちょっと持ち合わせがなくて、お布施もしなかったけど。
お寺を出て、またバイクにまたがります。弟が運転、真ん中に兄、私が最後。最初に死ぬのは私じゃないですか(笑)。いや、笑ってる場合じゃないよね、すまんすまん、夫よ。そうそう、それと、日曜の夜に電話できなかったのは、こんなところでパーティーに巻き込まれていたからでした。
気のせいかふらつくバイク。私の前のタイ兄はぴったり弟に抱きついてます。おいおい、私の目の前で、仲良すぎだよ。そのうちに、なんか耳元で囁いたりしてさ。やめてーっ! 首筋に熱い吐息なんか吹きかけないで! 事故ったらどうするんだよ!
まったく、あんたたちときたら……。

一夜明けて月曜日。すっかり落ち着きを取り戻したタイ兄家。隣家との境もあるようなないような場所なので、この家にはしょっちゅう知らない人が入ってきて通過して行きます。今までは知らない人だったけど、この日は誰を見ても「見知った顔」でした。つまりは全員がご近所さんなんですね。それで前回来た時に、ご近所周りをさせられたんだな、私。
タイ弟のショップ(彼はテキスタイルデザイナーであり服飾デザイナーであり、ブティックを経営しています)は通りに面しています。そこまで行ってひょいと隣の米屋を覗けば、ああ、昨日一緒に花をまいたのは、ここのお嫁さんだったんだなと気づき、焼きそばの番をしていたのはその姑さんだったのだと気づき、通りの向こうを見れば、ご近所呑み処のママをしていたのは斜向かいの日用雑貨店の人だったのだと気づき……。
そしてこの通りは、第二次大戦当時に日本軍がビルマから進軍してきた道路なのだそうです。タイ兄母はその時の記憶がしっかりあって、兵隊たちにお酒を売ってたいへん儲けたと笑っていました。落下傘降下を防ぐために、竹やりを山や野原にびっしり立てた、とも聞きました。はて、その頃の日本軍にそれだけの兵力があったのだろうか、とちょっと不思議に思いましたが、敗走に次ぐ敗走、という事態に陥る前の話なのかもしれませんね。ごめんなさい、私はあまり詳しくなくて。

日本ではプロが完璧に仕上げる結婚式や披露宴。それがここでは、近所の素人衆がみんな手を貸して(もちろんアルバイト代は出ているでしょうけど)作ってました。土曜日にここに集っていた人々は、中でも日本からの列席者は、考えもつかないでしょうね。この会場を彩っていた花の飾りのほとんどが、タイ弟と日本人が夜なべでせっせと作り上げたものだったなんて。そもそも日本人が裏方にいたなんて、思いもしないよね。そう考えると楽しいなぁ。大きな悪戯をしたみたいです。
そんなこんなの4日間でした。タイの村の雰囲気がちょっとでも伝わればいいんだけど、書き殴っちゃったので漏れてることもいっぱいあるし、意味不明の部分も多そうです、ごめんなさい。でも今日はお下劣な部分はないぞ、えっへん(笑)。
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